Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

親のツボ? ドツボ?

「秘めました!」がちょっとしたブームの私と娘。
相手が何を思っているか、当てっこするゲーム。
それは、○○ですか?と質問しながら選択肢を絞っていく。
自分の心の中にある物が、あっという間に当てられてしまったり、
なかなか当ててもらえなかったり(当てさせてくれなかったり)
質問の仕方も微妙に工夫をしないといけないし、
単に相手の好みのパターン、普段の状態を把握していれば、
勘で当てられる部分もあるが、とにかく「秘めました!」


後は川原泉の漫画の登場人物になり切って、台詞を言って、
誰か当てっこしてみたり、題名や場面を説明したり。
母娘で超カルトでレトロな会話をしていたりする。
これでは一緒に遊べる友達はいないだろうから、
母娘限定の遊び。いつまで楽しめるだろう?


ツボにはまると熱中。
しかし、嵌っているのか、嵌められているのか。
漫画にしろ、本にしろ、音楽にしろ、映画にしろ。
かーちゃんとーちゃんの影響をモロに受けた娘。
呟く台詞。何でこの映画はR指定なの?
私は観られないの? どうせDVDになって誰でも見られるなら、
今見せてくれても同じなのに・・・ブツブツブツ。


一緒に映画を観ていると、CMにダイジェストが流れる。
その予告編を観て、あーだこーだと一丁前に批評。
目下の所WAMTEDを見られないのがご不満。
まあ、ハンコックで我慢してもらいましょう。
インディ最新作が期待ほどではないとほざく、微笑ましい娘。
殆どの映画を両親と見まくる贅沢小学生、我が娘。


源氏千年紀の光源氏じゃないけれど、自分好みに娘を育てる。
きっとこれはいつの世も同じなのだろう。
幾つになっても断絶の危機を回避できる、話の通じる娘に育てる。
趣味が同じだと、どこかで結び付いていられる。
そういう期待と願望がない交ぜになっている。
というわけで、紫の上ならぬ我が娘。

甲子園の空に笑え! (白泉社文庫)

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笑う大天使(ミカエル) (第1巻) (白泉社文庫)

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お子様は本来寝ていなければならない、夜もおそおそ。
星新一」月曜の夜22:50からの10分間コーナー。
今週も楽しみに寝る用意をして待っていれば、あろう事か放映が無い。
福田総理辞任のニュース番組。どこを向いても政治の話題で、
番組はお流れ。娘の不機嫌になること、なること。


音楽。家族カラオケでキャンディーズを歌うのは、誰のせい。
ピンクレディーを知っているのは、ブルーライト・ヨコハマを、
怪獣のバラードを、涙を越えてを知っているのは何故?
サウンド・オブ・ミュージック』のDVDが、
ジーザス・クライスト・スーパースター』のCDが、
萩尾望都青池保子一条ゆかり中山星香
今風のチャオも学童で読んでいるけれど、
家ではかーちゃんの古い漫画にも手を伸ばしている。
どんなふうに大きくなっていくのだか。


ツボ。親の思うツボにはまって育っているのか、いないのか。
それとも親が嵌められているのか、いないのか。
時々この相互作用のさなかで、成長しきれない親の過去の夢を、
娘の上に、布団の綿を打ち直すように広げているのではないかと思う。
薄く広くならいいだろうが、重すぎては困るだろう。


ツボ。娘の思うツボに嵌められているのか、いないのか。
甘いかーちゃんは娘を躾切れず、育て切れず、教え切れず。
最も「オロソカ」になっているのは、勉強。
塾に通ったことの無いかーちゃんには、みんなが通う塾のイメージが湧かない。
何だか学校の宿題もドリルも無い毎日。小学校は今どうなっているのか、
とんと想像が付かない。公教育はこういうものだっただろうか。
何だか私が小さい頃もっと宿題があり、勉強したようだけれど。


親の趣味に沿って、走っているに過ぎない娘に気が付きながら、
軌道修正の必要性を感じながら、ぶつかる事を避けて、
物分りのいい甘い親になっているのではないかと思う。
一緒にテレビを見ながら過ごす時間。
小さい頃は寝かしつけ、自分の時間を確保しなければと思っていたのに、
今の今、娘が大きくなって閉まって、一緒にだらだら過ごしている。


娘と過ごす時間に嵌っている、嵌められている。
余りにも芸が無い時間だけれど、嵌っている。
私の機嫌のいいことに、仕事後で疲れて寛いでボートなっている。
そのだれだれの状態に便乗してグータラする娘に、嵌められている。
この相乗効果はろくなことを招かないんじゃないか?
いい加減なくせに、自分には甘くて他人には厳しいかーちゃんは、
節操の無い子育ての果てを気にしながらも、
ダラダラと真夜中を過ごす。


今日の深夜TV。NHKBS熱中夜話は『スターウォーズ』がテーマ。
思わずどれどれと、チャンネルを捻ってしまう。
おまけに来週はクィーンのフレディ・マーキュリーが特集。
もう、本当にTVに子守されている。私もお守りされている。
嵌っている、嵌められている。その話題・テーマ、映像、音楽、
私のような年代も首を突っ込まずにはいられない。


ツボ、筋肉痛と肩凝りと背部痛と腰痛と、全てを癒すツボのように、
鍼灸のツボのように、仕事を忘れるスイッチを入れるためならば、
あらゆるツボが同時進行で解放されたがっているように、
大口を開けて餌を待つツバメの子供のように、
はまるツボを、話題を、音楽を、本を、映像を、
それらしく作られたブームや流れ・企画に乗せられ、
自分の時間と労力を投げ出す。


という訳でメディアにも、世間の流行にも流されて、
嵌っているのか嵌められているのかを意識しないように、
用意周到に操られて、今日今日に至っている。
今夜今晩に至っている。そして週末に向かっている。
予定の行動で安穏と過ごすメニューを用意されて、
家族サービスの名で流されているのではないかという、
一家団欒の時間の使い方に、嵌められる。


不安の上の妙な安心感。これでいいのだろうかと、
かすかに疑念を差し挟みながら、自問自答の声も小さく、
仕事から距離、距離を置き続けている現状。
「為すべき事」の「あるべき姿」から距離を置いている、日々。
親としてこれでいいのだろうか、仕事をする人間として。
母として、妻として、娘として、これでいいのだろうか。
この自分の在り方。


何も考えないように、面倒臭くなるように、
仕向けられているのでは無いか?
そういう親子関係に陥らないようにしなければ、
ぼんやりと霞んでいく夜の闇のような頭の中で、
小さく点滅する、信号。青信号? 黄色? 赤?

親子コーチング自ら学ぶ子の育て方 (日経ビジネス人文庫)

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思春期の子どもの心のコーチング

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