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北京オリンピック開会式

北京との時差が1時間とは知らなかった。
それにしても子どもを多数出演させる開会式が、
どうしてこんなに夜遅くからなんだろうと思ったくらい、
涼しい時間帯を選んだのかもしれないけれど、亜細亜の夜。
蒸し暑いだろうに、長袖をきっちり着込んで開会式。
それとも北京は湿度が低いのか?
アナウンサーの会話を聞いている限りでは、それほどでも。


映画監督がお膳立てをしている開会式。ある意味楽しみ。
でも、様々な問題を露出露呈させたままでの中国でのオリンピック。
同じ亜細亜の人間としては少々複雑な気持ち。
娘はどこから仕入れててきたのか、「おかーさん。本当は2008年の
オリンピックは大阪でするはずだったんだよね」と訊いて来る。


別に大阪でオリンピックなんて開かなくても良かったと思うよ。
ただでさえ赤字財政なのに、オリンピック特需景気で
一時的に持ち直したように見えても、余分な施設の後始末や維持費に
苦労するのは目に見えているからね。
昔の国体のお陰で、新しく良くなった施設もあるけれど、
各方面の職員がボランティアの範疇を越えて職務命令として
ただ働き的に昼夜分かたずこき使われて、
体を壊しても何の保証もなかったという話だし。


そう、体を壊したり病気になったりするのは弱い人間、
立ち退きを迫られるような場所に住んでいるのは、
そういうところに住んでいる人間の責任であって、
再開発や区画整理、イベント、国家的行事の前には
なぎ払うように追い出されても、当たり前。
今回のオリンピックでは国際的な問題を抱え、
天災ともいえる地震汚職にまみれた内政等、
いろんな意味で火達磨になりながらも、決行されたオリンピック。


眠れる獅子と恐れられた大国中国が、その底力を発揮するため
世界に存在を証明するため、人海戦術で力技で乗り切ろうとするのは、
予想されたこと。さすがのオープニング。
それで、チャン・イーモウが出てくるのか。
というのが、今日の私の関心事、開会式に関しての。

オリンピック大百科 (「知」のビジュアル百科)

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しかし、仕事で疲れて帰宅して、食事の後のTVは昼寝時間と同じ。
オープニングから古代の中国を表した部分では眼を見張ったが、
現代の部分からは退屈になり、転寝してしまい、
入場行進が始まったのも知らず、寝てしまった。
よって、リアルタイムでの日本選手団の入場など、見れるはずもなく
気が付いた時には半分以上の国々の入場が終わっていた。


それでも、国際色豊かなファッショナブルな入場行進は
何となくわくわくさせてくれる。
オリンピックの最も早い記憶を、かろうじて東京から保つ私。
はっきりと記憶にあるのはメキシコ大会から。
ソンブレロが子供心に印象に残っている。
地理の勉強ではないが、世界の広さを意識させる、
多様性をビジュアルに体感させるには、オリンピックはうってつけだ。
もっとも、現在のようなネット社会ではなかったから意味もあったが。


娘も途中で就寝、翌朝、民放ダイジェスト版を見ていた。
大人の祭典であって、子どものためではない時間帯だから仕方ない。
開会式に民族衣装を着せて子どもを大量に出演させる。
漢民族以外の少数民族の暮らしがどれほど保証されているか、
実際は定かではないはずなのだが、
大人ではなく子どもを出演させることで、政治的な世論をかわし、
「子どもと動物には勝てない」映像上の鉄則を貫くあたり、
映画監督らしい演出だと、手馴れた姑息さも感じる。


チェン・カイコー共に中国映画を担ってきた彼が、
大勢の人間がもたらす視覚的効果、その動き・色彩・迫力
全てにおいてマス・ゲーム的な計算で演出される、
小気味のよい盛り上げ方、盛り上がり方を意識しなかった筈が無い。
いうなれば、オリンピックに関わることは1回限りの、
カットが効かないライブを製作・演出・録画するようなものだ。


ショウとして楽しめばいい。裏の政治的な事情はさておいて、
美しいものは美しいものなのだから・・・と思っていても、
素直に鑑賞できないのは、歳をとったせいか。
彼もこういう国家的事業に参与するようになったんだなあ。
個人的な範疇を越えて、創作活動を行うことに。
そういう意味で見てしまうと、複雑な気持ちになる。


かつての農村の風景、虐げられてもひたすら生きようとする人々。
身分・旧弊・悲恋・激情・思想、信念に翻弄される人間の姿。
貧富の差の矛盾を突いて、社会に啓発する切り込み。
何故かそういうものから少しずつ遠のいて、
本流の泥濘に飲み込まれていくが如き、怠惰にたゆとう流れに、
身を任せているかのような、そんなものを感じる。


美しいし迫力がある。あっと驚く演出もある。
中国からの文明を押し頂き、移入せんと躍起になり
尊敬と憧れと、負けじ魂を持って見つめてきた
「日出づる国、日本」の一庶民としては、
今回の開会式、オープニングはさすがに歴史ある大国中国の、
その文化的側面を強調した形で演出されたことに関して、
感慨を抱く。筆と墨を、漢字を、書を、巻紙縦書きの文化を
亜細亜の血を分けた、隣国の一庶民としては。


けれども、何故すっきりしないのだろう。
目出度く縁起のいい彩雲に足を掛け天空を登り、聖火台に点火。
その巻紙が燃え上がるような、火の走ったその姿も、
感動よりは焚書坑儒を連想させてしまうのは、何故だ?
目くらましの爆竹の、音を光を背後に見てしまうのは何故?


とにかく北京オリンピックは始まった。
近くて遠い国、中国で。

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