Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

比較するお年頃

心配していた筋肉痛も出ず、いつもの月曜日。そして夕方。
娘を迎えにスイミングへ。元気に? やや元気なく?
どうしたものか、泳ぎ疲れたかな。
最近娘は「落ち込み発言」「ストレス関連」の話題が多い。
毎年検尿の2次検診に引っかかるのは「異常なし」で済んでいるが、
落ち込みとストレスの種は一つが解決しても、新たに出てきて、
消滅・解消ということがない。それでついついグチグチ・・・。


ギャングエイジと呼ばれる年齢。グループで活動し、
グループの行動規範が全ての時代の始まり。
そこで我を張り自己主張することは、否が応でも一匹狼。
娘は何をどこまで意識しているのかわからないが、
いじめにあったり、男の子とやりあったり、
去年3年生の時代は受難の時代であったらしい。


初めて男の先生の担任だったが、かーちゃんよりも年配の先生は、
娘にとっては全然頼りにならな、いい加減な先生と見えたよう。
そりゃあ、男の先生の言うことを男の子達が聞かないのだから、
いじめも無くならないし、成績はともあれ体育の出来るやんちゃはしたい放題、
先生なんか当てにならないとふてくされて勉強もしなくなり、
成績も下がるのも当たり前の3年生の終わり頃。
「1年の時の先生は良かったなあ」
最もこの台詞は2年の時も言っていたから、よほど1年生の先生が良かったのだ。


小学校では1・2年生は手厚く、5・6年生は受験もありそれなりに、
教員配置をするという。(本当にそれだけの余裕がある人員配置か?)
でもって、一番置き去りにされるのは中学年、ギャングエイジの3・4年。
体力も秀でてきて文句も理屈もいっぱしに言い、
グループでの活動が密になる一方、孤立する子どもも目立ち始める。
担任教師の腕の見せ所なのかもしれないが、
現実には新任・転任者を当てられることが多いのだとか。


私自身が小学校時代「自分の生きてきた時間」「生活してきた期間」を
どのように振り返っていたのかトンと記憶もないし、
その頃の日記帳などはみんな焼き捨ててしまったので、
読み返しようもないのだけれど、娘は小学校に入学した頃から、
「お母さん、保育園の時代はのんびりしていて良かったねえ」
草加に居た頃は、図書館も公園も温水プールもあって楽しかったね」
「小学生になってから時間が過ぎるのが早いなあ」
「○○の頃は〜だったのに、今は・・・」
こういう発言が増えて来た。
これって、お子様の発言じゃないなあ・・・。子どもらしくない?


もしかして、私の影響? 
かーちゃんがこういうものの言い方を、よくしているから?
確かに高齢出産のかーちゃん、定年まで干支一回りもないかーちゃん、
振り返り現象というか、俯瞰して眺め見晴るかして眺め、
はぁ・・・とため息をついていることが多いのかもしれない。
行く年来る年ではないけれど、煩悩が多過ぎて、
日々のあれこれにため息をつきながら、ああでも無いこうでもない。
取らぬ狸の皮算用で誇大妄想に陥りながら、ボーっと・・・。
訳のわからない理不尽・一人よがり極まりない比較に明け暮れて、
くよくよ苛々じりじりしているかーちゃんに・・・似てしまったのか?

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「ストレスで一杯なんだよ」こんな台詞も子どもらしくない。
私の独り言や普段の台詞がいつの間にか浸透しているのかも。
かーちゃんとしては気になって、それとなく訊き出さざるを得ない。
娘のストレス、つまり子どものストレスはそれなりにある。
私はばーちゃんじーちゃんとのお付き合いも気にしていたが、
娘の開口一番は、やっぱり学校のことだった。


「担任の先生(今年新任の若い女性の先生)が、
 何回手を上げてもなかなか当ててくれない。」
○○ちゃんは○回中○回も当たっているのに、私は×回だけだ。
・・・そうか、そんなに担任の先生が好きで一杯当ててもらいたいんだね。
認めてもらいたくて、認めてもらいたくて仕方が無いんだ。
「××君は乱暴で勉強していないのに、私や○○ちゃんよりも、
 ポイントカードのポイントが多い。不公平だ。」
どうやら、出来ない子のやる気を出させるために、ポイントカード制導入。
やる気満々の子ども達にとっては不公平感が強いらしい。


