Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

不思議なご縁で

ブログを始めたのは深い理由があった訳ではありません。
たまたまパソコンの研修で、こういうものがありますよと紹介されたから。
そのときHatenaでブログを作る練習をしたのです。
おっちょこちょいの私は、そのまま本登録をしてしまい、以後ずっと
はてな? 書く気が前も何もなしに始めてしまったのに、
はてな? どこまで続けられるか書いてしまったからには書こう。
そうやって続けてきました。


ブログの世界を全く知らなかったわけではありません。
ROMと呼ばれる期間を経て、たまに誰かのブログにコメントするようになり、
(できるように勇気を出してみたといった方が正しいかと思います)
そのうち、定点観測ではありませんが、自分が変化していくように、
各ブログの書き手の方々も山在り谷在りの人生で、
精力的に書き続けている人も、突然やめてしまった人も、
閉鎖的な世界へ御引越ししてしまった人も、
細々と続けておられる方も、マイペースで独自の世界を展開している方も。


学生さんは卒業したり、就職したり。
はたまた職業人ならば結婚、出産、転職、子育て。
人の世には付き物の、生老病死の有為転変。
そういう世界を電脳玉手箱の片隅から眺めてきました。
自分が発信者だという事もあるけれど、
何だか書いているうちに忘れてしまって、
普通の日記のように書き続けているというのが実情。


自分が何か書きとめていないと、忘れ果ててしまうという
不安感・恐怖に駆られて書いている・・・という事もある。
娘に何か残しておけるかもしれない、なんてセンチメンタルになる時も。
毎日何かを書いておこう、書いてみようというのは、
思いのほかエネルギーが必要。
でも、写真も無く、読書日記をつけるほどでもなく、
日々の雑感を書き連ねているだけの、余り特徴のないブログの日々。
そんな毎日の中に、ちょっとした出来事がありました。

縁は異なもの (知恵の森文庫)

縁は異なもの (知恵の森文庫)

奇縁まんだら

奇縁まんだら


ふとした日に、コメントを下さった方。
御互いのブログを行き来している間に、ちょっとしたことで
知り合いの知り合いだったことが判明。
びっくりもし、嬉しくもあり、何だか不思議な気持ち。
と同時に、これって微妙にシンクロするのかなって感じ。


実は1週間後の連休中、高校の同窓会があります。
昔懐かしい顔ぶれも、みんな白髪染めで髪の毛を若く見せ、
皺も増え、はげもし、それぞれ中年太りになっていることでしょう。
きちんと自己管理してスタイルを保っているセレブも、
私のようにまだまだ子育て真最中! の人もいるかもしれません。
けれども大部分の人は子育ても終え、名なり功なり成し遂げた年齢です。
(ちょっと言い方が古めかしいかもしれませんね)


何しろ卒業以来合う人が殆どですから。
お互い誰が誰かわからない人の方が多いかも。
残念ながら、鬼籍に数える人もちらほら。
私の担任の先生も御一人は他界され、
残りのお二人はご高齢のため来られないとか。
こういう時、現実のお出かけというのは様々な障害にぶつかりますね。


でも、電脳玉手箱の世界では遥か昔の知り合いの知り合いにまで、
不思議なご縁が繋がっていて、生きていることの不思議を感じさせます。
どういう所からこちらを尋ねて下さったのか、
そのきっかけは定かではないけれど、ご縁があったのです。
そして、私は記憶の彼方にある人物が、どうしているのか思いを馳せます。
コメントを下さった方を介して、電脳玉手箱の片隅から、
つつがなき健康と安らかな日々を祈るのです。


お互いの年齢がお互いの年齢なので、あちこちガタが出てきたり、
親のこと仕事のことで忙しく、自分の事ばかりにかまけていられない年齢。
記憶の片隅の学生の頃とは変わらない部分もあれば、
世の中の荒波にもまれてタフになっている部分、ならざるを得ない部分、
疲れて弱っている部分、色々あるだろうなあと思いつつ、
御二人の事を一緒に思い巡らせて時間を過ごしたりします。
こういう時間を持てるのは、本当に不思議なことなのですが。


電脳玉手箱の向こうには、全く会った事もない人の訃報や、
日々の悩みや、嬉しい出来事や、物珍しい動植物の写真、旅行記
様々な世界が広がっています。
建物の中から出られないまま、大人の顔をして生活する日々。
自分の知らない世界の断片は、自分に欠けている外の世界への視野を、
ほんの少し広げてくれる魔法の小窓、電脳玉手箱の世界です。


バーチャルな世界、非現実的な世界と揶揄されることも多いけれど、
キーボードを打っている人には生身の体と心があり、
読んでいる人はロボットでもなんでもない、衣食足りて礼節を知る、
当たり前の日常生活を送っている人間なのです。
そして、嬉しい偶然ではありますが、昔々の友達の友達。
知り合いの知り合いだったのです。
これは、神様が引き合わせてくれたご縁というものでしょう。


もうすぐ神無月が終わろうとしています。
縁結びの出雲に八百万の神々はみんな集まっているそうですからね。
でも、私の所には昔と異なる新しい形でのご縁が結ばれて、
生きて生活していることの不思議、ひょんなことから繋がるえにしの深さ、
いつも誰かとどこかで繋がっている事を、実感させられる秋。
誰かがどこかで見守っていてくれたんだなあと胸が温かくなる、
そんな、神あり月の神無月なのです。

「女縁」を生きた女たち (岩波現代文庫)

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多生の縁―玄侑宗久対談集 (文春文庫)

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