Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

友人にベビー誕生

本日最も嬉しいニュースは、若い友人にベビー誕生。
考えて見れば、15年以上のお付き合い。
彼女は結婚まで10年近く彼とお付き合いし、
ベビーに恵まれるまで更に10年近くを要した。
その間に仕事を続けながら相方を支え、様々な事を乗り越えて、
この3月弥生、かわいい女の子のお母さんになった。
予定日より10日余り遅れての出産。
私と同じように陣痛促進剤を使っての。
母子共に元気で良かった良かった。
いつ連絡したものか、電話したものか、待った方がいいのか、
どうしたものか、いやいや、こういうことは待たなくては。
周囲からあれこれ言われたら結構鬱陶しいもの。
知らせが来るまで待っていなくては。
そう思いながらも、心配で心配で・・・。
無事ベビー誕生、良かった良かった。


ベビーベッドを含めて色々譲ったが、まだまだ譲りたいものは一杯。
女の子の一人っ子。服だってそれほど傷まない。
宝物を数点残して、それなりに使ってもらえればいい。
自分もそうやって色々頂いて娘を育ててきた。
新品でなくても十分役にたった。
布オムツでさえも貰った。服もオムツも涎掛けも、
洗い換えが大量に必要な保育園時代、どれほど助かったことか。
今からわくわく。これから数年譲って行けるなあ・・・。


赤ちゃんを抱いた写真を添えた、友人の便り。
親子3人写真の幸せそうな顔。ベビーはママにもパパにも似ている。
ん? いくら事務方ベテランとはいえ、手紙はワープロ
おっとっと、出産後は目を使ってはいけないんだから。
しっかり体を休めてくれないと。
産後3週間は枕をして、体を横にして・・・。
かつて親に言われたことと、同じことを思っている私。
同じ心配をしてしまっている私。
いくら栄養状態が良くなっている現代とはいえ、
高年齢出産の壁は大きい。体の回復は20代ではない。
用心し過ぎることは無い。体を十分労わりながら、
母になった喜びを体の疲れに「直行」させることなく、
育児に向かい合っていって欲しい。


産後の回復は一人一人違う。20代前半の出産、若い時の体力、
若さは本当に子育てのために必要は体力だったのだ、と思う。
高齢出産者は、ある意味知識や知恵の点では少しばかり余裕が無いでもないが、
体力的には絶対に不利で、省エネを心がけなければ持たない。
昔々、故ダイアナ妃が出産後わずか2、3日でベビーを抱いて
退院したニュースを見た時、驚いたの何のって・・・。
その若さと日本人とは異なる体力の為せる業に唖然。
もっともあれこれ世話を焼いてくれる人も、経済的なことも、
なんら不安の無い彼女ではあっただろうけれど、
世間の注目度に疲弊したことも多々あっただろう。


私自身は不惑の初産だったから、他の人が産後5日で退院のところ、
1週間居させて貰った。退院後1週間するかしないかで、
家にお祝いを持って来られたり、赤ちゃんの顔を見に大勢押しかけられたり、
嬉しいには嬉しいが、体と気持ちがついていかずしんどい思いをした。
親が何かと嬉しさと心配の余り、色々言ってくる。
気持ちは有難いが、ありがた迷惑なことも多い。
そっとしておいてほしいのに、小さな親切余計なお世話。
そのプレッシャーも甚だしい。


友人の手紙にも、そんな気持ちが綴られている。
よくわかり過ぎて、切なくなる。
有難いのだけれど、親の思いと本人の思いは別だから。
子供の顔を見ながら眠りたいのに、疲れているだろうからと、
親が勝手に自分の部屋に連れて行ってしまったり、
何かと物知り顔に指図することに戸惑うよりも、
激昂するような怒りを覚えたあの日、あの頃。


結婚前から様々な軋轢があっただけに、自分が生んだ我が子を、
少しでも義理の親とはいえ、他人に抱き取られた時の苛立ち。
それまでのやるせない経緯を子どもを産んだことでチャラにしてやったと
いわんばかりの変化が疎ましくてならなかった。
猫が子供を産んだ時に気が立っていて、
人間が触った子猫を食べてしまった話を聞いたことがある。
その腹立ちと苛立ちが本当に良くわかった、あの頃。
自分が胎内で育て産み落とした子どもを、囲い込みたくなるような衝動。
周囲が害を為す訳ではないのに、人に近づかれるのが嫌だったあの頃。
二人だけで、親子三人だけでそっとしておいて欲しかったあの頃。


「子を持って知る親の恩」なのに、理性と感情は別だ。
親に対する感謝と愛情を尊敬を抱くことと、当時の自分の感情とは別物。
自分が新たに築こうとしている神聖な世界に
許可無く足を踏み入れられることへの嫌悪感。
自分の領域の中に、割り込んでこられるようなあの感覚。
あれは野性的・本能的な母性というものなのだろうか。
あの衝動的な感情がエネルギーとなって、吾が子を守り育てようとするのだろう。


今だからこそ、年寄りや周囲の人間がベビーから、
生まれたばかりの赤子からのエネルギーを貰おうと、
その生命力にあやかろうと近づいて来たのだということが、
よくわかる。そのかわいらしさに癒されたいということが。
その幼さいとけなさを愛でる気持ちの、切ないほどの思いがよくわかる。
今、10年近く子育てをしてきて、
ベビー誕生にまつわる思いを新たにする時、
私が娘に対して「そんなに早く大人にならなくてもいいのに」
と思うように、かつて母親になった経験を持つ人も持たない人も、
それぞれが自分の人生を重ね合わせて、優しい眼差しを注がずには入られない。
目が吸い寄せられてしまうような、手が勝手に動いてしまうような、
そんな気持ちを今だからこそ、理解することが出来る。
でも、産後間もない当時の私は思い及ぶことが出来なかった。


