Festina Lente2

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親の前で泣ける娘

さて、親の前で泣いたりすることは・・・。
振り返ると、小学校の時に親の前で泣いたことって・・・。
親に自分のことをどれだけ話していたかしらん?
おそらくいじめに遭っていた暗い小中学生時代、
うって変わってどんどん元気になっていった高校時代。
さて、親の前で自分の気持ちを話して泣いたのは・・・。


娘が女の子らしくおしゃまになっていく様子、
ナメクジが怖いと大騒ぎする様子、
お料理の本を借りてきて、今度作りたいと言う様子、
背伸びして訳のわかったようなわからないような発言、
ちょっとしたことでいじけて、仏頂面になっている様子。


そういうものを見たり聞いたりするたびに、
自分は親の目からどんなふうに見えていたのだろうと思う。
少なくとも、勤めに戻る前の専業主婦だった母の目から、
会社員だった父の目からどんなふうに?
そして、今の私よりも10年以上も若い親だった両親。
子育てに関してどんなふうに話し合っていたのだろうと思う。


少なくとも、親の前で自分の自尊心に関わることで、
友達関係のことで、習い事のことで、様々なことで、
泣きながら話したり、話さざるを得なかった事等あっただろうか。
私自身が忘れてしまっているのだろうか。
不思議でならない。そういう意味では、泣けない子供だった。
かわいらしくない子供だったのかもしれない。

99のなみだ―涙がこころを癒す短篇小説集 (リンダブックス)

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大人が絵本に涙する時

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娘が親の私の前で泣いている。自分の悩み事を話している。
その様子が、小学3年生とはこういうものかと
何だか不可思議な気持ちにさせらる。
自分の気持ちを訥々と語る娘の力。
愚痴愚痴いう自分に似ているのかとも思いつつ、
私自身の子供時代の巻貝のように内に向いていた、
亀のように手足を引っ込めていた、
自分らしさというものに自信を持てずに、
親からも誰からも離れていた頃を思うと、隔世の感。


娘が色々話してくれるのは嬉しいが、
こんな友達のような親子であってはならないのだと、
心のどこかで何かが点滅するのだ。
されど、受け入れる能力も無くてはならぬ。
聞き流す要領も持たねばならぬ。
絶対的に有効な解決策などありはしない。


親の前で泣いて悔しがったり悲しがったり、
恥ずかしがったり、それってここに色々書き散らすより、
どれほど健全なことなのだろうと感心したり、
半ば呆れたり、納得したり、受けとめきれない。
理屈はともかく、感情的には全面的に受けとめきれない。


自分とは異なる人格を持つ娘を目の前にして、
自分が経験しなかった世界を、生き直している、
そんな新鮮さを感じる。
新鮮であり、歯痒く面映くやるせない、
娘の一挙手一投足、泣きじゃくる姿にも、
何とも言えぬ感慨を持って自分と比較し、
考え込まざるを得ない自分がいる。


その衝撃に、子どもを持ってから幾たびも感じる驚異に、
大人だから泣かないけれど、泣きないような
泣いてはならないような、どうしていいかわからない気持ちになり、
子供時代の自分を振り返らざるを得ない。
泣きたい時に泣けなかった子供時代を。


そしてまた、泣きたくなくても泣いてしまった、
そんな娘の気持ちを思い、泣きたくなる私も居て。
幾重にも幾重にも、思い出の壁の張り巡らされた中で、
涙を持て余していた自分と、娘を重ねたり、
透かしてみたりする。
そんな梅雨の日。

子どもの「泣く理由」がわかる本―泣く力・甘える力を伸ばせば、必ずしあわせに育つ

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千の風になって・二胡~曹雪晶ベスト

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