Festina Lente2

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後味の悪さ

報道される記事や発表される記録、表示される数値、
何を持って真実とするか事実とするか、心的現実はともあれ、
当たり前に一喜一憂した事柄が、実は・・・だったと知らされる。
全く持って後味の悪い一幕、出来事、悪夢とまでは行かないまでも、
何だかなあという足元をすくわれたような、気持ちの悪さ。


国力を挙げてオリンピックに掛ける情熱、それは、まるで、
国民一丸となって戦争に赴くが如き異常な熱気。
失敗は許されないと党本部上層部からの圧力。
だからと言って、世界的に放映した開会式の放送が、
実はCGの花火を組み込んだ創られた映像、
端的に言えば偽者の映像だったということに、ショック。


単純にあの足跡型の花火、不思議だなあとは思っていたけれど、
気に入っていただけに「CGでした」と言われたら、
ああそうかとも納得してしまうけれど・・・、
何だそうだったのかと気抜けする以上に、
頑張ったんだなあと感心した分裏切られた感というか、
体面の為に世界を騙してでも見栄が貼りたいんだね、
中国っていう国は、と思ってしまう。
開会式に赤い服で歌っていたかわいらしい少女の歌声も口パクで、
実際の歌声は小学校1年生の別の女の子の声だとか。


かわいらしい顔にかわいい声、二つを合成して演出。
自分の歌っている姿を披露することが出来ずに、声のみ使われた少女は
「満足だ」と答えているらしいが、それ以外に本音を言えば、
家族が無事に暮らせる保証もない中国だと思う。
不平不満なんぞ漏らせば、この先の将来なんか、どうなるかわかったもんじゃない。


本番で上手くやりたい、成功したい。でも、歌の練習をしたのではなく、
声だけすり替えていたというのは・・・。
本人の声ではないというのが、やっぱりショックだ。
昔、中国からの留学生が帰国するに当たり、答辞を読むことになった。
大学の先生に読む文章を書いてもらったが、上手く読めないと相談された。
朗読し易いように文章を直したが、彼女は満足せず、
カセットテープに朗読して吹き込んでくれという。


私の発音を録音し、イントネーションや息継ぎ部分、読む速度をマスター。
本番に臨んだ彼女の努力というか、執念に少し驚かされた。
私の感覚では、訛りのある日本語でたどたどしく読む答辞の、
どこがいけないんだろうという思いがあったから。
だって、その答辞だけ読めても普段の会話が拙いのはわかっていたから。
だからこそ、大勢の知らない人の前で完璧な自分の日本語を、
披露したいという気持ちは、理解できないではなかったけれど。
少し、付いて行けないものを感じたのは事実。


合成された自分のものではない声で、かわいらしい少女が、
世界に向けた檜舞台で完璧に歌って、国力をアピール。
かの留学生は自分で読み方をマスターして、本番に備えただけまし。
でも、努力以上にカバーしきれないものを補うにもほどがある。
何かしら「できる」ということを見せ付けるやり方に通じる、
中国の執念が、ある側面からは立派に見えるのかもしれない。
だが、私にとっては後味の悪いものだ。

平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学

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良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖

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科学技術が進んで、ペットさえクローンで蘇らせ取り戻し、
単なる想像でしかない色を着色して、恐竜を動かす。
巧みに合成された画像と音楽でMTVは楽しい番組だった。
しかし、LIVEで放送されているリアルタイムな番組に、
国威を掛けた完璧な演出を望む余り、CG画像で処理した映像を放映したり、
二人の少女をいいとこ取りして、片方を舞台から葬った形になった、
偽装で完璧を目指したやり方に関しては、後味の悪さが残る。


餃子や鰻、野菜にとどまらず、オリンピックでも偽物か。
安全な食を求めることは出来ず、野球のボールは新品が手に入らず、
はりぽてのホテル、塀で隠したスラム、成分表示にないものが混じった牛乳。
結局は閉鎖的な党本位、富裕層のための祭典、庶民は踊らされているだけ。
情報はコントロールされていて、都合の良い所ばかり強調され、
悪い所は報道されない。かの国はわが国よりその点については極端だ。


「何てひどい」と私が呟くと、「北朝鮮よりましだろう」と家人。
比較する対象を間違えているんじゃないのかと、哀しくなってしまう。
期待・信頼を裏切られて後味が悪い中国関連ニュース。
いや、別に中国に限らず、後味の悪いこと、
ボタンを掛け違った、こんなはずではなかったのに、何故?
そういう出来事は、この国の自分の日常生活でもあることし、
目くじら立てて、気にするようなことでもない? が・・・。


せっかくの柔道女子の金メダルもフェンシングの銀メダルも、
そのほかのメダルが切望されていた競技の残念な結果に、
かき消されてしまってはならないし、
期待外れだった結果を印象付けないために、
予想外の大喜びで以ってして「穴埋め」だけに使ってはならない。


そんなふうに考えながら、大々的に報道されているニュース以外に、
何も知らずに生活している薄気味悪さ、
何も知らずに暮らすことが情報溢れる現代では、
妙な健全ささえを保っていることに気づかされて、愕然とする。
知っていることも知らないことも、不気味な感じがすることに。


ささやかな日常生活の中での、後味の悪さ。
例えば、宿泊絡みの再会の予定。お互い忙しいから、予定の連絡。
メールで返事が出来る世の中なのに、3週間も返事がない。
こちらから電話を掛けると、慇懃無礼だったりする。
お付き合いってこんなふうに、途切れていくんだなと納得させられる。
こちらの気持ちと相手の気持ちにとでは温度差。
娘はお友達がお泊りに来てくれることを期待していただけに、残念。


自分の願望や期待が、相手の行動に反映・投影、
影響を与えていることを無意識のうちに願っている。
その身勝手さ、実際はそういう無意識の期待に添えないことが多い、
現実の生活を目の当たりにすると、思っている以上に狼狽し、
怒りが吹き上がったりする、自分自身の在り方にげんなりする。


自分の期待が相手にとって負担ではないか。例えば・・・
娘に寄せる親ばかの期待も、時と場合によっては負担でしかない。
自分自身の強い愚かな思い込みに、自分で感じる後味の悪さ。
自分自身そのものに違和感、後味の悪さを感じてしまう。
自分は騙されているのではないか、自分は騙しているのではないか、
自分自身を、そして他の人をも。
そんなことを考えてしまった、オリンピック関連のニュースから、
ちょっと落ち込んでしまった、今日。

そのツラさは、病気です

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疲れる理由

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