Festina Lente2

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よかよか

遅ればせの年賀状から年若き知り合いが積年の望みを達成し、
書道の講師として3校掛け持ちしながら頑張っていることがわかった。
ちょうど娘が冬休みの宿題の「正月」の書初めを書き終えた今日。
嬉しいニュース。初志貫徹したんだねえ。
転学し、女子高から共学へ。習い事を一つの仕事に。
今どき書道を志す人なんて少ないから、立派だと思える。


水書道で練習、北野天満宮へ。昨日今日と、娘は筆を取った。
よかよか、ささやかだけれど筆を持って書いてみた。
それは、人生で始まったばかりの書道とのお付き合い。
鉛筆やボールペンと違って、太筆の感触は体で覚えて、
自分の体を文字に仕立て上げていかなければならない。
私は今でも書道を習わなかった事を後悔している。
歌が体を楽器に使うように、文字を書くという行為も、
実は体育会系に近い鍛錬を必要とする。
繰り返し練習すること。それができるのは、
恵まれた冬休みであったのだ。よかよか。上出来だ。


明日から3学期。子どもが散らかしまくった部屋の中。
赤いランドセルに宿題。こちらの物差しで計ってはいけないのだろうけれど、
この程度の宿題でいいのだろうかとちょっと眩暈がするけれど、
そこは太っ腹に構えて、「よかよか、上出来じゃ」と褒めてやるのが、
親の度量と言うものなのだろう。本当は苛々しながらも。


でも、よかよか、と思えることが沢山あった今年の滑り出し。

ベスト・オブ・ベスト バロック名曲[全84曲]

ベスト・オブ・ベスト バロック名曲[全84曲]


家族誰も寝込まずに年越しできた。
訳のわからないほどの痛みも、足腰の痛みも飲み薬に頼らず、
仕事に出れば薄らぎ、コントロールできた。
婦人病ならぬホルモンの影響、年齢のなせる業、プチ鬱の余波。
そういう物を乗り越えて、起きて食事をして仕事ができる。
そこそこにこなせる。幸せなことだ。
家人は、努力している、今のところ。よかよか。よかことじゃ。


何でここで? こんな事を? そんな失敗が続きケアレスミス
どころか抜けに抜けまくっている娘の一挙一投足。
しかし万事抜かりなくやりおおせるいい子でなくても、
抱っこをせがみ、すりすり擦り寄って来る愛しいわが子よ。
叱られても雷を落とされても、抱っこしてぎゅっと抱っこしてと、
要求することができる強さ、素直さ。
これをいつまで持ち合わせることができる?
そんな事を考えてしまうかーちゃん。
だって私自身は親にそんなこと要求した事も無いからね。
せがむことができない子だった。


だから、抱っこしてを言える子育てをしたのはある意味良かった。
(娘が小3の今の段階ではそう思っている)
自分がして欲しい事を親に遠慮なく言えるのは、
それも分別のある年恰好の頃になるまでに、「言える過程」を経ることは、
とても大切なことだ。私みたいに永遠の欲求不満にならないで済む。
我侭と甘え、自己主張は紙一重の部分で繋がっている。
上手にバランスを取るのは大の大人だって難しい。
充分に甘える事を知っている大人は、甘えることの醍醐味がわかっている。
だから人を甘えさせる事も出来る。


甘えたことの無い人間は、上手に甘えることの出来なかった人間は、
素直さよりも無骨さ無愛想さの方が表面に出てしまう、
妙に醒めて理屈走った言動、代償でしかない欲求不満解消法を身につけて
自分の本心を隠して、取り繕って生きていくよりは。
まあ、「いい年」して子供帰りしてしまっては何にもならない。


「抱っこして」が寂しい気持ちの裏返し、まだまだ甘えたい自分と、
色んな出来事の中で不安になっている娘の気持ちの表れだということが、
わかっているだけに切ない。おませなようで、実は口下手。
口が立つようで、実は強がって何もいえない、大事なことは口籠って言えない。
そんな年頃の娘が、本当に口をつむんで仕舞わないように、
どうやって見守っていればいいのか・・・。


かーちゃんは悩む。でも、それが親としての悩みどころだから、よかよか。
これもよかよか、当たり前のことだ。
そして今、まだ口に出して自分の気持ちを見せてくれる娘がいる。
甘えてくれる娘がいる。だから、それがよかよか、いい事じゃ。
そう思ってこの時期を過ごそう。


京都に出向いた折、娘のデジカメを覗いてみれば、手ぶれだらけの映像。
よくもまあ、デジカメでよかったと思えるほどのピン呆け映像の多さ。
でも、これがいつの間にかしっかり脇を固め、きちんとした画像が取れる頃には、
試行錯誤の繰り返しの果てに、娘独自のファインダーが確立され、
確固たる個性、ものの見方・考え方が立ちはだかり、
親子の軋轢も強くなっていくことだろう。


今はまだ、柔らかい心、しなやかな体。ぶれる視点。
そのカメラの視線、・目線の高さの向こうに娘の見た景色が広がる。
おお、小難しい歴史的な説明などしなくても、わかっていなくても、
娘の心は仁和寺の書院の襖画を捉えている。
白書院・黒書院の絵を。堂本印象の絵を写している。
冬であっても美しい庭を、実を付けた右近の橘を。
自分の目で見て心惹かれた景色を写し込んでいる。
よかよか、それでいい。


日常生活の中での軋轢が増えていく中。
自分自身がぐうたらで至らず、手抜きをして育て切れていない、
反省しても取り戻せないことが多くなってきた今、
まだ間に合うことは何かなと情けなくなることが増えてきた今、
自分を信じて、子供を信じて、まだまだ歩き続けていかなければならない今。
牛歩で歩む新年、丑年の松の内が終わろうとしている。
明日から3学期。

じょうぶな心のつくり方

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心の持ち方

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