Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

覚えていてくれたの?

というわけで、本日もばてながら出張です。
今週3回目の出張。ルーティンを午前中に詰め詰め。
ただ、今回は市内まで出向くので家人宅に帰宅予定。
これだけが心の支え、娘とグッバイ。
行って来ますの朝は小雨模様。


JRに乗り継ぐ出張が苦手な私。地下鉄は得意だが、
本数が少なく、何番線から乗るのかわからない、
行き先があれこれ変わる、途中で無くなる、
地下鉄や私鉄と異なり、乗りにくい上にベンチが少ないJR。
吹きっ晒しで雨よけも風除けも無いJR。
やたらホームが長いくせに改札が一つしかない不便な作り。
その上、降りる駅が各停しか止まらない駅だったら最低。
地図を見てもわかりにくい場所だったら、尚更。


私年々地図を見るのが苦手になって来たのか、
この場所がそうなのか、今週、疲れているだけなのか。
郵便局が見えたのでついでに用事を済ませ、
探し当てた建物に辿り付いてみれば、廃墟のよう。
元○○施設という名称。一体今は何の施設?
おまけに2階の女子トイレはみんなドアが閉まらない。
こういうことで研修のテンション、・・・即、下がります。
一体ここはどこ? 何ゆえこの場所で?


実体験、実地、実際に基づく発表や意見ほど強いものは無い。
されど、正論ではあろうと思って聞いてはいるものの、
何かしら心理的に引っかかる違和感。
先頭切って生きている、実践している人の迫力のせい?
意気込みと受け取ればいいのか、鋭い感性なのか、
「知ってしまったからには、その世界と関わらざるを得ない」
その力強さ・勇気・聡明さ・指導力
その気力胆力に単に圧倒されてしまったせいなのか。


正論、正論に次ぐ正論。さりながら、いや、もとい。
でも、何もかもバイアスからは逃れられない。
同じ土俵の上というより、針の上を歩くようでしんどい。
突き進む信念にけちを付けるわけではないが、
同じことは誰も出来ない、実践例を振り返って意見など。
質問? ああ、グループ討議。各職場の現状から。
自分の持ち場を振り返って、比較検討・情報交換ぐらいなら。


ふと目をやればかつての同僚。向こうは気が付かない。
ああ、知り合いと一緒に来ているのか。
しかし、私自身も気付いていなかった。名前を呼ばれるまでは。
隣にも、元同僚が座っていたことに。

性を再考する―性の多様性概論

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トランスジェンダリズム宣言―性別の自己決定権と多様な性の肯定

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クィア・セクソロジー―性の思いこみを解きほぐす

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どこかで見聞きした顔や声だとは思っていたけれど、
似た人がいるものね、世の中は。
そんな感じで座っていたのは、今週疲れきっていたから。
終了後、名前を呼ばれてみても、相手をしっかり思い出せない。
しばらく話をしてみて、ああそうかと。
向こうも転々と職場を変わり、こちらも移動しているわけで、
おまけに20年以上も昔のこととなると。


覚えていてくれた訳ね。私のことを、記憶の彼方のお隣さん。
私がうろ覚え、微かな思い出を辿っていたというのに。
まだ仕事が残っているからと、駅で別れてホームに上っていけば、
私に気が付かなかった人が、びっくりした顔でこちらを眺めている。
あら、連れの人はどうしたの? 一緒じゃないの?
こちらも10年ぶりに、それ以上になるかなあ。


お久しぶりね。こういうこともあるのね、狭い世間とはいえ。
この2人と、どちらも同じ職場だったのはずいぶん昔。
まだ初々しい、吸収すること学ぶことに夢中で、
自分を現場で試すのに必死で、ひたすら前向きだった頃。
そんな自分を覚えていてくれた人に会うのは、
懐かしさと同時に切ないような、恥ずかしいような不思議な感じ。


ちょっとお茶でもと言いながら、1時間のお酒とおつまみ。
お互い白髪を抱いた頭、太めになった体、
介護の必要になった老親の話題、少しだけ仕事の話。
ちょっとした感慨を抱きつつ、珍味を頂き、杯を傾ける。
こんな時間が取れるなんて夢のよう。


駆け続けたような今週。思うこと見聞きしたことに、
暗くなり勝ち湿りがちだった今週。
誰も振り返ってくれない中で、ひたすら専門外の脇道を固め、
オールマイティジョーカーの気分で隙間仕事を埋める。
本来の自分の在りようから、どんどん離れているのでは。
職域を広げていると胸を張って言い切れるものなのか。
不安と苛立ちに襲われながら量なのか質なのか、
闇雲に仕事に追われ・・・。


でも、元同僚と顔を合わせてみれば、
それはそれで、間違いではなかったのか。
脇道に逸れた訳ではなかったのかと、少し安堵。
やはり、この部分を無視して進むことは出来ないのだと、
決して「実践」のレベルの高さではなく、
取り組む必要性を持ち帰れるかどうかなのだと、
グループの話し合い同様、偶然の出会いで実感。


若い頃を知る人に会うと、自分の若い頃を思い出す。
もちろん目の前にいる人の若い頃も。
当時の「いい部分」を持ち続けて成長しているか、
思わず自分自身を振り返る。
職場は違えど、仕事は同じ。その中で「共白髪」。


ほろ酔い2合で別れてさよなら、いつかまたね。
元気でね。自分自身に言って聞かせる。
少し切なく、家人と待ち合わせ場所へ。
過去から現在の螺旋階段。今は少し、メビウスの輪
週末、やっと仕事から解放される。
週末、やっと仕事忘れられる。


復活は千鳥足で? どこまで歩いてもクラインの壺
復活はひたむきな頃を覚えていてくれた、
旧知からの名前を呼ぶ声で。
晩秋の夜は私を包み込む。
仕事の中にも思い出がある。思い出の中に人がいる。
寒さの中に思いがけない暖かさに出会う。
若さの余韻、水琴窟の響き。

Sadao&Charlie Again

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再会

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