Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

無罪放免ならずとも

通院には3種類ある。心の支え・希望の拠り所として、
主治医に会う事が自分の生活のリズムとなり、生活の一部となり、
助けになっているとしみじみ感じる場合。
次に、少々体調が悪い時にメンテナンスとして利用する代替医療
整骨院鍼灸院、マッサージ、ある種のリハビリなどの場合。
小さな虫歯治療程度なら数回で終わるから、これに入るかな?


最後は予約診療であれど、通院するのが憂鬱で、
通院する必要性を心のどこかで納得しきれていない場合。
ある意味、主治医と「そり」が合っていないとも言えるし、
行き違い・すれ違いが起こっているとも言える。
むろんそれは医療者の側に問題があるのではなく、
患者サイドにある場合だって多い。


本日は、通院日。3週間ぶり。苦手な院長先生の診察。
どれだけ苦手かというのは、自分の側に問題がある。
ただし、同じ病気に対して過去の主治医と現在の主治医の
アプローチが違うので、納得しきれないという部分もある。
いずれにせよ、立場を変えれば私は扱いにくい患者の部類に入る。
多分、間違いない。

入院中から院長先生が苦手な理由はこちら→

こころのマトリックス―対象関係論との対話

こころのマトリックス―対象関係論との対話


憩室炎は便秘に注意と言われているけれど、どちらかというと、
そのマニュアルに沿って出される薬を服用すると、
ただでさえ、腹痛が多くてお腹がゆるくなる事が多い私は辛い。
昔と異なるのは、精神的に食べられなくなって来ると、
自然にお腹も張るし、出ないし、苦しいし。
普通に食事をしている分には、お通じに関しては毎朝のリズム。


院長先生はしつこく、毎回、便秘はないかと尋ねる。
どちらかと言うと服薬でお腹が緩くなりがちな私は、
その懸念を伝える。「便秘するより下痢の方がいいんだ」とにべも無い。
腹圧を掛けてはいけないからだそうだ。
普段の日常生活の気になる部分を話そうものなら、
「訊かれた事以外しゃべるな」とお叱りが入った前回の外来。


私の日常生活を聞くことも無く、「職業」から出された、湿布薬。
胃腸薬アズレン、何にでも出せる抗不安剤系アロフト・エリスバン。
自分自身の生活の中で初めて出されたアロフト・エリスバンの効き目。
眠くて仕事にならない。こんなものを朝夕飲んだ暁には、
1日中ぼーっと眠い。これほど睡眠を取らなくては仕事が出来ないなら、
もはや、仕事は休まなくてはならないということに等しい。


私は自分の弱点である考え方の癖をわかっている。
「投影」で物事を見るという、致命的な欠点をわかっている。
そして、そこから逃れられないでいる。
過去の思い出からよみがえる痛手、苦痛、屈辱、失敗、
そういうものを引きずりがちな自分わかっていて、
いまだこの歳になっても解決しきれていない。


今の職場に来てから、上司とは馴染めなかった4年間。
上から目線の値踏みされるような、適材適所というよりも、
無理矢理放り込まれた坩堝の中ですり減らされる神経。
その眼差しと物言いを髣髴とさせる、院長先生が苦手。
「朝夕飲むと眠くなって仕事ができなくなるから、飲めない」と
はっきり言った時の院長先生の顔。


でも、職業柄こういう患者には五万と会っている筈だから、
コンプライアンスの不良な患者に何を言っても無駄だと判断。
院長の発言は無駄なく素早かった。
「君は、医者のいうことは聞かないし、
上から言われることに対して余計にストレスを感じるようだから、
今日で診療は打ち切りにしよう。
薬も飲んでいないのなら余っているはずだから、要らないだろう。
もしも調子が悪くなったら、その時はまた来なさい。
いつでも受け入れるから。」


医者としても、経営者としても至極ご立派な発言。
かくして、コンプライアンスアドヒアランスも取れない
患者の私は、お陰様を持って仮釈放に近い無罪放免の身となった。
通院しなければならないというストレスからは、逃れた。
利いているのかいないのか、自分ではわからない服薬からも。
前医と比較しながら少々悩む日々からも。


前医は抗生物質を打ち切った段階で、全く内服薬を出さなかった。
彼のいうところのエビデンスでは、食生活に気を付けて、
服薬していようとも、症状が現れる人には出るとのこと。
意識して気を付けても、つまり努力というストレスを抱えてまで生活しても、
発病に関しては有意差が見られない、云々という意味合いの発言だった。


従って、再発する可能性が高いといっても、
いつ再発するかはわからなから、予防するといってもねえという、
そういう対応で、前医は私の不安を押し切った。
外来では胃腸薬の投薬すら無かった。
院長先生のアプローチは、それに比べれば丁寧だったとは言える。
日常生活でストレスを抱え込むことの多い精神面を、
服薬でフォローし、バンカマとアズレンで胃腸内環境を整え、
経過観察で退院後の様子を見続けようとしたのだろう。


服薬と通院の生活を、いつまで続けなければならないのか。
これも考えるだに、悩ましいものだ。
調子が悪くならないように、飲み続ける薬なのか。
自分で自分をコントロールすることを放棄して、
睡眠を確保しなければならないものなのか。
そういう挫折感を内に抱えながらの服薬は、御免だ。


今、これを1日でも飲み忘れたら死んでしまう確率が高くなる。
そういうものではない限り、自分に服薬の必然性を納得させるのは難しい。
特に、目の前に自分を値踏みし査定し続けた顔、
思いだしたくもない上司そっくりの院長先生が鎮座ましまして、
「訊かれた事だけに答えるように」という外来の場であれば。


雨の中、湿布薬だけ貰って帰宅の途につく。
湿布だけは欲しいと申し出ました、私。
これからパソコン使って、目も手も酷使して仕事をする7月前半。
夏本番前の修羅場ですから。


むろんコンプライアンスが取れるかどうか、よりも、
私自身の平静を保つのが難しいほどの投影を、
コントロールする事が先だという事は、重々わかっている。
それにしても外来の場で、「訊かれたことだけ答えるように」はない。
だって、面と向かって「どうですか」「どうしましたか」
「どんな調子ですか」はなくて、二者択一の質問では、
クローズドクエスチョンでは、何の話もできやしない。
まあ、機能的な時間配分を兼ねた診療ではあるが。


3分間診療どころか、1分と変わらない・・・。
ただ、前医と異なる点で感謝している点は、
外来では腹部に触れて触診してくれたこと。
前医は全く触れようとせず説明だけしていたからね。
だからといって、単純にアドヒアランスが生じるわけではない。
6月も終わり、無罪放免? 前回から1年半の再発。
さて、次はと心配せずに生活する図太さだけを、
今は育てたい。仕事と生活に必要な。

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