Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

出張先の玄関で

私は苛立っていた。インターネットで調べた地図が、今一つ。
その場所への地図は携帯で案内されるようになっていて、
私が手に入れた略図は、殆ど役に立たなかった。
地下鉄の指定出口からの道順が、さっぱりも示されていない。
土地勘が無いので、尚更東西南北がわからない。
約束の時間には電車の事故も重なり、30分近く遅れていて、
どうにもこうにも苛立ちながら、3人ほどに道を尋ねて
漸く辿り着いたのだった。


地下鉄には駅名を利用した美しいレリーフがあり、
由緒ある土地柄を印象付けようとしていたが、
その感動も束の間、併記されていた地図のお粗末さと、
携帯で道順をお知らせしますという案内文が、
余計に私の怒りを掻き立てていた。
携帯が無ければ行きつけないような、ややこしい所ではないはず。
不親切で言葉足らずな案内。そんな地図を載せるなと。
もっときちんとした地図さえあれば、実際、地下鉄から遠くはなかった。


うんざりしてラテン語の記された門を仰ぎ見る。
‘initium sapientia timor Domini.’
この綴りが正しいのかどうか、はてさて。
来客者のチェックは厳しい。門で出入時刻を記入の上、
首からは札をぶら下げる。世知辛い世の中になったものだ。
やっと、日陰の玄関先に行きつく。
一歩入ると、そこには小さなポスターのような物が。


"Cast your bread upon the waters,
   for after many days you will find it again."

小型新約聖書 詩篇附 - 文語訳

小型新約聖書 詩篇附 - 文語訳

聖書百話 (講談社学術文庫)

聖書百話 (講談社学術文庫)

昔、聖書を読んでいた時代あった。しかし、訳が変わってから、
その言葉遣いの平易さと共に失われた、宗教的な尊厳。
畏敬の念を持って接するべき内容が失われたような気がして、
共同訳の聖書を読み通すこと無く、私は宗教への興味を失った。
私の心に響いてくるのは、思春期の頃に接した語調に基づく内容であり、
たとえ同じ内容でも、話す人が変われば受け入れられないのと同様に、
聖書もまた然り。文語訳の聖書でなければとまではいかなくとも、
共同訳の言葉に馴染めず、年月を経てきた。


そんな私でも、目の前に記された紙に書かれた言葉が、
聖書に関するものだということだけは、すぐにわかった。
もっとも、「情けは人のためならず」と同義だとは
その時思い至ることはできなかったが。
直訳の意味する所がすぐにはわからず、何が言いたいのか、
狐につままれたような気持ちになった、自分の語学力の無さが哀しい。


英語の世界で文語的な表現となると、こうなるのだろうか。
"Cast thy bread upon the waters:
     for thou shalt find it after many days."
どちらにせよ直訳してしまったら、何のことやらさっぱりの、
「あなたのパンを水の上に投げよ。
   多くの日を経て,あなたはそれを見いだすであろう」


解説を探してみた。旧約聖書「伝道の書」からの引用らしい。
リーダーズ英和辞典』なるものでは、
「報酬を求めずに人のために尽くす, 陰徳を積む」という意味とのこと。
これなら、わかる。「情けは人のためならず」よりも、わかり易い。
ここに辿り付くまでに、かなりの精力を使い果たしたが。


実は、まだ辿り付いただけ。出張はこれからが本番だ。
受付を通り、本日のミッションはこれから半日。
私は暑さと疲労でぼんやりした頭で考える。
「人はパンのみにて生くるにあらず」そうとも、
美味しいスープだって必要だ。
しかし、何もかもが自分に差し出されているわけでない。
どうやって手に入れたものか。


昨日の研修にて、
「人間は孤独だ。人間は死ぬものだ。人間は動物だ。」と書いた私。
その虚ろな自分に、今までしてきたこと、これからすべきことを、
否が応でも思い出させるように、思いがけない形で言葉が投げかけられる。
現場を離れて出張に来て見れば、それは啓示のように立ち現れる。


おそらく門に描かれていたのは、「主を畏れることは知恵の初め」
‘initium sapientiae timor Domini.’
玄関先で見た、"Cast your bread upon the waters,
   for after many days you will find it again."
は、
我が母校の校訓 Mastery for Service に通じるもの。


仕事とはいえ、殺伐とした気持ちにさせられることの多い日々。
はっとさせられる、大事なことを思い出させてくれる警句の一言。
思いがけない形でもたらされる、背中を押す一言。
引き上げようとしてくれる存在。
カンダタは今度こそ、蜘蛛の糸を握り続ける事が出来るだろうか。


直帰しようと思ったが、再び取って返し、最終まで残業。
誰が報いてくれる訳でもない。自分と対峙する時間。
金曜日の夕暮れ。蝙蝠が飛ぶ中を運転して帰宅。
折しもTV映画はマトリックスレボリューション。
主人公がわが身を犠牲として守る土地はザイオン(シオン)
やれやれ、ここでも差し出されるのはその人自身か。
それを選択してこそ、生きる意味というものなのか。
言葉もビジョンも、何がしかを伝えたいようで・・・。

ワンダフル・カウンセラー・イエス―福音と交流分析

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ふわふわさんとチクチクさん―大人のための心理童話

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