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[付き合い][衣食住]学童・異動・通院

今日をもって学童保育が終わる。昨日のうちに挨拶は済ませた。
先生方の顔ぶれは変わるけれど、3年間お世話になった。
それは心から有難い。ただ、学童保育は基本的には保育園と違い、
躾をきちんと、お友達関係に気を配るという心細やかなものではなかった。
子供たちも保育園時代よりも大きいという事もあるのだろうけれど、
親が迎えに来ない子供は集団下校で帰ってしまうので、
ほかの親御さんとの交流も保育園時代よりも少なかった。
それに学童は保育園と異なり、5時前に終わってしまう。
そういう事もあって、先生方とのお付き合いも少なかった。
子供の旬は短い。保育園6年間を卒園した時の感慨、
1年生に入学した時の感動の大きさに比べると、
学童保育との別れは漣程度に感じる。


今の職場で出会い去って行く人。
問題のある職場に放り込まれて揉まれただけに、
幾らお互い努力していい人間関係を築こうとしても、
根元から刈り取られるような人事異動があるため、
妙な牽制や圧力の掛け合い、相手の様子を探るようなつつき合い、
どこで何を言われているかわからないために、
勢いドライな関係を持たざるを得ない。
真面目に誠実に本心をいう事が難しい職場での別れは、
寂しさよりもほっとするような脱力感が伴う。


年を取れば取るほど、こんな風に半ば達観するように、
さばさばとする思いを別れに感じるようになるのだろうか。
ウエットでなければならないとは思わないが、
もっと別れと出会いはしっとりしているような感覚、
そんな期待や幻想を抱いてこの年まで来ている事が気恥ずかしい。
後ろ髪を惹かれるような物思いに囚われているほど、
今の世の中今の生活はのんびりしたものでもなければ、
深い関係でもあるまいにと思っては見るものの。


それでも振り返ってみると、今の職場に来るまで
そういう人間関係の軋轢に揉まれてすったもんだすることなく、
善意に支えられるような形で生きてこられた事を感謝すべきで、
この職場に来た事が新たな勉強、新たな経験を積む必要があっての
現在なのだろうと受け止めて仕事を続けていくしかあるまい。
いつまで仕事を続けられるのだろう、ここで・・・という不安を抱えながら。
慣れが手伝って不安は減っているようには思うけれど、
その慣れが足元をすくうことの無いように。


さよなら3月。さよなら今まで関わってくれた人たち。
誰と関わっても何も感じずに、何も学べずに終わるということは無い。
今の職場に来て5年。家も保育園も学校も病院もみんな変わった。
私も娘も家人も老親も、それぞれに良くも悪くも変化した。
変化を受け入れる事が、前向きな成長に繋がるのであれば嬉しい。
変化を受け入れる事が、諦めや不平不満・怒りや悲しみとなるならば虚しい。


たった一日で大晦日と新年が切り替わるように、
たった一日で年度末と年度始めが切り替わる。
人の心も体も「けじめ」という言葉に縛られるように、
引きずることは軟弱な害悪のように思わされて、
前に前にと進まされる。進んで行きたいという気持ちが付いて行けないまま、
何事も次へのホップステップジャンプにする事が当たり前、
考えているうちに悩んでいる暇などない。
「進め進め」の掛け声―必要最低限とか、優先順位という流れに
どんどん押し流されて、また新年度が始まろうとしている。


そんな私には道端の花を眺めて、ゆっくり深呼吸できるような時間。
ちょっとした一声。しみじみした語りかけ、気遣いや労りが
落ち込みからの脱出のきっかけになる。
立ち上がりになる。まだ大丈夫と思えるようになる。
こんなことでへこたれるような毎日は送ってこなかったはず・・・と。


仕事を続けてこられたのは家族の理解と助けのお陰。
家人・老親・そして娘。保育園・学童・小学校の先生方。
むろん職場の同僚にも支えて貰った。
甘えたり頼ったりする事が出来なければ、
なんでも1人でこなそうなどと力んでしまえば、
根元からぽっきりと折れてしまう。


家族の病気・自分の病気、治る病気・治らない病気、
繰り返される入退院・手術・通院。
小さなこと、大きなこと。
毎日の生活。日々(にちにち)のこと。
同時進行でこなさなければならないのはわかっていて、
家庭は仕事の葦を引っ張り、仕事は家庭の足を引っ張る。
相互作用で弾みがつく事もあれば、相乗効果で落ち込む事も。


お医者様はお付き合いする頻繁な割に、時間は短い。
しかし、その影響力は大。
世間的にはよく言われるようなな3分間診療+α。
そのαがやはり問題。私にはとても大きい。
例えば、補綴科の先生の治療。
歯科の先生の治療は一般内科に比べて格段に長い。
ある意味毎回小さな手術をしているような感じで、
術野である口腔内と歯に触れる。
その時間たるや、時には1時間以上はざらだ。
(口をあけている時間が長いので大変)
でも、安心して委ねられる。
この時間が、私にとっては大切。


その歯科大補綴科の先生が異動。内心ものすごいショック。
先生によって「口の中の触り方」は、本当に全然違うから。
でも、週一は診て頂ける日があるそうで、ほっと一息。
ある意味、こんな風に歯の治療をしてくれるというか、
女性の手で口の中を触れられる感触の違いというか・・・。
その優しい雰囲気を持つ男性歯科医もいらっしゃるのだろうが、
(男性の先生方には失礼だが)
今まで痛い・怖い・説明が少ないという男性の先生が多かっただけに
余りにも新鮮というか、驚いた歯科大病院での治療の日々。
むろん、女性の先生にも「力技?」という荒々しいものもあるけれど、
全般、「怖くない雰囲気」というのが大きい。
どういう風に説明したものだか。


歯科大にももちろん男性の先生は沢山いらっしゃる。
口腔外科でお世話になった先生の説明や、学生指導の様子は
「かくあらまほしき」仕事の参考になるような点が一杯だった。
ささやかな出会いと別れ。年度末でなくても心に残る。
それとは逆に、人間ドックの先生は仕事とはわかっているものの、
数値に関して駄目駄目駄目駄目と叱られる連続で、
そこまで言われるならば、寿命が知事待ってもいいやと思えるほど
塩分糖分規制の話ばっかりだったなあ。
やる気が出るよりやる気を失くすデータ解説。
先生方、患者の私ってこんなもの。
「叱られた子供が拗ねるような感覚」


そういうわけで、生活の出会いと別れは
励ましや労わりのお陰で、「しんどいのは私だけじゃない」
「辛い気持ちや落ち込みをわかってくれる人もいる」
「つまらないことでも馬鹿にされない」と
思えることで弾みがつくものあれば、
別れが切ないよりも、これで解放されるという
肩の荷を下ろすようなほっとした気持ちになるものも多い。


別れと出会いの年度末、年度始め。
なにはともあれ、さよなら三角また来て四角。
さよなら3月、別れと出会いに、ここはひとまず「ありがとう」。

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