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ユタと不思議な仲間たち


音楽教室の紹介で、劇団四季ユタと不思議な仲間たち』を観る。
http://www.shiki.gr.jp/applause/yuta/
1年に1度は四季をと思っていた私には、渡りに船。
今まで『王様の耳はロバの耳』『夢から醒めた夢』を見せてきた。
今回は、ちょっと抵抗があった。
なぜなら昔のNHKの名作ドラマの印象が残っているので、
少々そのイメージを壊したくないという気持ちが強かったから。
結果としては、四季版ミュージカル仕立てはそれなりに良かった。


TV・映画・音楽、昔とは比べ物にならないくらい溢れている。
こういう時代に生きていて、同じ刺激を受けるならば良質のものを。
幼い時から選択していく力をと思ってしまうのは、保守的な親か。
四季だから素晴らしいと鵜呑みにしているのではなく、
幼い時から歌謡曲ばかり聴いて、それで終わってしまうのはどうかと思う。


今回家人の里帰り。車中でのBGMに『ウエストサイド物語』を掛けた。
どんな話? と訊いて来るのでごくごく簡単に説明。
で、会場受付では四季の様々なミュージカルのダイジェスト版が。
『ウエストサイド物語』も紹介されていて、聞いたことのある音楽に
娘は釘付けで眺めている。よし、いいぞ!
かーちゃんは、にんまりほくそ笑む。
これで映画のみならず、一緒にミュージカルを観る同志ゲット。


 


TVの宣伝も偉大で、『オペラ座の怪人』も見たいと言ってくれる。
大好きな川原泉の漫画にもチョイト引用されていたので、
作品に親近感を持っているようだが、まあ、本物を見れば驚くだろう。
これは大作だから、もう少し後で見せようと取ってある。
映画版の方だって、もう少しお姉さんになってからね。



とにかく、子どものうちから成長発達段階に見合った、
良質の音楽・演劇・作品を。親子が暮らせる時間は思いのほか短い。
そんな気がする。娘が成長してからも元気に飛びまわれる、
かーちゃん(とーちゃん)ではないから、今だけでもせめて。
さて、舞台が始まる。


雰囲気を味わいたい方は、こちらのレポートへ

ユタと不思議な仲間たち

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まだ小3の娘が、何をどんな風に感じたかはわからない。
ただ、関西に出てきた東北出身の両親に育てられた私が、
大阪生まれで大阪育ちであるにもかかわらず、
標準語や方言の違い、その他、ほんの少しのことで
何かといじめに会い、周囲との決定的な亀裂を意識したのは小3だった。
そういう出来事が、成長していく娘の上には無いのだろうかと、
常に意識する自分が居る。何十年も前のことでも気になる。


ユタの物語には、父親との死別という喪失体験が先行し、
生まれ育った都会と離れ、新しい環境での居場所の獲得へ、
友人を求めて人間関係の再構築へ、自立の過程が複雑に絡む。
様々な切り口を持つユタの世界。
そこに「死」は深く食い込んでいる。


死を意識するものが、孤立・疎外感・寂しさ・
人を恋うる気持ちを持つ者だけが感じ取ることの出来る、
「座敷わらし」の存在。それは外部に存在するようで、
ユタの内部に深く根を下ろす、内在するもの。
どこにも行けない中途半端な気持ちで、居場所を求める存在。


決定的に違いがあるとすれば、喪失感から鬱に近いユタ、
何をしていいのかわからず、希望も見出せず、
死んでしまいたいとさえ衝動的に思ってしまうユタと異なり、
「座敷わらし」達は、生きたい、成長したい、親と暮らしたい、
人としての人生を全うしたいと切実に願っていることだろう。


人として生まれ、生き、成長し、そして出会い、・・・。
座敷わらしの親分、ペドロの恋は実らぬ恋。
歯の無い彼らの食べ物は、おっぱい。
おっぱいで乾杯し、「おれだよ、かーちゃん、戸を開けてくれ」と
方言で繰り返す呪文とも呪詛とも取れるような言葉は、
原始的な祈りを捧げる言葉のように響き渡る。


様々な切り口で、様々な年代に語りかける物語。
ユタと不思議な仲間たち
かつての私は激烈ないじめや疎外感を糧に、この物語に親近感を覚えていた。
しかし、今は別の見方も出来る。
別の立場に置き換えてみることも出来る。
時代や年齢を越えて、座敷わらしに寄せる思いも変わった。


          
生きることには、常に障害が立ち塞がる。壁が、敵が、叶わぬものが。
思わず助けを呼びたくなる。避難所に逃げ込みたくなる。
誰かの懐に抱かれて安心したくなる。
それが、親のぬくもりを知らぬまま、人としての生を全うできなかった
哀しい叫び声であると同時に、自分自身を励ます呪文であると、
自分から運命の扉を開けるための呪文であると・・・。


わだ、わだ、あけろじゃ、ががい。
わだわだあけろじゃががい。
そう言いながら、常に戸を叩き続ける。
求めよ、さらば与えられん。
叩け、さらば開かれん。
そういうふうに生きていくのが、人間だということが。
手に入れることが出来なくても、望みを持って生き続けることが。


会うは別れの初めで去っていく、また旅姿の座敷わらし達。
娘は娘なりの「座敷わらし」に出会って生きていくだろうか。
かーちゃんは、少し哀しい思いで自分の子ども時代を振り返る。
そして、娘は母とは違う人生を生きていくはずだと、
はっとする。全く違う人間なのだからと。

http://www.youtube.com/watch?v=zsdS_Eth-Gw

ユタとふしぎな仲間たち (講談社青い鳥文庫)

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