Festina Lente2

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息抜き打ち上げお食事会

音楽教室のサマーコンサートが終わった。
娘の余り上手くないジムノペディ一曲聴いただけで。
仕事があって抜け出すことはできなかったので、
みんなが何をどんな風に弾いたのか、さっぱりもわからない。


おまけに出番最後の娘の演奏に間に合ったはいいものの、
教室に入ってみて驚いた。随分練習生が減っている。
生徒、減。習い事とはいえ馬鹿にならない費用。
はっきり言ってブランド料、場所代、中間マージンとはいえ、
学習塾や水泳教室とと比べても、高すぎる音楽教室
世知辛いこのご時世、やめる人も多かろう。
続けたくても続けられないことも。


それに、個人レッスンとはいえ30分のレッスンで暴利。
その感覚は否めない。
娘が辞めたいと訴える以前に、
「お金が掛かる」ことを親子共々憂えている。
それは他のお母さん方もそう思っているみたいで、
恒例の発表会後の息抜き打ち上げお食事会。
安いチェーン店のハンバーグをぱくつきながら、
子供達は子供達で、親は親で愚痴のこぼしあい。


通う小学校も校区も違うからこそできる、同級生同志のお付き合い。
習い事のママ友達の顔をして、お付き合い。
専業主婦をしながらもパートに出て、塾代習い事代を稼ぎ、
あれこれ子どもに夢を託しながら家庭を維持している。
兄妹、姉妹、一人っ子同士、単身赴任、それぞれの家庭のあれこれ。
子供達は大人の話に興味が無いでもないが、テーブルは隣、別々。


ささやかな打ち上げなのに、選ぶメニューにも悲喜こもごも。
ダイエットだとぼやきながらも、デザートを選ぶ私達。
ボリュームのあるひき肉料理を選ぶ人。
友達と同じ物を選んで食べられないと残す子ども。
うーん、やっぱり私の娘だわ。
食べる、食べる。元気に食べる。

ジムノペディ?サティ/ピアノ作品集

ジムノペディ?サティ/ピアノ作品集

3つのジムノペディ~サティ・ピアノ作品集

3つのジムノペディ~サティ・ピアノ作品集


一人っ子を育てながら、歳だけ食っている高齢出産ママの私。
携帯電話も携帯メールも写メもしない私。
仕事の関係上、仕事の話はしない私。
子どものことを中心におしゃべりをする。
なかなか普段はできないことをする。
何だか普通のお母さんのような気がしてくる。


そう、仕事の話はしない。敬遠されてしまうと困る。
仕事にはある程度のイメージ、偏見が付き物。
それは私だってそう。現場を知らなければ、尚更、
自分の知っていることからだけで、判断する。
人間は思っているほど客観的でもなければ、独善的でもない。
でも、持って生まれたもの、今まで刷り込まれてきたもの、
培ってきたものは、そう簡単には変えられない。
悪意が無くても。


お母さんでいる。同年輩・・・では無いけれど、
同い年の子供を持つお母さんになる。
小学校のこと、友達関係、習い事、きょうだい間系、担任の先生、
悪ふざけ、いじめ、宿題、サボり、嘘をつくこと、
進学、受験、親との関係、単身赴任、そう、世間の噂話。
職場では滅多に話さない話題を、いつもとは違う顔でお喋り。
それはそれでとても楽しい。
仕事から離れて、ただのお母さんになることは。


でも、帰宅してどっと疲れた。
自分の仕事の内容を、愚痴を、日々の生活を話すことはできない。
それが私のルール。それが、生活のルール。それが仕事のルール。
仕事の話題は、お母さんの顔では話せない。
だから、お母さんであろうとし過ぎると、とても疲れる。
哀しいことに、それは本当。
仕事をしている人間は、多かれ少なかれ全く別の生活、
別の顔を持つ。家でいる時とは全く別の。


それは、時と場合によりかなり厳しいこと。
意識せずにやり過ごすこともできれば、結構自分を縛ることも。
それが、生活を守る枠組み。
水臭いとか、そういうものではなくて、
自分の生活を象るものが何か、しっかりわきまえておく事が。
ペルソナを知って、行動する事が。
役割分担で、生活を守ること。


ダベリングかーちゃんには、いつもなれるわけじゃない。
残念ながら。

ママがちいさかったころはね…

ママがちいさかったころはね…