Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

今日はウィンクの日

連休二日目。胃が重い・・・。調子に乗って、食べ過ぎた昨夜。
阪急デパートの改装一部オープンに伴い、ちょっと覗き見したら、
あれも買いたいこれもつまみたいで・・・。
昼食抜きで高野山を彷徨ってきた家人も空腹だったのか、
何を勝っても文句を言わない。(まあ、私のお金だけれど)
催し物会場に上がらないでよかった。北海道物産展だったから、
何を買い出すか分からない所だった。
きっと目に入ったもの気に入ったもの味見したもの、
ほいほい買ってしまいたくなるに違いない。


そんなこんな事を考えながら、一人電車に乗る。
連休二日目、たった一人で丸一日勉強と称して、
家人を、家族を放り出して、一人で過ごす一日。
今日も今日とて勉強会。40人余りが熱心に講義を聴いている。
まあ、その手のことに関わっているからこそ
遊び半分では聞けない内容ばかり。
たった一人で本を読んでいるよりも、はるかに有効と考えて、
後々ディスカッションもあるこの講座に約半年学ぶことで、
頭もリハビリ、心もリハビリ、刺激を受け続けて、
「学び考える」ことについても、リハビリしなくてはならない。


さすがにこのトシまで生きてくると、
大学での専門など吹けば飛ぶようなものだと分かっていて、
そこをベースに更にどんなふうに色んな事を吸収してきたか、だけれど、
脳内マップならぬ興味関心の度合いは、思い返してみると面白い。
結局通奏低音に当たる基本的な部分は変わってはいないのだと、
つくづく人間って根本的なところでは変わらないなと思う。
いや、思い知らされてしまう。


文学少女の昔から、文学・医学・音楽・歴史・民俗学が大きな柱。
それが、心理学や社会学、その他に枝分かれして行っただけで、
興味関心の基本路線はいつも変わらない。
でも、こうなると悩みどころやはまるツボも変わらないので、
余り進歩が無いか。狭く深くではなくて、広く浅くの分だけ、
痛い思いをしながら歳を食っただけ、少々頭は柔らかくなったか。


何しろ今日はウィンクの日。10月10日は目の日だけれど、
10月11日はウィンクの日。何も合図ばかりするのがウィンクでは無い。
片目をつぶるということは、観たくないものを半分隠し、
観たいものも半分我慢し・・・。見たつもりで見ない振り、
見ない振りしてしっかり見ている、そういう技、芸ができなければ、
なかなか世渡りが難しいと、そんな事を考えさせてくれる。

読む目・読まれる目―視線理解の進化と発達の心理学

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眼の隠喩―視線の現象学 (ちくま学芸文庫)

眼の隠喩―視線の現象学 (ちくま学芸文庫)



「剋目せよ」という言葉が流行っているらしい。
注目より、もっと強い意味合いで使いたいのだろう。
お互い見て見ぬ振りをしながら、他人の視線が気になり、
他人の思惑や価値観に振り回され、横並び一戦でやってきた人間に、
今、この場所、この地点、この事象、この事柄をしっかり見てもいいんだよ、
みんなも見るんだから、注目しても構わないよと声を大にして言う。
「剋目せよ」は、盗み見しながらあれこれ思案する必要が無い、
安心してじろじろ見ることが出来る装置として機能している。


人の視線を気にする視線恐怖が多い日本人。
だからこそ、注目、注意、注視、そういう言葉に弱い。
見られるだけで自分の存在の何かが人と違うから、目立つ、目に付く、
目に障る、つまり気に障る存在なのだと拡大解釈しがち。
そのくせ、相手にされないと「無視された」「ネグレクトだ」と拗ねる。
見られることも見ることも下手な人間が多い日本人。


そうじゃない人もいるのだろうけれど、こちらを向けというメッセージは、
何も見ないで済まそうという事なかれの自己中な若者層にも、
非日常を夢見ながらも日常に流されている中年層にも、
きりりとした規範や理想、目標を好む熟年層にも
アピールしやすい言葉なのかもしれない。
「剋目せよ」両の眼(まなこ)をしっかり開けて、見つめること。


日本人は見つめることが苦手だ。じっと見つめることは失礼に当たる。
ラテン系の無遠慮なまでにじろじろ見ることが相手への賛辞や、
純粋な興味関心の表れとして善意に解釈されることは余り無い。
露骨に見ることは、けんかを売ること、いちゃもんを付けること、
「ガン付けた」として、顔を向けただけでも疎まれることも。
そんな日本人はウィンクも苦手。(実は私も)


娘のDS『トモダチコレクション』には、面白い場面がある。
登場人物たちの顔をタッチすると、顔だけがクローズアップされ、
こちらをじっと見返したMiiたちは、顔を赤面させて目を伏せ
「そんなに見つめちゃいやーん」と言う。
又は、目を不器用にぱちぱちさせながら、そそくさとした口調で
「ウィンクの練習中です」と言い訳めいた台詞を言う。


時にそれは顔にくっついたタンポポの綿毛、ご飯粒、天道虫、
葉っぱなど様変わりして、Miiたちの顔がクローズアップされるのだが、
自分では気付かない(視野に入らない)アクシデントに驚き
「取って取って」と彼らは大騒ぎする。
ゲームの中でも見られることは「注目を浴びる良いこと」ではなくて、
恥ずかしかったり、人知れず練習する見られたく無い場面であったり、
気づかぬことへの指摘だったりする。


見られることにいつまでたっても慣れる事の無い日本人。
目立つと「悪目立ち」しているとさえ言われる日本人。
「出る杭は打たれる」と従来言われてきたけれど、
最近では打たれるぐらいでなかったら、世の中ではやっていけない、
目立たなければ認めてもらえないという認知を学習させる、
そんなプログラム、意識改革を話題にしている本も多い。


それでも、そんなに日本人気質が急に変わらないことは、
最新のDSソフトが証明しているわけだけれど、
だからこそ、「剋目せよ」の一言の新鮮さ、斬新さも、
番組や宣伝の中で受けるわけで・・・。
そうやって商品に注目させようとする心理的なからくりのせこさも、
さすがだなあと思いながら載せられている私達の生活・・・。


ウィンクの日。ウィンクの下手な私が心がけていること。
それは、結婚する前両目でしっかり相手を見つめることなく、
結婚することになってしまったのだろう相方に対して、
如何に片目をつぶるかと言うこと。
向こうも同じ事を考えているでしょうが。
いや、両目つぶられているかもしれないけれど。


「結婚する前は両目で、結婚後は片目で相手を見よ」の教えは、
まっこと人生、世渡りに必要な智慧
しっかり会得するのは難しいけれど、今日は10月11日。
バランスよく、片目をつぶりましょ。
いつか来る両目を瞑らなくてはならない日まで、
お互いがお互いを許せる部分をしっかり見つけて、意識して。

ソーシャルブレインズ―自己と他者を認知する脳

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人の気持ちがわかる脳―利己性・利他性の脳科学 (ちくま新書)

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