Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

馴染めないまま、発表会

親としての正直な気持ち。子供の成長は嬉しい。
お勉強、習い事、いつの間にか親の知らないことを知っている。
出来ないことが出来る、全く違う人間に成長しながら、
どこか自分の面影を強く残している、意外な発見がある。
でも、子供と一緒に成長して行くはずの親が、
自分の狭量さで受け入れがたいものがある。
それが、今日のアンサンブルコンサート、コンペティション
音楽教室での行事。


これまでも時々書いてきたけれど、音楽教室の先生が変わって1年半。
その教室ではある意味評判のいい? 厳しい先生? というか、
結局実績を上げているという意味になるのだろうけれど、
発表会にやたらと参加させる先生だというのが私の感覚。
発表会というものとは無縁に音楽教育を受けた、
軟弱な習い事をしていた自分の素地が、そう感じさせるだけかも。
でも、3ヶ月に一度ぐらいの割で、ソロ・アンサンブル・
作詞作曲兼合唱、アンサンブル、進級試験というスケジュールに、
親の方が付いて行けない状態。


親御さん方とのお付き合い、ご挨拶というもの。
先生へのお礼というもの。世の中では当たり前のこと。
親としてはそれくらいは当たり前のこと。
でも、連休を潰されたり自分の勉強や研修、ケースカンファが
どんどん出来なくなる。子供のことより親のことが優先ではいけない。
頭でわかっていても、感情としてはやれやれ・・・という気持ち。
音楽の世界で生きていくわけでもないのに、
ここまでしないといけないのかなあ・・・。そんな感覚。

すべては音楽から生まれる (PHP新書)

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芸術の神様が降りてくる瞬間

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発表会ともなれば衣装が必要。あれこれ。
自由な服でというわけにも行かず、曲に合わせた衣装選び。
時には買いに行き、時にはインターネットでお取り寄せ。
そこまでしなければ? という私の感覚は古いのだろう。
一世一代の発表会、色んな経験をさせなければ、
衣装も着せなければ、晴れがましい場に出て場数を踏ませて、
度胸を付けさせるのも、親の役目と思えば・・・?


私は個人レッスンだけ受けて、何となく上達し、何となくやめた。
ピアノは好きになるまで時間がかかり、弾きたくて弾きたくてたまらない、
そういう思いが募る頃は高校受験でやめざるを得なくなった。
それから後は、殆ど弾けなくなってしまった。
楽家志望でも何でもない個人レッスンには、限界がある。
そして、その道を目指すには経済的な背景は必須。
我が家にはそんな余裕もなかった。


今、娘に音楽教室に行かせていることは、どんな影響を与えるのだろう。
娘の一生に、どんなふうに関わっていくのだろう。
将来、私のように楽器に触れる事もなくなってしまえば、それまで。
そんなふうに思うと、切なくてやりきれない。
教室のお友達は来年の春は、やめる予定の人が一人。
経済的にもしんどいと、はっきり言う親御さん。
(そのお子さんが一番上手だと思う)
きょうだいが居て習い事をしていれば、尚更。
もう一人、同じく一人っ子さんの親。この冬休み、塾へ。
中学受験を視野に、やめさせるかもしれないとのこと。
もしかしたら、二人減るのか、お教室。


毎回必要な衣装、毎回必要なお礼代。余分なレッスン、合同練習。
私と同じ気質の娘は、結構それは苦痛のよう。
自分の好きな衣装を着て出るわけでもない、アンサンブル。
与えられたパートを片手で弾くだけの、電子オルガンのアンサンブル。
両手でピアノを弾けるのに、わざわざパートを分けて弾く。
それはアンサンブルだからこそで、仕方がないけれど面白くない。
息を合わせる以前に、弾き甲斐がない。そう感じているのがよくわかる。


娘は中央に出たりするのが嫌いだ。私とよく似ている。
静かに本を読んだり、自分一人でビーズの作業をしたり、
マフラーを編んだりしている。どうしてこうも似るのか。
(老眼を意識してから、元々目を酷使する作業の私は、
 娘の前で殆ど手芸をしたことは無いのだが)
手仕事が好きというよりも、一人の時間を堪能するタイプだ。
学童に行かせたので、放課後同級生の家に遊びに行く事もない。
塾にも通っていない。保育園からの音楽教室と水泳のみ。


私が馴染めない大勢の人間、お付き合い。それに関わる諸々のこと。
細々としたこと。言葉に出さなくても、娘には影響が出る。
私(の小学校時代)よりは随分外交的な娘だが、
何度もコンペに出て競うのは嫌だ、批評されるのは嫌だと言う。
実力を叩かれるのは辛い。点数を付けられるのは辛い。
小さい時にそれを思い知らされてしまったのだろう。
私はそういうものとは無縁に、小中とのんびり個人レッスンだけ受けていた。
塾も行かずに放課後を過ごす、帰宅部・文科系クラブの人間。
運動部・体育会系には馴染めない人間。
張り合ったり競い合ったりすることで、アドレナリンが出るタイプではない。
本来は、負けず嫌いではないかと思うのだけれど。


エレクトーン、電子オルガンの世界に馴染めない。
アンサンブル以前に馴染めない。ロックコンサートは平気でも、
自分が弾くのに弾いたはずのない音がリズムがバックに出てくる。
音響効果でがんがん広がる。USBから取り込まれた指令を元に、
勝手に編曲された音が広がるその違和感に、どっぷり包まれている。
なぜなら、プログレ世代のシンセサイザーに馴染んだ私は、
プレイヤーが実際に弾いて音を出していたのを知っているし、
指一本で引く音がオーケストラ張りの編曲アンサンブルで披露される、
その華々しさ、派手派手しさに付いていけなくて、駄目なのだ。


家人はバイオリンを習っていたので、私と同様の感覚。
自分で音を作って弾く人間は、自分が作らない音が出てくる
エレクトーン・アンサンブルには甚だしく?
ピアノがパイプオルガン・チェンバロ・トランペットと一楽器ずつ、
様々に変化してメロディーを奏でることに抵抗はないのに、
さも様々な楽器を操り、パーカッションのリズムまで、
ドラの音色まで演出する機械の音色に守られた、
その虚飾に満ちた(私にはそう感じる)コンサート形式コンペに、
何が何でもどうしても馴染むことができない。


30代の親なら平気なのだろうか。私が若ければ。頭が柔らかくて、
もっと許容範囲の広い、柔軟な姿勢の、人付き合いが上手な、
進取の気鋭に富む、機械に抵抗のない、新しい世界が広がる快感、
スポットライトを浴びたり、拍手の中央に立つことに、
何の抵抗もなく、てらいなく憧れを実践することに夢中になれる、
そんな親なら、娘をドンと前に出してやれるのだろうか。


発表会が終わってほっとするまもなく、次の1月の発表会云々のお誘い。
丁寧にお断りする。マイクを持って歌うのは嫌だと娘はきっぱり。
しょっちゅう顔を合わせて練習、ダンス(振りを覚えるの)は嫌。
そういう娘を無理やり参加させることはできない。
そして、私自身も自分の時間も潰れていくこのお付き合いは出来ない。
ステージママにはなれない。競争の中で音楽を聞くのは辛い。
音楽を楽しむよりも、コンサートと言う名の披露ではなく、
グループの輪ではなく、足を引っ張り合わないことを気にする練習、
そういうものを苦痛に感じている娘を見るのが辛い。

競争やめたら学力世界一―フィンランド教育の成功 (朝日選書)

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