Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

雑貨屋の店先から

季節柄ルーティンワークの他に、色々な相談。
例えば、年度末に向けて、卒業や進級、進学・受験、
就職・再就職・転職に絡んだ話題が増えてくる。
試験やオーディションをを受ける前から悩んでしまう人、
それも合否を心配して落ちるのが怖いのではなくて、
受験した事を周囲に知られたくないという人。
仕事(就職)をしているのに、その仕事をしたくない人。
例えば食品関係なのに、その食品に触りたくないとか
(教師なのに教えられない、
 医師だが患者と接したくないというような類)
そんな話題が渦巻いています。


母親なのに上手に子供と接する事ができなくてという、
私の悩みと似ているかもしれません。
育児書を読んでみて、あれもできていないこれもできていないと
悩みすぎる母親は周囲から見れば滑稽ですが、
本人は「どつぼ」という狭い視野の中に落ち込んで、
無限ループの中をぐるぐる回っていますから、大変です。
まあ、「つぼ」の中に落ち込んでいるくらいなら、
何かのショックで「つぼ」が割れれば、別の世界が目に入るのですが。


そんなこんな日常、公私共々ですが
何も動かず考えずに、籠って過ごすのは余り宜しくない。
疲れたしんどいと愚痴りながらも、実は額に皺寄せながら、
職場に居る時の方が遥かに活発(というか、せわしく)な私。
歩く距離も、階段を使うから半端じゃない。声も出す。
書く読むしゃべる、+α の世界。


家に居ると出掛けたくなるのは、パソンコンの前に座ると
台所とトイレの間のみ往復という、恐怖の居間人間と化してしまうから。
目と耳に刺激を受けるためにも、足腰の運動とまで行かなくても、
歩く、乗り物に乗る、目的地に行く、何かを見る、聞くとは大切。
家に居るとリハビリ無しで、食べて寝るだけという感じになりがち。
そんな私、通院や仕事の合間、バーゲン・買物、田舎・街中を歩く時、
気分転換・趣味と実益を兼ねて、実はこういう場所が好き。

 



あれれ、この店は何だろうと思いました? 
こういうものも置いていたりします。色彩、形、実用非実用の観賞用、
何れにせよ、「買うんじゃないの見てるだけ」が多い私ですが、
この手の店があれば、空いていようが混んでようが、旅先だろうが
ちょっと覗いて見たくなるのです。
今日の写真は全て同じお店のものです。
1週間前の通院時に通った店先で撮ったものです。


  

高校生時分から、こういうお店が好きでした。
エスニックという言葉さえ巷では聞かず、
外国製の小物を扱う店が珍しかった時分です。
海外を紹介した赤い背表紙のとある文庫本が流行る以前から、
外国の風景や小物、雑貨類には強い憧れがありました。
小学館「世界の名作文学50」の章題の上に欠かさず入っていた
イラストや世界の風物を紹介したカバー、名画の扉絵のお陰かしら?


いまだ見ぬ異国への旅に憧れながら、行動はできなかった私。
1回生で「スチュワーデスの養成所に合格したから」と、
思い切りよく大学を辞めていった英文科の友人。
留学した同級生、国際結婚した従妹、海外で働く知人。
そんなふうにはなれず、憧れだけを抱いていた日本文学科の私。
できたのは、書物の中にある世界旅行だけ。
やっと大学卒業近くの頃から、憧れ・気分転換海外旅行だけは、
お金と休みを貯めて、数を重ねてどれほど行った事か。


ペストが流行したという堅い書物や旅行記・滞在記の類から、
「ポマンダー」という言葉を知った大学生の頃、
イギリスで捜し求めて買った3回生と4回生の間の春休み。
外国製のお香も珍しく、ポプリなんてまだ市民権を得ていなかった頃、
ハーブという言葉も日常生活では耳にしたことも無く、
本で覚えて、海外でハーブティーを買った頃。
むろん、都心の高級なお店では扱っていたかもしれませんが。


バティックなどは「○○絣」と翻訳されていた頃。
バロンダンスというと形而学上の仮面劇のイメージが強かった。
癒しの極上エステを求めてバリに出かける人、
ベトナムから来た妻と娘』なんて読んだ事のない今の若い人が、
気軽に食と雑貨のツアーに出かける時代が来るとは
思いもしなかった頃から執着していた雑貨・小物たち。

今ではネパールにトレッキングに出かけなくても、
本当かどうかは別として、ネパール製品が溢れるエスニック小物店。
ランプもアクセサリーも布も、何もかもハンドメイドと銘打って、
法外なまでの価格を提示、お小遣いを出すのが勿体無い位の店先。
見てるだけでも楽しいけれど、少し切ない私。
旅行だけ、本の世界だけ、今はブログと買い物だけで、
世界をほんの少し垣間見ている私です。


ただ、仕事と家庭、関わっている人、相談ごと、悩み
それは全て現実での出来事。時には切羽詰ったもので、
時には余りにも残酷で冷たすぎる現実で、何もできない事も多いのですが。
話や相談ができるだけでも「行動を起こしたのだ」と、思える今日この頃。
むろんそこから先は、幾通りもの道がある。
誰でも目に見えない無数の道を意識的に選び、意図せず選ばずとも押しやられ、
道無き道を歩まざるを得ない場合も。
それまでに、垣間見たものが何かしら力になったり、
知恵として導いてくれたり、思いがけない人脈になったり。


海外旅行に出かける機会を得ず、10年が過ぎようとしています。
ブログの中の小さな小窓を眺め、店先の小物を見つめ、手に取り、
小さな夢・憧れ・ほのぼのと慎ましく抱いていた向学心、枯れた野心、
とりどり束にして、幾つかの道に絞る(絞らざるを得ない)事を覚え、
それに集中する事に、今だすったもんだしている私は、
ほんの少しの時間を、「雑貨の美」の中に見出すのです。
何も知らなかった頃の、未熟で未完成な「思い」だけの
坩堝の中で夢見た頃の自分の欠片を。
ほほえましい思い出の中の自分を。
こんな寒い冬の日、
ふと蘇る思い出に手をかざして、心を暖めたりするのです。