Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

嬉しきたより

久々に零下に凍て付いた今朝、
真っ白に霜が降りバケツには氷が張った。
連休明けの仕事は、エンジンが掛かるのが遅いような気がする。
何時もにも増して、自分自身がスローモーションで動いているかのよう。
仕事の合間、せめて景色を眺めて休憩・・・もう夕方近かった。


私の休憩は景色を覗く事が多い。文章もさることながら、
自然の景色は物言わぬ隠し扉を幾つも持つようなもので、
癒しの小道であり、電脳ハイキングであり、
それこそドラえもんの「どこでもドア」となる。


名も知らぬ植物、初めて知る草木の名、季節感溢れる美しい景色、
食欲をそそる木の実、見知らぬ街角、鄙びた温泉宿、
至近距離で、仰ぎ見て、その場に立ち作る気分で浸る
様々な写真、楽しい文章。


そのいつも訪問させていただくブログの写真に、
恐れ多くも自分の短歌(啖呵ではありません・・・笑)が
載せられていてびっくり。
素敵な景色と共に雅びな歌を書かれているので、
コメント欄にちょこっと書いたものが、
何だか、写真入りの文芸欄のように・・・。
なみへいさん、どうもありがとう。恐縮です。
でも、とっても嬉しいです。
私の敬愛するこちらのブログ「季節の窓」です。

フォーレ:ピアノ作品全集(1)

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ラヴェル:ピアノ作品全集

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子育てと仕事+α の狭間で、悩みは尽きない。
ほんの些細なことから、後を引くものまで。
本業を投げ打つ訳にはいかないけれど、
夏炉冬扇のような物思いに堂々巡り。
そんな私に暖かいコメント、人生の先輩として、
かつての経験や新しいものの見方や、
新たなお誘いや様々なお言葉(コメント)を頂いて、
この2・3日、しみじみあり難い思いに浸っている。

なかなか職場で、帰宅して、「自分自身」であること、
素に戻って当たり前の自分であることは難しい。
不器用だから、仕事モードから母親モードに戻るのに、
タイムラグが生じるというか、
切り替えスイッチの接触が悪いというか。
無骨な子育てをしている。


職場に子育てをしている人が少ない。
私の年齢で小さな子供を持つ人がいない。
ちょっとした雑談からお知恵を拝借ということが、
なかなか難しい。ほんの少しの立ち話でいいのだけれど。
それだけみんな忙しいし、どうしても同じ年頃の子供の話に
焦点が偏りがちだから致し方ないといえば致し方ない。
わかっていても、心寂しく不安になる事が多い。


保育園の時のように送り迎え時にお母さん方と会う訳でもなく
保育士さんと話をするわけでもない。
子育ての会話がどこにも無い中で、煮詰まって来た2年生。
若いお母さん方はメル友・ケータイで思いのほか気軽に
連絡を取り合うのかもしれないが、私は・・・。
子供時代の妙に内気な部分を抱えて、やや籠り勝ち。


仕事柄、人と話すことが多いのに、紺屋の白袴
人の事柄に対しては得手でも、自分の事はさっぱり。
どうしても神経質になったり、あれこれ気を揉んだりしてしまう。
「接する時間ではなくて質」だと思いつつ、
その「質」の在り方に悩んでしまう私。


仕事とて、目に見えないものしか残らない仕事、
紙に残したり写真に撮ったりすることのできない仕事を前に、
最終的に何が残るかは、お互いの関係性の上でしか、
未来に向けて変容していく記憶の断片でしか語れない。
その事に、虚しさを感じる事が多くなってきた今。


目に見える美しい写真に、自分の言葉が添えられているのを見ると、
自分の前に、全く別の世界が広がっているように感じる。
短歌と景色への返歌が、変化となって写真の世界を新たに取り巻く。
その日の気持ち・文章にコメントやメールを頂く。
頂いた人間である私は、自分の知っている自分が
何だか「私」ではない様な心持ちになる。
でも、隣に誰かがいると感じられるのは嬉しい。
それが電脳玉手箱の世界の繋がりであって、
直接話し合い、触れ合う事のできないものであったとしても。


早朝、凍て付く寒さだったのに、夜が更けた今は雨。
その雨だれを聞きながら、無数の言葉や思いが行き交い、
世界に降り注ぐ、その豊かな世界、光景を思う。
ものや思うと人の問うまで、気に掛けて頂いたことを
ありがたく思う。・・・今日は、そんな夜。

あなたがそばにいたら~Bist du bei mir~(CCCD)

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バロックの旅~私を泣かせてください

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