Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

劇は夢の舞台

知り合いからチケットを送って貰い、観劇の午後。
子供連れでも十分大丈夫な内容なのだが、しかし・・・。
題名だけ見たら誤解を受けそう。ポスターも。
だって、題名が『フィーバー! ホストクラブ!』
いくら私がぶっ飛んだかーちゃんだとしても、
小3の娘と家人を連れて、家族でホストクラブ通い、
・・・なんかする訳ありません。
誰ですか、「しそうだ」なんて呟いているのは・・・。


かつて現場で自分が関わった若手が、
色んな分野で活躍しているのは嬉しいもの。
マチュア劇団とはいえ、脚本から立ち上げ、定期的に公演し、
それなりにファンを摑み、頑張っている姿は頼もしい。
そして、何よりも大掛かりなプロの劇団よりも、
こうして変化・成長している姿を見るのが楽しい。


文学少女の成れの果ては、この歳になっても夢を見る。
この歳だからこそ、夢を見たい。
自分ではない誰かになって、本の世界を旅する読書のように、
自分ではない誰かになって、泣いたり笑ったりする役者に、
軽やかに踊り、ギャグを飛ばし、艶やかに微笑んでみせる姿に、
ほんのしばし魅せられて、うつつを忘れて楽しむ。

生きることのレッスン 内発するからだ、目覚めるいのち

生きることのレッスン 内発するからだ、目覚めるいのち

昔、ほんの少し台本を書いてみて夢を見たことのある20代。
若手と夢を見た30代前半、本業の片手間に言葉を操り、
空間を別世界に変える演出の面白さ楽しさに浸れた頃、
それから時間は流れて、私はほぼ本業べったりになり、
子育てと、家族全員の通院に追われ、
自分まで入院したりしてしまう生活ですが、
読書と観劇(もしくは映画)は、しばし夢の世界。


時間的にも金銭的にも得心の行く旅行や、休暇そのものは難しい。
それでも、物を創り上げる楽しさ、その過程、その苦しさ、
ふと胸に蘇る若かりし自分。忘れられない。
摑もうとしても摑みきれない、あっという間に通り過ぎていく言葉の断片。
きらきらと輝くような感性が、粉雪のように自分に降り積もる感触を、
ロマンチックに味わっていた頃。
舞台はそういう時代を思い出させる。
舞台で汗を流し、お芝居する本当の人間。作り物ではない人間。


舞台は好きだ。プロではないから、プロにはなれなくても、
夢を追い続けるエネルギーから、いつも元気を分けて貰う。
その世界で羽ばたいている何人かの傍らに居た、
自分の熱さを、ほんの少し思い出す。
そして、娘をあちこち連れて行く。


四季のミュージカル舞台、セロのマジックショー、
サーカス、ピアノコンサート、小さな寄席、
大掛かりなディズニーのアイススケート
TVやCGではない、目の前の生身の人間が見せてくれる、
ありのままの世界でありながら、夢の舞台を。
共に共有する一期一会の世界を。


娘は娘なりに楽しんで、台詞やギャグを覚えたり、
「あの人は前の劇で、○○の役の人!」と叫んだり、
「良くこんな歯の浮くような台詞言えるねえ」なんて
いっぱしのことをほざいてみたり、
「あの人、本当に女?」と驚いてみたり。
新鮮な娘の反応を見ると、これまた楽しい。


一時にせよ、共に夢を見た。家人と娘と仲良く3人で帰る。
現実と舞台は違うけれど、表立った華やかさからは程遠い、
裏方ばかりの連続、一度立ったら降りることが許されない舞台だけれど、
家族というユニットが、どんな風に続いていくのか、
長丁場を乗り切る間の、劇中劇のように、
家族で観劇。夢の舞台を見る。夢の世界から去る。
心の栄養を沁み渡らせて、日々に還元できるよう。

舞台を観る眼

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55m2の暮らし替え―スローライフの舞台作り

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