Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

ずぶぬれ願望

連日午後から雷雨、不安定なお天気。朝とは裏腹。
温帯よりは熱帯だったか、スコールのような大雨。
バケツをひっくり返したような大雨、1時間に90ミリだとか。
遅めのランチに出かけたら、車が流されるんじゃないかと思った。
ワイパーなんて役に立たない。目の前が白く濁って、
あれよあれよと別世界。


実は、子供の頃から台風や雷雨の雨が嫌いではない。
むしろ好きかも知れない。
アスファルトの上に出来るウォーター・クラウンは、
ミルク・クラウンほど美しい映像ではないが、
何しろ道路は広いキャンバス。複数一瞬のうちに王冠が崩れて、
幻想のように脳裏に降り積もって消えて溶けていく。


余りの雨粒の大きさ、フロントガラスに無数の破裂した雨粒。
その残像が眼の奥に焼きつくよう。
車は走りながらシャワーを浴びている感じ。
外を歩いているのでなければ、サファリの中を走る車から、
襲い掛かってくるような痛い程の雨の粒を眺めながら、
平然と音楽が聴ける、箱の中。


ある意味安全な箱の中で、部屋の中で土砂降りの雨を見つめる。
いつか止むとわかっているので、平然と眺める。
早く止んでくれないと予定が狂うと思いながら、眺める。
やらなくてはならない仕事は山積していればいるほど、
自分から山積みにして逃げている、避けているような日々。
外は雨、そして自分の行動パターンも雪崩、土砂降り。

「私はうつ」と言いたがる人たち (PHP新書)

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「心の傷」は言ったもん勝ち (新潮新書 270)

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先日、雨で立ち往生した挙句、連絡しても助けが来ず、
流され車に閉じ込められたまま亡くなった人。
最後の言葉が「さようなら お母さん」だったという。
今週はお客さんの中にも知り合いが濁流に呑まれて、
行方不明になった挙句、亡くなっていたのだと連日泣きに来る人。
掛ける言葉も見つからないまま、静かに過ごす場所だけ差し出す。


来られる方の中には、雨の中訪れる人もいる。
ビジネスライクに片付けなければならない応対の時もあるが、
雨の中に早々追い出す訳にも行かず、話を引き伸ばす時も。
さなかに来られれば、「足元の悪い時にわざわざ」
何しろ予約無しで来る人の方が多いから、世間話並にお天気話。
クーラーよりも除湿で、部屋が寒いこの頃。


何度訪れても門前払いをくらい、会うこと叶わず、営業活動も出来ず、
今までお互い、融通・都合・折り合いを付けて来たにもかかわらず、
ノルマや結果重視で切り捨てられて、箸にも棒にも掛からないと
こんな扱いを受けてまでして、何の仕事とぞという愚痴を聴く。
そう、私が扱う部分ではノルマや結果など、
出しても出さなくても同じ、同じにしか思えないから、
切り捨てられる者の痛みを、半ば同類相憐れむ? 


でも、私は知っている。そしてどこかで望んでいる。
TVの雑音空白画面、砂嵐のように感じる雨一色の景色、
この中に分解され溶かされ流されて、下水道まで一気に
押し流されていっているような、そんな毎日が始まっていると。
仕事が忙しくなる直前、沢山の人や物、うんざりする役割分担、
ざわざわした不特定多数との付き合い、そういうものをまた繰り返す季節


温暖化だ、異常気象だ、突発的豪雨だと言われる大雨に、
バケツをひっくり返したような雨に、大雨に流されて行きたいと、
心のどこかで望んでいる。済んだ清らかな流れではなく、
浮力の強い泥水に、この重たい体を運んでもらって、
一瞬のうちに、引きずり込まれて流されて行ってしまえば、
これから先は、何もしなくて済むんだと。


『時により過ぐれば民の嘆きなり 八大竜王雨やめたまえ』だったか?
何もかも、過ぎたれば及ばざるが如し。
わかっていながら、火達磨ならぬ土砂降りに一瞬憧れる。
ずぶ濡れになってしまえば、濡れていることさえもわからなくなるのでは?
娘とプールに行って泳がなくなってしまった、この3年。
水に浸かるというよりも、痛いほどの刺激を、
打たせ湯のような感じがするのかどうか、試してみたい程の大雨。


流されていっても、海までは行き着けない。
それならばいっそ、ここで打ち砕いて、壊してもらいたい。
役目を果たしながら流れていく、母なる大海原まで漂い流れ着き、
天なる神、父なる御手に抱かれる為に役目を果たしながら、
流れていく事が出来ないならば・・・。
ポール・ギャリコ『雪のひとひら』の主人公の一生のように、
雪から清らかな水の心ままで、生きてはいけない。

雪のひとひら (新潮文庫)

雪のひとひら (新潮文庫)

われて砕けて―源実朝に寄せて

われて砕けて―源実朝に寄せて

滝のように流れていく、溝から下水へ、ひたすら流れ込む景色。
心の中の醜い部分や、疲れた部分、澱のように溜まって行く、
それだけを流し捨て去り、雨上がりのからりとした晴れ間のように、
自分をリフレッシュする事が出来れば、切り替える事が、
怠惰で抑うつ的な抜け殻のような仕事をしている、
そんな自分に嫌気が差しているものの、それ以上でもそれ以下でも無く、
人間の形を保つのにやっとこさ、まるで思春期の青少年のよう。
エネルギーは無いのに、空虚で満たされない思いだけは、
年齢分、暗い空洞のように広がっている。


雷雨の稲光がレーザーメスとなって、そのくらい患部を焼き切って、
切り取って、その空洞を切開切除してくれればいいのに。
にこごりのような雨雲の断面を見ながら、自分の心を覗き込む。
保存液に漬け込まれた、注入された、押し固められた、
息をうまく吸い込めない、首の両脇に感じる重たさ、老廃物、
何もかも詰まって流れないような息苦しさ。


堰を切って流れるような、一気に溜まったものを排出する。
天の堤は耐え切れず、崩壊し・・・、何に耐え切れず?
バケツの底が抜けたような土砂降りに、ほんの一瞬濡れて、
車から降りて建物の中に入る。
心は雨の中に取り残されたまま、どんどん流れていく。
同僚と食事をしながらも、自ら疎外される一瞬。


雨上がり、雨粒、歪んだレンズ、離人症状。
そんな私を現実に引き戻すのは、お迎えの時間。
学童教室の最後の1人。娘が待っている。
手を繋いで帰る。暖かい味噌汁を作る。
香味焼きの魚、白い御飯、温かいお風呂。
暖かいずぶ濡れ。
加速する欝への強力なブレーキ。

ウォーキング・セラピー~セロトニン活性~

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