Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

大阪くらしの今昔館

本日までの展示ということで、春休み最後の日曜日、
いつもは通り過ぎている地下鉄・阪急の駅、天神橋筋6丁目、
通称「てんろく」谷町筋線側のビル8・9階にある博物館、
余り知られていないけれど、地道に活動している
住まいのミュージアム 大阪くらしの今昔館」に初めてやって来た。


目的は企画展示
『親子で楽しむ企画展「モスリン」−ちょっと昔の普段着きもの−』
最終日だったのでどうしても見たかったから。
無論着物が普段着の生活をしている訳ではないが、
昔は母が着ていたもの、ちょっとした長襦袢やこども用のネルの着物柄、
おくるみ産着の類、布団表、かいまきの類、記憶の彼方にあるハギレ類、
そういうものが、あ、あれがモスリン、毛100%の素材、
柔らかく暖かく軽くて通気性の良いモスリン
鮮やかな染め柄、紋様が、昔懐かしい気持ちにさせてくれる。

                

街中だからすぐにでも行けるような、途中下車すればいいような
そんな場所にある博物館なのに、なかなか行く機会が無く、
今日の今日になってしまった。桜を毎日追いかけるのではなく、
モスリン柄の中に見出した今日。
吉祥柄の宝尽くしや、牡丹・菊・百合など鮮やかで大胆な絵柄、
子供向けのバンビや子犬のイラスト、蜻蛉柄など、
家人の目から見ても懐かしいらしい。



この小さな博物館は大阪の町屋の暮らしを
桂米朝さんの語りを通じて知ることのできる、
なかなか味わいのある展示の仕方だ。
ラクリ紙芝居、模型展示、昔の子供の遊び体験、
「町屋衆」と呼ばれるボランティアの人が見学案内、
昔の大阪の町並を再現した一番奥、薬問屋の裏手では、
お茶席もあり、ちょっとゆったり別世界。


薬問屋の様子を眺めていると、ふと、畠中恵の人気シリーズ、
一太郎とあやかし達の織り成す「しゃばけ」の世界を思い出す。
あれは江戸の薬問屋だけれど、違いはあるのかしら。
お江戸の町屋が板屋根だったのに対し、大阪は瓦葺。
一太郎の大店(おおだな)はともかく、江戸時代の街並み、
天下の台所だった大阪、武士のお江戸に対し町人の大阪、
その失われた昔と今とを比較して学ぶための博物館。


何も国立の美術館や博物館ばかりではなく、
ちょっとした展示をじっくり眺めたり、身近に感じたり、
そういう企画で大人も子供も足繁く通うことのできる、
普段から調べ学習、体験学習をと思っているならば、
こういう場所はうってつけではないかと思う。
私が子供の頃、こういう博物館は無かったのだから。


昔を今に伝えていくには、口伝えだけでは難しい。
あまりに変化の早い現代、昭和だって遥か彼方。
EXPO70を懐かしく思う私など、娘からしたら?な存在。
不惑を過ぎて子どもを持てば、親子間の世代の差ではなく、
2世代離れているといっても過言ではない。そのくせ仕事柄、
妙に変な所だけ若くて幼い感覚を残したまま、
体は付いていけなくなっている、この違和感。

                 

モスリンを意識して使った年代、世代ではないのに、
懐かしく思うのはもう一つ上の世代への郷愁なのか、
こども時代の親と過ごした生活への思い入れ、憧れなのか。
祖母が夜なべ仕事で送ってくれた綿入れ半纏の裏地、
押入れの奥にある昔の蒲団柄、母の若い頃の銘仙の着物。
自分が直接袖を通した訳でもない時代への、
もしくは幼い頃の身の回りの品々への、
このどうしようもない思い入れは何なのだろう。

これが歳を取ってきたということなのだろうか。
そのうち、街中を歩く度に「かつて」を思い出す「よすが」に
こだわり続けるのだろうかと、今更に苦笑してしまう。
その証拠、TVのCMに溢れる昔懐かしい音楽を耳にする度、
このCMを作っている人間は同世代か、
我々の世代にアピールしているに違いないと思ってしまう。
特に60年代70年代のアニメやドラマに題材を見つけると。


くらしの今昔館、それぞれの暮らしには色々な差もあろう。
狭くても坪庭を持てた家、その日のお惣菜になる野菜ぐらいは作れた家、
植木屋が出入りしたり、ブランコを置いたりする事ができた庭のある家。
暗くて怖いぽっとん便所、水洗トイレ、和式様式、様々。
間借り、アパート。水周りは共同スペース、風呂屋通い。
外風呂・内風呂育ちでは思い出も異なる。
内風呂でも五右衛門風呂を焚く為に薪割りをしたり、石炭をくべた私。
ヒノキ風呂でもガス風呂、ホーローバス、人工大理石風呂。

湯屋番五十年銭湯その世界

湯屋番五十年銭湯その世界

どうしようもなく様々なことに思いを馳せてしまう。
いくら子供が小さくても、娘がまだまだ幼くても、
自分が過去を振り返らざるを得ない年齢に、はっとさせられる。
本来ならば少しずつ物事を整理し、コンパクトにしていくような、
「人生50年」の節目を間近にしながら、精神年齢が10年がた若い。
良いことなのか悪いことなのか、時々戸惑う。


くらしの今昔館でタイムスリップしたような、そんな時間・空間。
こどもであった頃、それ以前、見聞きし、本で読んだ世界、
そういうものに憧れる自分。桜吹雪の帰り道、夕桜に煙る公園。
春の感傷ひたひたと押し寄せて来て、日が暮れる。
そんな一日。

銀花 2006年 09月号 [雑誌]

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しゃばけ しゃばけシリーズ 1 (新潮文庫)

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