Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

相田みつを展

本日午後からフルタイムで大忙し。
夕べ具合の悪かった母も持ち直し、繰り越した予定を決行。
いつものように母は父に頼んで、予定通り家人の元へ。
待ち合わせは念願の「相田みつを」展。日めくりカレンダーで御馴染みの。
2年前、転勤が無ければ銀座の美術館を訪れていたはず。
家族全員、しみじみ彼の書画に見入る。


今日無事に出て来られて良かった。母を一人にしておけなない。
父が用事を終えて帰ってくると、安定する母。
何だかんだ言いながらも、父と居る方が元気な母。
こちらも安心し朝食後出かけようとしたら、左下前歯の差し歯が割れ、
縁起でもないとがっくり落ち込んだ。午後は『ハンコック』
夕食はタイフェステイバルを楽しみながら取る予定。
以前もタイ土産のドライフルーツで差し歯が割れた。
タイフード関連は、歯に何かジンクスでもあるのだろうか。
されど予定を変えるわけには行かない。
じっとして入れば気が滅入るばかり。


鑑賞者の年齢層が、かなり高いと見受けられるこの展示会。
家人は相田氏が、曹洞宗道元正法眼蔵』に傾倒と知ってご満悦。
間近に直筆・絶筆に接して、何とも言えぬ思い。
紹介したい作品は沢山あるけれど、娘が選んだのはこの2枚。
奇しくも、仕事に関しては私と同じ物が好きだとは嬉しい。



「育てたように子は育つ」「夢はでっかく根は深く」
「子の芽がのびるのは やわらかいから」
「道はじぶんでつくる 道は自分でひらく
 人のつくったものは 自分の道にはならない」
「花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根
 根はみえねえんだなあ」

こういう言葉を眺めていると、静かに話しかけられている気持ちになる。
落ち込みから、ゆっくり立ちあがれるような気持ちになりかける。
自分自身を励ます為に、娘にも読ませたいが為に、
むろん、家人にも読んでもらいたいが為に飾っているのだが、
なかなか話題にしてくれないので、少し心寂しかったのだが。


家人宅のパソコンの前、つまり居間の机の前には
相田みつをの日めくりカレンダーが置いてある。
私達が留守中、家人に全然めくってもらえない日めくり。
少々情けない思いで飾っているのだが、
娘はそれなりに気にいってくれているのが幸い。
ブログでも時々紹介している、相田みつをのちょっとした言葉を、
忘れられずに座右の銘に、心の支えにしている人は多いと思う。


10年以上前、仕事上のインタビュー。
男子大学生がその中で語った「相田みつをはいいなあ」
それがきっかけで、何気なく見過ごしてきた書画が気になるように。
よくよく気を付けていると、友人も「みつを日めくり」愛用者。
ちょっとした和食の店で、引用されている彼の言葉。彼の書。
カレンダー、壁掛け。至る所で見かけるように。


今週仕事、会議、ちょっとしたやり取り、自分の体調、母の状態、
何かと気がかりで気を使って、顎の開け閉めさえしんどいような、
それこそ「首が回らない」「頭が働かない」鈍痛に苦しんだ。
連日の午後からの雨は、久々に鬱な白昼夢を呼び込んだ。
気分転換は、仕事から離れること。
相田みつを展そのものは先週娘と観るはずだった。
車検騒ぎで観るのが1週間遅れ、家人共々鑑賞会。

誰にも何も言ってもらえなくても、
目の前にある言葉から、多くを得られる時もある。
さて、今回の展来会で目を引いたのは、蝋けつ染めの掛け布団の表地。
息子や娘の為にみつを自ら染めたというその図柄と童謡。
「月の砂漠」と「ゆりかごの歌」懐かしくて涙が出そう。
昭和30年代世代には懐かしい童謡。


物の無い頃、何もかも親が手作りしてくれなければ、
子供のものは満足に揃わなかった頃。
当然布団も下着も親が誂えてくれた。
小学校の制服さえも親が縫ってくれた。
相田みつをの展覧会は言葉だけでなく、
親の世代、戦争に翻弄された親の世代の青春を髣髴とさせる。


訊いても尋ねても語ってくれない親の言葉を聴くような、
そんな気持ちにさせてくれる展覧会。
相田みつをの詩と絵と言葉。

生きていてよかった (角川文庫)

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いまからここから

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