Festina Lente2

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残念だったこと、三つ

まず、皆既日食は曇りで見られなかったこと。
26年後まで長生きするしかない。
残念だと嘆いても、御天気しだいだから。
でも、今日残念だったことに皆既日食の無念さは吹き飛ばされた。

ジンクスと偏見の共通点。起こって欲しくない時に予感的中。
ジンクスはまあこじ付けかも知れないけれど、
マーフィの法則と同じで不安であればあるほど的中率が高い。
ジンクスも偏見も、万に一つもなんていう甘い期待をあっさり裏切る。
「世の中そう上手くいかないのさ、ほうらご覧」という顛末を用意する。
どうしてこうなるもんだか、本当にがっくり来る。


一つ目。学童が無いので娘を参加プログラムを選んで、
公共施設のイベントに参加させることにした。
日替わり半日ずつのイベント目白押し、申し込んで抽選で、
とにかく参加させて様子を見ようという今日、初日。
初めての地域、地区、場所、施設、緊張する自分を押さえ、
午後に一度迎えに来る旨言い含め、仕事へ。
何事も無く終わればいいが・・・。
終わっていなかった。


同学年の女の子と揉めたとのこと。
揉めた背景は職員と本人から聞いた。怪我が無くて何より。
それよりも相手の子に髪を引っ張られ蹴られたのが気になった。
相手の名前も何も教えてもらえないのは保育園と同じ。
子どもの喧嘩に親はで無いのが当たり前ではあるが・・・。
喧嘩両成敗なのかもしれないが、娘の様子を見る限り、
喧嘩慣れしている人間に、一方的にやられた感。
口論になった挙句、口で叶わないと思った相手は、
(娘は口は達者だと親も思う)真っ先に腕を押さえ、
身動きを封じて娘の長い髪を引っ張り回し、
腹に蹴りを入れて来たのだという。


これは小学生のやることだからと笑っていられない。
首のあたりのかすかな引っかき傷も気になったが、
もっと気になったのは、その子が施設の「常連」ということ。
娘の「茶髪の乱暴な子」「私のクラスにはいないタイプ」という発言。
色んな人間がいるからこその世の中だが、
小学生が大人でもすったもんだする人間関係に難渋するのは当たり前、
喧嘩と仲直りの決着は何とか付いても、心配なのは、
「茶髪の子は乱暴」という偏見・刷り込みが残ることだ。


小学校4年生で茶髪で過ごすというのは、中・高の場合より目立つ。
最近はそういう小学生も目立つのは確かだし、?と思えるのも確か。
芸能界や芸能人でも無い限り、中・高生だってある種のパフォーマンス、
自分がどのように見られた以下を前提に自分のファッションを決定する。
ましてやその外見に、「新入り」「初対面」の人間と揉めた際に、
どのような行動に出るかと言うことになると、
勢い親の私も「ああ、そういうことがあったのか」とバイアスが掛かる。
偏見は募る。ステレオタイプに「よくないイメージ」のレッテルを貼る。
牽制し合うだけならともかく、手を出された目を付けられたなれば、
ことは難儀だ。


とりもなおさず大怪我でも何でもなく済んだのは幸い。
いい経験をしたと、今は受け入れておかなければ。
涙の跡が乾くどころか、、話しながらも涙を浮かべる娘の姿に、
かーちゃんとしては思いは複雑だ。
幸い次の日気を取り直して出かければ、同じ小学校の人間が多く安心したよう。
トラブルは起こるべくして起こるが、通り魔的にも突発事項、
交通事故的に、突然、予想外で起こる。
トラブラなければいいなあと親が不安に思えば、
予期不安が招いたかと思えるくらい、的中なのが哀しい。

けんか―その手をだす前に (学校のトラブル解決シリーズ)

けんか―その手をだす前に (学校のトラブル解決シリーズ)



出張がてら隣の県まで出かけることに。せっかくならば、
年賀状のやり取りだけしている友人に会いたいと思っていた。
聞いていたメールアドレスを使っても駄目、電話は通じたが、
折悪しく向こうの予定が合わない。お互い仕事をしているからだが、
なかなか会う機会が無いまま何年も過ぎている。
大人の付き合いとはこういうものだと思っていても、
向こうから連絡をくれるわけではなく、こちらからいつも取る。
やっぱりなかなか会えないジンクス。
望まれていない、望まれない「場」の設定。


電話で話せばいくらでも話す向こうなのだが、
久しぶりという許容範囲の元に、
如才なく話を合わせてくれているのではないかか、不安になる。
再度確認したメールアドレスを使ってもやはり届かない。
届かなければ、私のアドレスで再度確認と話したけれど、
特に連絡も来ない。フェイドアウトして行くような懐かしさ、
同じように今更住んでいる世界が違えば、当たり障り無い近況報告、
それだけで上々と納得するのが大人なのか。


会いたいと思う時、時間と場所の都合が付きそうな時、
それはお互いがそうしようと思わなければ、ただの偶然だけでは会えない。
合おうという気持ちが募らなければ、「場」を生じさせる事ができない。
今回もまた、出張を口実に会うことも叶わずか。
そんな風に気落ちをしてしまう。
相手が自分よりも色んな経験をして、飄々と生きていること。
病気や手術を超えて、親の死を経験して、転職の波を乗り超えて、
柳に雪折れ無しと言いたいくらい、世渡りしている人徳に憧れつつ、
自分にはできない生き方を羨ましくも思い、寂しくも思う。


駄文を連ねることはあっても、実績には繋がらない毎日。
娘に時折「定年後の目標は何?」と突っ込まれ、あたふたする日々。
やろうと思っていた仕事の半分もはかどらず、
思っていることの半分も形にできず、
生活の速度がどんどん落ちて行くような、密度が薄まるような、
そんな不安を横滑りさせながら日々を繋いでいる自分には、
別世界に生きる友人達は、何時もいつも眩しい。
そんな友人に、県境を超える機会に会いたいと、
思い願う自分の甘さが何となく滑稽。


急に電話をしても昔と同じように話ができた、嬉しかった。
そのことを喜ぶべき。おまけに余りに久しぶりに会っても、
お互いの事がわからなければどうする?
でも、やっぱり寂しい。
仕事に追われて、人恋しい気分の自分。
そんな弱い私が嫌い。
昔の自分を探すように、昔の友達に会いたい私。
自分が必要とされなかったように、
娘も招かれざる人だったような今日。
振り返って、残念な気持ちが尾を引く今日。

五つ星のお付き合い (Sanctuary books)

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大人の友情 (朝日文庫 か 23-8)

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