Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

陶芸教室

退職した先輩が講師で行うという陶芸教室に顔を出した。
娘共々、文化的に一日を過ごす。
昨日の今日で気分は優れないが、予約していたので休めない。
鬱々と落ち込んで過ごすよりも、外に出た方がいい。
小学校の必修クラブ活動、有田への観光旅行、大学院時代、
そして本日。4度目の陶芸体験。たった一日だけれど。

 

正月にも使えるような大きな盛皿と、香炉。
みんな様々な形を作っているが、心が滞っているせいか、
何のアイディアも浮かばない。それどころか、工夫する気力が・・・。
娘はと見ると、気分は上々、鼻歌交じりに大皿を仕上げ、
絵を刻み、香炉に取り組んでいる。
子供はいいなあ・・・と思う。


久しぶりに触る年度は思いのほか固く、乾燥が速い。
10年前の轆轤と異なり、自分の手で伸ばす平皿、掘り出し削る香炉。
本当にこの土、この粘土、しばらく置けばすぐに削れる程、固い。
根気が無くなっていて、丁寧に掘り進むのが難しい。
一気に深く削りたくなってしまう。
薄く薄く軽く軽く、出来上がりを想定して丁寧な作業が必要なのに、
別の講師の先生に「作る物のイメージが定まっていないね」と。
はい、心の中は「犬も食わない冷戦」で一杯。

簡単にできる陶芸教室―作りながら基本を学ぶ

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趣味の陶芸―入門陶芸教室 (レッスンシリーズ)

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皿は縁の部分を良く固めて丁寧に触っておいて下さい。
小さな亀裂からあっという間に割れてしまいます。
粘土も空気が中に入っていたら、焼く時に爆発するだけではなく、
隣の作品まで一緒に割る事もあります。
焼いてみないとどんな感じに仕上がるかわからないし、
釉薬を描けるとお化粧して化けるので、自分の作品がわからなくなります。
しっかりサインを入れておいて下さい。


伸ばされた一枚の粘土板に、ざっくり切れ目を入れて縁を重ね、
無造作に大皿の造形をこなす講師の手元に、はぁー。
ちょっと折り曲げるだけで、皿らしく見える。
何だか風情のある、ちょっとしたお料理を盛る皿に。
粘土板を折り曲げる、角度をつける、その何気ない仕草に、
皿としての自己主張が次第に表れてくる。その不思議。


今まで手捻りや轆轤を扱ったことはあったけれど、
成型して中身をくり抜き香炉作成というのは、初めての経験。
外側を削って模様を付けたたことはあっても、内側を掘るのは、
これまた結構時間が掛かるし、掘り出した刷り屑の積み重なりの方が、
より現代アートめいて、素敵に見える始末。
自分の作っているものは、平々凡々、省エネの手間隙のかけ方。


辺りを見回せば、屋根に煙突、降り積もる雪、切妻屋根、
工夫を凝らした窓、水車小屋の風情、瓦屋根らしい模様、
みんなそれぞれ工夫を凝らしているというのに、
私の藁屋根、茅葺屋根の小屋は、香炉の前に家として形が変。
うーむ・・・。なじょんしたもんか。


いいですか、2ヶ月近くゆっくり乾燥させて水分を飛ばし、
ひび割れを入れないように焼いて、皿に上薬をかけて焼くと、
土を練った時とは全く違う作品になります。
どんなふうに焼きあがってくるかは釜次第なので、
自分の腕前よりも、釜の機嫌次第と思って作って下さい。
作品の良さ、美しさというものは、人間の手でどうこうして生まれる、
そういうものではなくて、工夫を超えた所に予期せずして生まれてくる、
無理に力でねじ伏せてどうこうして生まれるものではなくて、
偶然の中から生まれたものに、自分で目で美を発見できるかどうか、
どんな美しさを見出せるかです。
創り出すということは、発見できるかどうか、
自分がどんな発見をできるかどうかということです。


ああ、先輩らしい言葉だなあ。
時々部屋にコーヒーを飲みに来ては、四方山話をしていたね。
去年までは・・・。もう今は、仕事のことは忘れてしまったというけれど、
細々としたことを気にしていたら持たないぜ。
どこにでもあることをこれからまだまだ色々あることを、
気にしていたら体が持たないぜ。
先輩はそういって笑った。


陶芸教室に参加して、4時間。頑なな心は少しはほぐれただろうか。
哀しい気分のまま、作品を乾燥室に運ぶ。
娘の大皿には太陽が笑っている四季の絵。
私の香炉は雪を被った一軒家。
今日は昨日より最低気温、マイナス11度だそう。
ふぅ・・・。

写真で分かる!図解 やきもの教室

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