Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

プラスのストローク

書類入れを整理していたら、去年ミニ・コラボレーションの
ワークショップをやった時の言葉のコラージュが出てきた。
娘と私が作った土台に参加者の一言と、
くじ引きで引いた言葉が重なって作られた切り貼りだ。
七草粥の代わりに幾つか、今回の試みで
切り貼りされたプラスのストロークを拾ってみよう。


「ワタシらしく夢は」「ここでつかもう」−友・愛
「聞こえる」「やりたいみつけました」「あなたの夢をカタチに」−夢・笑
「みらいを体験しよう」「あなたの優しいこころがきっと伝わる」
                      「もっと広く」−恋・愛
「みんなちがって、みんないい」「私には未来がある」「ともに学ぶ」−愛・恋
「友達・先輩・先生」「感動できるっていいね」「小さな秘密」−華・友


「やりたいことにチャレンジ」「未来を開く鍵がある」
    「元気いっぱい、夢いっぱい仲間と共に青春エンジョイ!」−虹・楽
「あれも、これも楽しみもあります」「ハート」
               「OPEN」「君には未来がある」−愛・涼
「私が守ってあげる」「our WILL」「情熱と熱意」
      「MESSAGE to YOU 生命の最も輝く時期に、                自分の可能性を思い切り追求しよう」−夢・希
「何を描いてもいいと言われて本当に自由に描けますか?」「自分を大切にする」
        「大好きだから」「変わります」−夢・希


「人生は素晴らしい」「夢をかなえる原動力」「感謝の気持ち、素直に受けとめたい」
「私の約束」−青・空
「夢の形をデザインしよう」「ゆったり、ほっこりタイムといきましょう」
   「まわりと関わること グループをつくること 人生で一番大切なこと」
    「あたたかな心を感じる」− 恋・心
「活躍したい!」「夢見るパワーとはあきらめないこと」
         「ココロをプラス」「憧れた未来の世界」−恋・愛
「笑って泣いて一緒に歌えば、もっと“生きる”が好きになる」
  「あきらめないでほしいから」「しなやかな未来へ」
  「だから、頑張れると思う」−愛・友


こんな言葉達が偶然配られて一枚の紙の上に載っている。(切り貼りで)
そして、勿論その他の単語も載っかっているのだけれど、
さすが年齢の若さが表れているような、大好きな一文字。
そして、キャッチフレーズ・CMから意図的に抜粋された切り抜き達。
こうやって眺めてみると、偶然の産物とはいえ面白いものだ。
言葉から連想される様々なイメージ。色・形・インパクト。
メッセージ性を持たせたいと願っていても、受け取る側がどう感じるかまでは
コントロールできない。まして、自分自身にと思って創りあげたものが、
最終的には他の人へのメッセージに変化していくのだから。

ストロークとディスカウント [認めあいの分析]

ストロークとディスカウント [認めあいの分析]

交流分析―心理療法における関係性の視点

交流分析―心理療法における関係性の視点

  • 作者: ヘレナハーガデン,シャーロットシルズ,Helena Hargaden,Charlotte Sills,深澤道子,篠崎信之,森文恵,満山かおる,室城隆之,門本泉,島田京子,金丸隆太,石井尋子,河合美子
  • 出版社/メーカー: 日本評論社
  • 発売日: 2007/11
  • メディア: 単行本
  • クリック: 1回
  • この商品を含むブログ (2件) を見る


言葉を切り貼りしてつくづく思うこと。文章を書く時に、
何でもいいから吐き出してしまいたい時と、知ってもらいたい時、
記録として残しておきたい時、プライベートな内容出会ったりする時。、
親密さと共感を呼び起こすもの、嫌悪と意外性だけをかき立てるもの、
本人の意図するところとは別の反応が往々にして起こる。
書いた端から言葉が一人歩きするのは、受け手側の感性よる。


公的な発言であれば、明確な意図を持ってメッセージを送るのだろうが、
私的な文書の場合は、あくまでも私小説的に自己満足な世界の連続、
連綿たる「自己の世界」の切り貼りにしか過ぎない。
よしんばよし、このように感じてほしいと思いながら書いたとしても、
それが真意に最も近い形で受け取られる保障もない。


それでも人は言葉を書き散らす。この電脳玉手箱の中で。
写真を載せる、動画を投稿する。孫引きの記事を転載する。
何故? それはクリエイティブな行為? ・・・の端くれだから?
もっとも、芸術家の芸術は下手の横好きの異相。
常に洗練された形而上学的な匠の技の上に成立するとは限らない。
ある種の価値観に裏付けされ、芸術だと見なされ存在価値を持つ。
個人的な感想・感慨・慨嘆とても、個々の価値観に裏付けされて、
意味深に受け取られれば、立派な批評として成り立つのだろう。
ある時は文芸的に、またある時は・・・。