「運動が出来るからってクラスのボスになってのさばる××が嫌いだ。
 去年も同じクラスだったのに、今年も一緒なんて・・・」
うんうん、人生そんなふうにどうしようもない奴と一緒の時って、
そりが合わない、毛色が違う、能力に差がある、相手は威張り倒す、
一杯あるってそんな時。おまけに、相手から見たら君だって・・・。
そう、相手から見たら自分がどんな風に見えているかわからない。
休み時間も遊ばずに本ばかり読んでいたり、図書室に入り浸っている奴なんて。
人それぞれなんだけれど、受け入れていくのは大人になっても大変なんだよ。


あの先生この先生、あの子この子どの子色んな子。
比較して悩み、苛立ち、物思いに耽るようになって来たんだね。
愚痴ってワーワー言うようになって来たんだね。
自分に同意してくれる仲間が欲しくなってきた、
認めてくれる相手、気持ちがわかってくれる相手を切実に望むようになって来た。
うん、確かに大きなグループを形成しているわけでも無いけれど、
思春期前期、ギャングエイジの嵐の中でもがき始めているわけだ。


音楽教室ではじゃんけんに負けて、一番難しいパートを弾かなくちゃならない」
勝負は時の運だ、致し方無い。メロディラインばかり弾けたら楽だろうが。
おや、「ツァラトウストラはこう言った」こんな曲をアンサンブルで?
かーちゃんの時代には「かく語りき」だったが、子どもの本だし。
これはね、とーちゃんも好きな映画の主題曲で・・・。
娘の話を聞いているのに、横道に逸れて行くかーちゃん。やれやれ。
娘の音楽教室では上手に弾けて、ダンスも習っていて、体格もよく、
おしゃれな女の子3人、やたら昔風の文系文学少女の娘は
(こういう似ないでもいい所は、どうして似るんだろう)
その雰囲気の違いも気になって仕方が無い。


話題になった盲目のピアニストもプレッシャーの種らしい。
素直にその人の才能や努力を褒め称え認めるよりも、
ハンディがあっても頑張れるすばらしい人と自分との間の遙かな距離、
努力にも質があり、独りよがりのやったつもりではなくて、
努力するにも才能が要るというような、複雑な思いに駆られ、
自分がどこまで出来るだろうか、ちゃんとできているだろうかという
比較のさなかで落ち込むことが増えてきたようだ。


確かに、人間は平等にはできていないから、努力も才能も平等ではない。
その差異の上にどんなふうに自分の世界を築いていくか、
これから比較し続けて辛い思いをすることも沢山あるだろうね。
単純に自分の世界だけを満喫するだけでは満足できない、
君の成長と共に、悩みの種もあちらこちらから芽を出してくる。


あれこれ何かと比較して悩む年頃に突入してきたか。
仕方ない、周囲のことが見え始めてきた年齢だから。
かーちゃんの母親は、「よその家と比較して気にしたらいけないから、
よその家には連れて行かないようにした」とのたもうた。
子供心にも納得しつつ呆れたものだ。
かーちゃんの場合はお仕事しているので、
平日は君を監視することなんて出来ない。(しようとも思わないが)
土日は普段会えないとーちゃんと過ごす日だ。家族優先。
そんな家族のあり方も、他所とは違うと以前から悩んでいたようだが。


それでなくてもあと2、3年もすれば、
友達優先で親となんか一緒に居なくなる。居たくなくなる。
思春期真っ只中の君は、親と距離を取ろうとするだろう。
今以上に。だから、今はまだ・・・。
それでも体の大きな君が赤ちゃんの時のように擦り寄ってくると?
嬉しいけれど、少々気持ち悪い時もある。
勢い余って抱きつかれてよろけるし痛い。
昔と同じようにハグしても、仕切れないほど君は大きくなった。


「沢山ストレスがあるから、サンドバックが欲しいよ」
こんなことを言うようになった君。
だから、押入れに積んだ布団を殴れって言ったでしょ。
襖を開けて「バカヤロー」って。
君も色々抱えてしんどい時が増えてきたんだね。
かーちゃんに抱きつくだけでは消えないような。
比較して、考えて、悩む年頃になってきたんだね。
もうすぐ10歳。これから10年が悩み時。


お互いの気持ちを表現する方法も難しくなってきた。
かーちゃんの年齢は緩やかな下降線への旅。
君は人生で一番急カーブで上昇していく旅。
色んなものを少しずつ手放していく準備をするその中に、
君の成長はあるんだね。
君の成長のお陰でかーちゃんも色々比較して考える。
今まで考えなかったのことを。
お互い色々あるね。

子供の時間―小西淳也写真集

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こどもの時間―同じ空の下で

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