Festina Lente2

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Yの悲劇

昨日のTVのことがあちこちで話題になっている。
そう、NHKスペシャル。女と男。切り口が面白いし、衝撃的な内容だし。
Y染色体はコピーミスで遠からず消え行く運命。といっても500万年先。
そんな未来まで人類が無事にいるかどうかわかったもんじゃないけれど。
弥勒菩薩が有象無象の私達を救いに来るのは、それよりも遥か未来だしねえ。
進化のお陰で余計な御世話って付録が、遺伝子のコピーミス。
そう捉えると身も蓋もない。


Y染色体、遺伝子の持っている生物学的な虚弱性に対しては、
精神性を優先させた生殖形態が劣性遺伝子を存続させ、
猿並みの乱婚が優生学的見地から望ましいなんて、
単純明快な解釈を招きかねない。
配慮は必要、だから打たれ弱い、みたいな。
かわいそうなY染色体の未来。何だかなあ、人間の在り方。


そりゃあ、強いものが生き残る、弱肉強食が基本ルール。
欲張って当たり前、悔しけりゃやってみろ精神が、のし上がる基本。
少々のことでめげていちゃ、世の中やっていられませんぜ。
生き馬の目を抜くじゃなくて、猿並みに頑張れって、
そんな下世話な話になったら・・・。
優秀な遺伝子だけ残してコピー、クローン体にして人類の未来に残せば、
というSFを地で行く話になってしまう。
アメリカが既にそうらしいけれど。


女性のペアが男性から精子を提供してもらい、出産。
結婚相手は同性だけれど、子どもを持つことは可能。
女性のペアと男性のペアで、擬似家族として寄り合いながら育児。
まあ、寄る辺ない孤児は共同育児が当たり前で、
寄る辺ないこともないけれど、育児には人手が必要で、
いずれにせよ、親以外の顔を沢山見せて子育てして、
コミュニケーションの幅を広げるのは、それなりに必要なことで・・・。
まあ、こういう選択肢もありかと思ってTVを見ていたが、
拒否反応の強かったのは、家人だった。

ノーベル賞受賞者の精子バンク―天才の遺伝子は天才を生んだか (ハヤカワ文庫NF)

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DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?

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「こんなのは、家族じゃない」けっこう怒っていましたね。
でも、私は結婚する前は独身の友達と「光の家」じゃないけれど、
マンションか、一軒家でも買って部屋をシェアして、
もしくは近くに住むようにして、共同生活を半ば計画していたから、
それほど受け入れられない話でもなかった。
子どものいない生活の未来を、どういう選択肢から選ぶかと同様、
子どもを育てる未来も、多様性に満ちている。


それを既存の価値観のみに従い、従来の概念に基づき維持するかどうか、
別問題だと思う。御家大事の時代には、養子縁組は華やかだったし、
能力のある次男三男は、見込まれて入り婿、権力地位財産を手に入れるのは、
珍しいことでもなんでもなかった。恋愛結婚がご法度というより、
何を維持させるかが問題であって、身分制の維持以前に、
能力優先の世の中があった。子どもがいなければ、見込んだ養子を仕込み、
育て上げて、家を継がせ、それが当たり前。


芸術、技能、文化。目に見える伝承すべきもの、目に見えぬ無形の財産。
いかにして伝えていくかを優先した場合、身分制もさることながら、
能力の有無、敵不適が左右したわけだから、
子育てにおいても、子どもを次世代に残すという選択が一番ならば、
その養育の形は心身の形成を損なわない限り、従来の価値観に縛られないものも
当然出てくるだろうと、あっさり納得していた私は、家人の反応に少々驚いた。


当節結婚したかたらといって、子どもに恵まれないのは珍しいことではない。
不妊治療が盛んなのは、その背景が厳然として存在しているから。
出生率の低下は、晩婚化だけではなく、若くして結婚したとしても、
子供が授かるかどうかは別問題だということ。
バースコントロールをしなくても、欲しくても産めない。
この厳然とした事実。Y染色体が様々な要因によって、弱っていること。


命の神秘は試験管の中で、シャーレの中で、特殊なスポイト、注射針の向こうで。
小さな親切、余計な御世話のお陰で、更に弱い遺伝子が生き延びてしまったと、
優生学的に結論付けることが、重要? 
未必の故意のようにY染色体のコピーミスが、より良い方向への突然変異ではなく
人類の設計図の中に織り込まれているならば、洒落にもならない?


Y染色体からの遺伝子の情報が無ければ、胎盤を作れない母体。哺乳類。
将来その遺伝子だけ量産して、単性生殖なんてこと無いだろうなあ。
まさか、本当にそういう未来が、借り腹と揶揄された封建時代のように、
代理母出産のように、女性の胎が単なる生殖器官と化すのでは・・・。
まあ、そういう近未来というか実際にあってもおかしくない、
事実は小説より奇なりの世界が、既に始まっているのかもしれないしね。
精子バンク」があるならば、「卵子バンク」だって当たり前の世の中。


悲劇はY染色体だけではない。誰にも出会えず散っていく、無数の卵細胞。
卵母細胞から成熟して生命のリズムを持って、波に揺られるが如く、
体内から外へ運ばれていく、その卵も寂しい。
遥か彼方から進化の過程を一瞬にして駆け抜ける、その冒険を知ることもなく、
針の穴だけの大きさで、どんぶらこと流れて行って、さようなら。


恵まれた高齢出産で娘を得ても、二人目不妊だった私は思う。
Yにも悲劇があるように、Xにも。
Yだけに責任があるわけではなく、Xにも・・・。
そんなふうに配慮できる精神性が、生存競争の敵だったとは。
家人の動揺と憤慨の向こうに、私は複雑な気持ちになる。
健全な、何をもって健全な?
私達を人間を、生殖の神秘と驚異から遠ざけているものは、
後天的な理由は山ほどあるのに。


そして、哀しい気持ちで微笑む。
誰が私に言えるだろう、私の命がどこまで続くかを。
大好きなリルケの詩を思い出す。
誰が私に言えるだろう。私の命が何処まで届くかを。
その、御心を人の手で左右する時代の只中。
癒しなのか、救いなのか、必要悪なのか、偽善なのか。
Yの悲劇か、Xの嘆きか。

授かる 不妊治療と子どもをもつこと

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ジーン・ワルツ

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アダムの旅―Y染色体がたどった大いなる旅路

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