プラスのストロークも同じように、単なる偶然から割り当てられれば、
どこまで個人の琴線に触れるか、ココロに届くものなのか保障はない。
というか、本来の意図から外れる確率は高くなる。
なのに、言葉を目に見える形にして切り貼りにすると、
何かしら具体的なイメージを持って迫ってくるから不思議だ。
耳から通り過ぎていくだけではなく、紙面の四隅を言葉が固める感じで、
受け手の気に入ろうが気に入らなかろうが、厳然として存在する。


おそらく常にこのような守り、プラスのストロークがあれば、
人の心は無意味な楽観主義者にならない限り、前向きでタフなはず。
何かを信じ、夢を見、探し続ける熱意を持てるのではないか。
単に気が多いだけの、浮ついた夢ばかり見るのではなくて。
おそらく岩登りのように、最短のアプローチを必要とする者もあれば、
川下りのように激流に流されぬ絶妙なバランスが必要な場合もあり、
日照りの中を延々と歩き続ける駱駝のごとき粘り強さも、
寒風吹きすさぶ待遇の中を堪え忍び続けるしぶとさも、
時と場合によって必要な何らかの土台のようなもの、
心の基礎のようなものが、プラスのストロークによって強められていくはず。


言葉のワークは無意識を刺激するワークだ。
自分に、自分の未来に、自分の人生に暗示を掛ける。
書いて、目で見て、視野の中に据え、繰り返せば繰り返すほど、
自分にとって必要なメッセージは強調され、吸収される。
それは、常に普段の生活の中に何気なく埋もれているもの。
特別に滋養をつけるためのものではなく、ささやかに、
当たり前に普段からもたらされるものであってほしい。


ここ一番だからと、CM的にどかんと宣伝されるのではなく、
サブリミナルのようにすり込まれる策略的な影を帯びるものでもなく、
その人を取り巻く環境から、彼・彼女を大切に思う人間から、
年に一度言われる言葉ではなくて、日常生活の場面で、
常にやんわりと差し出されるメッセージであってほしい。
心の土台を支えるプラスのストロークは、日常生活を支えるもの。
けっしてよそ行きの言葉であってほしくない。


神からのご託宣のように、仰々しく語られる説教じみたものではなく、
日々のお総菜・食べても飽きない常備菜のように目立たず、
それでいて心身にしっくりなじむような、そんな言葉であってほしい。
特別な言葉は、実は何気ない日々の言葉なのに、
イベント化したがる現代の傾向は、箴言・金言・名言的なものを、
CM的に取り上げ過ぎなのでは・・・と不安になる。
(そのくせ、古来から言い古されてきた言葉・メッセージを
 余りにも知らない今時の若者なのだけれど)


うわべだけの格好いい言葉に刺激されたり、
先取りされたイメージに押し流されることなく、等身大の自分を支える言葉。
プラスのストロークは企業戦略的なCMにのっかるのではなく、
本当の自分らしさを忘れずに自信を持たせてくれる、
客観的に自分を見つめる力を育ててくれる、そんな日々の言葉であってほしい。
流行の中であっという間に消えていく言葉ではなくて、
古典のようにいつまでも残る、当たり前の表現の中に存在する
プラスのストローク。時代が変わっても通用する、
時代が変化しても人は生き抜かなくてはならないから、
ありきたりの当たり前の言葉で欲しい、プラスのストローク


肥大化しやすい自己を抱えがちな若い時期、この時代、今の時代だから。
ワーキングプアとか言いながら、開き直って夢を軽薄短小させることが
逃げ道のようになっている今だから。
若いみんなが大好きな文字を貼り付ける、その願い・関心・思いの裏にある
未来への不安、自分にも相手にも欠けているものを欲する切なさを、
揺れる自分を支えてくれる一言が、日常生活の中でやりとりされてほしい。


それは昔々の私にも、今の私にも願う一言。欲しい一言。
この、今の年の私にしっくり来る言葉が何なのか、
ふと、探したくなる今日。
七草粥の滋養を求めて。ご馳走ではない、
日常の心の滋養を求めて。

子育てに活かす交流分析―心地よいコミュニケーションを目指して

子育てに活かす交流分析―心地よいコミュニケーションを目指して

言葉を変えると、人生が変わる?NLPの言葉の使い方

言葉を変えると、人生が変わる?NLPの言葉の使い方