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知事はトルメキア軍?

オームや腐海巨神兵で焼き払って人間の大地を取り戻す。
この発想は、文化果つる地・大阪の財政・行政と同じ。
お馬鹿な知事はお金のことだけ考えて、大阪の文化や
心を育てることなど考えていない。
類似施設=代替施設として使用可能だと思っている。
恋人や友達が一度失われたら、同じ人は現れないのに、
新しい恋人や友達が出来たとしても、全く同じではないのに、
年齢・性別が同じだから代わりは可能と言っているようなもの。


大阪の文化、青少年活動、図書館、大勢の人に還元されるべき
文化的環境は、巨神兵に焼き尽くされてしまうかのよう。
草の根の市民活動、末端でのボランティア、親から子への思い、
そういうものは全て根こそぎにされていく。
お金が無い。そうかな? 


目立ちたがりの御仁の発想を強調する、
御堂筋のイルミネーションなんて要らない。 
市内には既に「類似」の催しがある。
神戸のルミナリエに張り合って「類似」の行事をする必要は無い。
文化の育成と教育の何たるかに思い及ばない人間に、
「類似」「同等」の言葉でもって全てを切り捨てていくならば、
似たような発想での貧弱な町興しなどで目先を変えて、
府民切捨てのお先走りなどやめて欲しい。


ごく一部の施設と結託したり、アウトソーシングと称して、
大して役にも立たないオンライン化や、電算事業に
莫大な出費を要していたり、府民の目に見えないところで、
一部の特定団体を優遇して、逆差別の現象が起きているのに。
実際潰れても構わない、おかしくない施設は残して、
府民が必要とするものを潰す。


「子どもも大人も笑えない大阪」に君臨する暴君。
トルメキア軍的な発想で、100年の計を持たずに、
対処療法的に動いているのだろうが、
文化的な教養、背景、心。それ等を支える場・施設は
子どもの時にこそ必要。長じて大人になってからでは遅い。
その場、その空間、その雰囲気から得られるものは、
同じ感動、受け止める心の質は、2度と戻らない。

写真が語る子どもの100年 (コロナ・ブックス)

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写真でみる20世紀の日本〈3〉衣食住の100年

写真でみる20世紀の日本〈3〉衣食住の100年


今の時代、子どもと過ごす時間を取るのも難しい、
サービス残業を強いられて、痛み分けだと言われる日々。
触れ合う時間や余裕も無く働かねばならない。
持ち帰り仕事を増やして帰宅し、家事をこなし、
家族との時間をかろうじて確保、睡眠を削ることに。
それでも給料は減らされている。


近所でコンビには2件潰れ、ガソリンスタンドも4件潰れ、
美味しいと評判だけれど高価なケーキ屋は閉店、
乱開発が続く駅前には量販店が押し寄せてきて、
落ち着いた風情の住宅地は代替わりも兼ね殺伐、立替が進む。
交通渋滞が酷くなり、排気ガスで侵食され、
飲食店ばかりが増え、出来たり潰れたりを繰り返している。


下々の生活は、外食が僅かな楽しみ。
ちょっとした、贅沢。それさえも節約だから、
量販店の陰で潰れる店は多い。これからもっと増えるだろう。
そしてこの地域には来年また一つ、
シネコン付きのショッピングモールが出来る。
車で30分以内の場所に、シネコンが5つ。
それこそ類似施設で要らない。
もっともこれは民間の営利企業の施設だが、
客の奪い合いをするだけだと思うのに・・・。


ほかに掛け替えのない設備、施設をこそ残して欲しい。
民間では出来ないことを公の力で維持して欲しいのに。
教育や文化設備・施設は潰してしまえば、絶滅種になりかねない。
そっくりそのまま復元するということは、不可能なのに。
今後5年10年の目先のことばかり考えて、
「誰が井戸の水をきれいにしているか」
腐海がなぜ生まれたか」
「虫たちは何を守っているか」
わからないトルメキア軍の記事が新聞に踊った今日、
胃は痛み、食欲は無い。

風の谷のナウシカ 全7巻箱入りセット「トルメキア戦役バージョン」

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風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡

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