私も友人の彼女もインドア派だから気力はともかく体力は・・・。
出産後の貧血、なかなか順調に授乳できずに混合。
母乳育児にこだわらず、足りないときは足せばいい。
子供は親に抱っこされ育つのだから、大丈夫。
苛々せずにのんびりゆっくり子育てを味わって欲しい。
子どもは思っていたよりも丈夫に育ち、心配するよりも元気に大きくなった。
そういう幸せを高齢出産後に与えられた自分の幸福を思うにつけ、
「禍福はあざなえる縄の如し」の、人の世の残酷なまでの平等さを思う。
「人生万事塞翁が馬」の背景に広がる世界を思う。
苦い思い出が蘇る。

いのちを産む―お産の現場から未来を探る

いのちを産む―お産の現場から未来を探る

お産!このいのちの神秘―二万例のお産が教えてくれた真実

お産!このいのちの神秘―二万例のお産が教えてくれた真実

生命誕生 受胎から出産、子宮への旅

生命誕生 受胎から出産、子宮への旅


気になっていた。3月半ばが予定日だというのに
一向に連絡が来ない。不安、不安、不安。
便りが無いのは元気な証拠と思えばいいもののかどうか。
暮れに会って元気な顔を見ているものの、お産だけは油断大敵。
何があるかわからない。何が起こるかわからない。
自分自身はたった一度の妊娠出産の経験だけだから、
大きなことは言えないものの、
予定日どおりに赤ちゃんが生まれるとは限らない。
無事に生まれても何事も無く退院できるとも。
思いがけなく早く生まれることも、遅れることも。
妊娠は病気ではないけれど、全く100%安全という保障は無い。


こういう時、気軽にどう? と言葉を掛けるのが怖い。
昔々20代の頃、早くに結婚した職場の同僚に、
年子で次々と4人の子供が生まれ、驚いた。
若くて経済力にも不安がある時期に、何故?と思った。
偶然、何気なくその言葉を耳にした。
「一番上の子に障害があるから、助けになるきょうだいを
 沢山作っておきたかった」という言葉を。
衝撃的だった。長く忘れられなかった。


遅い結婚。子供ができるかどうかわからないと言われる年齢。
ほぼ同じ時期、別の友人も妊娠。私より早く出産。
その後、私も予定日より2週間遅れで出産。
帝王切開後、その後の子育ては順調だったのに、
神様が与えた試練は厳しいものだった。
障害を持つ子どもは親を選んで生まれて来ると言う。
受け入れてくれる親をわかっていると言う。
でも、本当にそうだろうか。
友人からの消息は、障害が明らかになってしばらくして途絶えた。


周囲は「乗り越える」「受け入れる」というけれど、
言葉とは別に生活の上でそれが何を意味しているか、
当事者にしか分からない。語れるようになるまでに、
人それぞれ、受け入れられるようになるまでに、人それぞれ。
私が家族の病気を受け入れるのに時間が掛かったように、
家族に振りかかったことが現実だと受け止めるのに時間が掛かったように。
その家の歴史に、その家の絆に、どんな楔が打たれるか、
どんな恩恵に預かることが出来るか、予測は付かない。


何が幸いとしてもたらされるか、人智の及び付かぬ所で為される。
そうとしか思えないことが沢山ある。
先のものは後になり、後のものが先になる。
人は見たいものを見、聞きたいものを聞く。
目の前にぶら下がっていても、気付かないことは多く、
聞こえているはずなのに耳に入らないことも多い。
だから、きっとこうだったのだ、こういうことだったのだ。
こういう形で恵まれたのだと気付くことができれば、幸い。
恩恵を実感できる瞬間なのだろう。


人の子の成長は早く感じると言う。
本来ならば同じ時期に子育てしてもおかしくなかった。
けれど、私は友人のベビー誕生のお陰で、2番目には恵まれなかったものの、
子どもの成長を見聞きする機会を得ることが出来た。
ありがたいこと。実の子どもではなくても、心に気にかけて、
思いを馳せることができる存在を得ることが出来た。
ありがたいこと。
こういう形で繋がっていけるというのは、ありがたいこと。


同世代の友人達は孫を持つ年齢。私は遅れてやってきた人間。
だからこそ、娘との時間を楽しみ、
若い友人の子育てを温かく見守ることも出来る、
そんな時間を持つことが出来るだろう。
思春期に向かう娘との葛藤に明け暮れながら、
かつての娘の姿をそこに見出し、心新たに娘の成長に向かい合うことだろう。
心穏やかならぬ日々も、触れ合える日々も。


私のブログを訪れて下さる方が、娘の記事に微笑んで下さるように、
誰かがどこかでいつも見守っていてくれる事を、
私達は忘れずに生きていくことが出来ますように。
心から、友人におめでとう。
かわいい女の子に恵まれた友人に。
心からエールを送ろう。
みんなの未来に。

赤ちゃんの誕生

赤ちゃんの誕生

うちにあかちゃんがうまれるの (からだとこころのえほん)

うちにあかちゃんがうまれるの (からだとこころのえほん)