Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

愛犬シロは天国へ

我が家の愛犬、大事な家族、シロが今朝天国へ逝った。
享年15歳。立派な大往生。
阪神大震災の迷子犬を貰って来て、大事に育てた。
じーちゃんが散歩係。去年秋の老父入院の際、
シロは同じように元気が無くなり、獣医に年内は持たないと言われた。
年齢も年齢で、病気で腎臓その他の内臓も弱っていると。


娘が生まれる前から、長い長い間、我が家にいた犬。
賢い番犬、たくさん子犬を産んだ母犬、上品なお嬢様。
でも去年から散歩に行こうとせがんで擦り寄って来ても、
行きは良い良い帰りは怖い。
下り坂は歩けても上り坂はスローペースになり、
晩秋からは抱っこして帰って来なければならなくなった。


目も耳も鼻も足腰も弱り、日向ぼっこの日々。
なのに12月のある日、開いていた門から何時の間にか出て、
いつものお散歩コースへ。徘徊が始まったのか?
迷子になっていたシロを、近所の人が連れて来てくれた。
みんなの顔見知り、シロ。じーちゃんご自慢のシロ。
庭で自由に放し飼いを、その日から繋いでしまったじーちゃん。


色んな餌に薬を混ぜて食べさせ、奇跡のように元気に。
けれど、年末の寒波と共に、体力はがっくり落ち、
何とか無事に年を越し、ほっとしていたのだが。
それは私たちと一緒に新しい年を過ごすための、
シロの精一杯のクリスマスプレゼント、お年玉だった。


食欲が落ち、おしっこがでにくくなり、便に血が混じり、
鼻がカラカラに乾いてぐったり、目で私たちをじっと追う。
ガレージに車を止めただけで走ってくる元気な姿、
それは今となってはもう・・・。
そして、お別れの朝。夜中までくんくん鳴いていたのが、
静かな震え、静かな呼吸、夜明けには逝ってしまった。


さよなら、シロ。今までありがとう。



家人へのメール

昨夜夜中までくんくん鳴いていたけれど、今朝は動かなくなっていました。
Mを起こして、7時半ごろお腹に触らせてあげたけれど、温かかったよ。
じいちゃんと最後の散歩に行く時間まで、頑張って生きていました。
心の中では散歩に出かける気持ちで、天国に逝ったと思います。
阪神大震災からあと、ずっと我が家にいた、我が家で一番長く飼った犬でした。
賢い賢い犬でした。沢山子どもを生んで、番犬としても優秀で、
かわいい優しい犬でした。


私が帰宅するまでに、シロはじーちゃんとMちゃんとばーちゃんで
庭に埋めると思います。写真を撮ってあります。
目を開けたまま亡くなっていたので、ばーちゃんが目を閉じてあげました。
Mのも温かいお腹を触って、目を真っ赤にしました。
この後のじーちゃんが心配です。
今は気を張っているだろうけれど。


私たちが大阪に帰ってくるのを待っていたように、
シロはご飯を食べなくなり、(犬は3日ご飯を食べなくなると死ぬといわれている)
水も飲めなくなり、一日中ぐったり眠って、ぼんやり顔を上げて、
「行ってくるよ」と朝声を掛けると目で追う日々でした。
おしっこが殆ど出なくなり、血便が出るようになりました。


年末は、散歩とおしっこをせがんで朝元気に出歩いても、
それだけで精力を使い果たし、ずっと眠っている時間が増えていたシロ。
横になって動かなくなってからは、死を覚悟している顔、寂しそうな顔でした。
自分でわかっているので、夜に何度もくんくん鳴く日が続き、
実家に帰ってから3日目に亡くなりました。
まるで昭和天皇のように、松の内の最後、7日の朝に亡くなりました。
立派な大往生でした。

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家人からのメール


シロの死に目に会えなかったのが残念です。
最後にもう一度散歩に連れて行ってあげたかった。


昨日は腰が痛くて痛くて、
整骨院にいったのだけどなかなか寝付けなかったです。
シロがお別れに来ていたのかもしれません。


シロを埋めたところにソメイヨシノの苗木を植えてあげたいねえ。


リードを持つと目が見えないはずなのに
小屋から大喜びで飛び出してきて、じゃれ付いてきて、
じーちゃんと散歩にいったばかりなのに
もう一度連れて行けと喧しかったなあ。


シロはチャーと違って、最初なかなかなついてくれなかった。
そっちに行くたびに、チャーはすぐに飛びついてきたのに
シロにはほえられたよ。


昭和天皇がなくなったのも、ちょうど今頃だったね。
早朝目覚まし代わりにテレビがつくようにセットしていたら
突然臨時ニュースのチャイムがなったのを覚えています。