Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

お通夜へ


大学時代の友人の父上が身罷り、お葬式には参列できないのでお通夜へ。
2時間ほど掛けて、隣の県まで。
退院して2週間、出勤して間がないという事で、
友人は来られないと思っていたらしい。
私達の年代は、こういう不祝儀でもなければ集まれない。
哀しいことだが、それは現実。
そして、否が応でもこのような席に集う事が増えてくる年齢。


1週間おきに親戚や友人の家族の訃報に接するわけだから、
なかなか週末は色々考えさせられる。
最近では「家族葬」「密葬」というのも増えているので、
職場や知人でも知らなかった、参列しなかったということが増えた。
今回はメールで知らせてくれた友人がいたので、義理を欠かさずに済んだ。


1、2度しかお会いしたことは無いのだが、交通事故の際お世話になり、
友人からも常々話を聞かされていた、仲間内では有名人。
大正生まれでダンディで、家族思いで、妻と娘を溺愛し、
家族旅行は、体を壊されるまで友人宅の恒例行事。
あちこちへ旅行したお土産を、いつもいつも貰っていた。


家族で旅行。中学3年が最後だろう。それからはバラバラ。
親が夫婦で旅行することはあっても、子連れで、
家族ぐるみでということは絶えて無い。
したくても、もはや難しい。
学生時代の友人の親は、うちの親より元気だなあと思っていた。
しかし、この後先ばかりはどんな順でやって来るかわからない。


土曜日にお通夜、日曜日にお葬式。
最後まで気遣って、みんなが集まりやすい日に逝ってしまった、
友人のお父上。家族にも、部下にも、私たちにも、
惜しみなく慈愛を注いで下さった方。
今、花の前に横たわっている。


お焼香の後、お顔を見せて頂きお別れをした。
1年前後の寝たり起きたりで、長患いをすることも無く、
それでも一回り小さくなった感じで眠っておられた。
年老いた男性が騎士然とした美しさで棺に納まっているのを、
何とも言えない気持ちで見つめた。最後までダンディだった。


その土地その土地での風習しきたり、専門の会館での葬儀、
宗教的な絡み、親戚も交えて様々な雑事が押し寄せる場。
友人の姿に、様々なものを重ねて見、思い、
自分もまた、そして集まった友人たちもまた、
苦い思いを共にする。


人生というのは皮肉なもので、守り育てたはずの者に離反され、
大切にしてきた物から崩れ去る。他人にはわからぬ骨肉の争い、諍い。
血縁だからこそ刻まれている深い溝、渡れない川。
様々な交錯する思いを透かして見ながら、式に臨む。
それは他人事ではなく、自分にとっても重苦しい。


子を持って知る親の恩。なのに、何故。
孝行をしたい時には親は無し。なのに、何故。
人の心配をする前に、自分の頭の上の蝿を追わねばならないのだが。
考える余裕どころか、余力も無しに、日々の賄いに逃げている。
仕事で忘れている。子育てにかまけている自分を、
意識せざるを得ない、今日。


皐月のつごもりは、喪服で過ごし暮れて行く。
集まった友人たちの中で、子どもを持つ人間は半数に満たない。
「一人になりゆく身」というが、たとえ子供がいたとしても、
いつかは逝く身には変わりはない。
子を持つがゆえに親は迷う。せめて、心安らかにと願う。
残された者は、残された形で、そこから出発していくしかない。


私に出来るのは、いつまでも彼女の友人であり続けること。

お骨のゆくえ―火葬大国ニッポンの技術 (平凡社新書)

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お墓と家族

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