Festina Lente2

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老父の通院

昭和一桁生まれの老父は甚だ頑健だ。
少しのことで大騒ぎする軟弱な娘とは大違い。
その証拠に少々のことでは医者に行かない。
大丈夫だ、そのうちどうにかなると思っている。
それが裏目に出て、老母である連れ合いが怪我をしても、
大丈夫だ、嫌がっているから医者には連れて行かずに様子を見よう、
そんな風に構えてというか、それって自分が医者嫌いなだけでは。
普通、気にならんか、父よ。
結局私が無理やり連れて行ったら、母は骨折していた。


昭和一桁生まれの父は、まだらボケ母の介護をこなす。
「言ってもわからない」と文句を言いながらも、
まだまだ達者なハンドルさばき、母の代わりに買い物に行き、
銀行、郵便局、農協、保険屋との付き合いをこなし、
気軽にあちこちでかけていく。なのに、通院は嫌いだ。
通院は時間が掛かるし気が滅入る。
なけなしの財布が軽くなる。
美味しいものを食べればいいのに、同じものばかり買う。
同じものばかり食べて満足している老夫婦。


昭和一桁生まれの老父は、一人で大抵のことはする。
料理は下手だが、うどんだのラーメンだのインスタントも辞さない。
というか、母が呆けてから山のようにインスタント食を食べている。
それでは栄養が偏るというのに、麺類が好きなので気にならないらしい。
体を壊してもおかしくないくらいインスタント。
少々呆けていても、母は決してレトルトを食べない。
傷んだものでも、レトルトでなければ食べようとする。
この差は何だ? 


昭和一桁生まれの老父は、家事をこなす。
洗濯もアイロンがけも嫌いではないらしい。
掃除は苦手なようだが、掃除機が嫌いなのかな。
ボタン付けも平気らしい。工学部の繊維科はマメだ。
壊れたウォシュレットも付け替えるほどに器用だ。
農作業も黙々とこなす。「緑の手」とは言いがたいが、
鶏糞も堆肥も父の手で撒かれている。
庭兼畑の水遣りも。植木の剪定も。


その植木の剪定で腕を痛めたと言ったのは、9月下旬。
娘の誕生日には家族全員でお食事だったのに、
10歳の誕生日だったのに、老父と老母は家にこもっていた。
孫の顔を見ながら、家人共々一緒に食事をする、
一つのけじめとして集う、そんなことができなかった9月末。
親子3人だけの食事は気楽だが、どこか寂しい。
無口でしゃべらない気難しい母とは異なり、
おしゃべりで明るい父は、末っ子らしいムードメーカーだ。

半戦中派―昭和一桁生まれの青春期

半戦中派―昭和一桁生まれの青春期

父親の品格

父親の品格



その父が、ドクターショッピングをしている。
剪定で痛めた腕や肩、背中の痛みが消えないと不平不満を漏らす。
痛くてあごまで響くので、食事がまずいと文句を言う。
それ以前に、老父は食事の合間に盗み酒で痛みをごまかしていたのか。
盗み酒で少々の痛みをごまかし続けて来たのが、効かなくなったのか。
ペインクリニックで背中に注射をしてきたといい、
整形外科で写真を撮って、首に骨棘と言われたて気にし、
痛み止めや湿布を貼りまくり、それでも痛みが引かないので、
大きい所で診て貰うとぼやいている。


医者嫌いの父が、痛みを取りたいと必死になっている。
そこまで痛いのは、痛みのサイクルに陥っているのは、
剪定がきっかけ? それとも「世話をする」と言い張って、
母のそばにいるのが疲れてきた? 
何もかも自分でしたがる、迷惑をかけないで暮らせると、
「できる人間がすればいいことだ」と何でもこなしてきた父が、
治せない「痛み」に別人のように尖って行く。


いつから、父はこんなにイライラするようになったのか、
痛みが不安を煽るだけなのか。
食欲も無く、湿布や痛み止め、注射も功を為さず・・・。
それにしても、焦りすぎだと当初は思った。
痛めた筋肉、筋、結構長く痛みは続く。
大きな痛みは引いても疼いたり、びりっと走るものがあったり、
テニスひじの経験のある私は、一箇所の痛みが複数の痛みとなって、
ひじから腕、腕から肩、肩から背中や首、
全身のバランスが歪む感覚、痛みのための不眠を経験済み。


その話をしてみたが、父は納得できないよう。
というより、痛みに侵食されてしぼんでいくよう。
食べられず眠れずというパターンに陥ってきている感じ。
今までの父に無かった、ドクターショッピング傾向。
それは何故か。父曰く、「薬だけ出そうとして、
診察しようとしない、ヤブだ。看護婦ばかり出てくる」とのこと。


整形外科は1度診察してレントゲンを撮り、その後点滴。
飲み薬と湿布10日分。その間に痛い痛いと通院しても、
点滴しましょうねと看護師が出てきて、診察がないんだそう。
痛みの不安が強い分、直接体を診てもらいたい父にとって、
なぜ点滴で帰宅させられるのか、牽引もマッサージも、
暖めや電気も無く、点滴だけなのか理解できなかったらしい。
私が一緒に行った訳ではないので、詳しいことがわからない。


父がまだまだ自分で運転できる分、父の通院を危ぶまなかった私、
自分で医者に通っているのだと安心していた私が悪かった。
そのことに気がつくのは、1週間後。
食欲も機嫌も悪くなっていたと、うすうす気づいていても、
それ以上何も無いと思っていた自分がのんき。
痛みは、植木の剪定のし過ぎではなかった。


痛みは、背中の痛み、腕の痛みだけではなかった。
でもわからずに、娘と二人で湿布を張ったりマッサージしたり、
食べ易そうな肉団子スープを作ってあげたり、
そんな日常生活の延長線上で、少しずつ軽快するもの、
疲れや痛みが引くのがいつもより遅い、その不安を、
どこかで見て見ぬ振りをしていたのか、
年寄りだから今までのような回復はありえないと、
細くなりがちな食を、嫌いだった医者通いを、
危ぶまなかった私が、崖から突き落とされるのは
1週間後。

父親 (講談社文庫)

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痛み治療の人間学 (朝日選書)

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