Festina Lente2

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「無縁死」だなんて

昨夜、ワークショップは穏やかに終わったが、この1週間で気力体力を消耗。
土曜日はごろ寝の予定ではなかったはずなのに、駄目だー。
部屋を片付け掃除機が掛けるつもりが、半分も掛けられない。
洗濯物を乾せば、指が千切れそうに冷たい今朝。
各地からは豪雪の便りが届く。アメリカでも大雪らしい。
御雛様を出すつもりで天袋から荷下ろししたものの、
寒さと、疲れがどっと繰り越してやってきた今日、
不本意炬燵猫に徹している土曜日。


疲れたと腰を下ろすと動けなくなってしまう。
せめて何か情報を仕入れようとTVをつけると、
NHKドキュメンタリーのアンコール番組。どれどれ。
この選択がまずかったとは言わない。見て良かったとは思う。
しかし、疲れは取れるどころか、いや増しに増した。
今日のドキュメンタリー番組ははシリアス過ぎた。
映画『おくりびと』の比ではない、リアルな「無縁死」、
ただの「孤独死」ではなく、何故に無縁死なのか。


あの映画だって、主人公が自分や母を捨てて行った父なんそ、
弔う義務は無いと突っぱねてしまったら、父親は無縁死。
誰も引き取り手が無い、受け入れ手が無い、地縁血縁者のいない、
孤独なまま黄泉路への旅を強いられる。
映画で描かれたのはただの一例だが、日本全国このような死者が累々。
その数およそ、3万2千人!


番組「無縁社会 “無縁死”3万2千人の衝撃」
官報に載る行旅死亡人は多い日には10人以上掲載されるという。
アンコール番組で見るNHKドキュメンタリー
「無縁死」はNHKが提示した言葉らしい。
一人暮らし、身元不明、家族がいても引き取られない。
親族がいても誰もどこも引き取ってはくれない。
自治体によって火葬埋葬される人々。無縁仏として引き取られる。
献体として大学に送られる遺体。
1年がかりの取材で個人が特定できた人もいれば、
全く分からないままの人まま、葬り去られていく人も。
どんな生活、知り合いは?


一人の人生、人物像が浮かび上がったものもあれば、
本名・本籍地が分かりながらも身元不明人。
都会に出てきて、親も居なくなり、故郷地元に戻れないまま。
連れ合いをなくし、一人年老いてそのまま。
家族を持つことも無く、ある日突然。
様々な事情で様々な場合を経ても行き着く先は同じ。
官報の10行に満たぬ記事、無縁死。哀し過ぎる。


世代間の断絶、核家族化、単身家庭、ごくごく当たり前の、
普通の家庭でさえも、故郷を遠く離れてしまえば特に、
冠婚葬祭時にしか、いや、その時でさえも顔をあわせない場合も。
能天気な時代を過ぎて、親の事を思うと、
そして自分達の頃を想像すると、更に恐ろしい。


確かに親の代では親戚付き合いはあるかもしれないが、
いとこ同士の付き合いは年賀状程度、殆ど無いと言ってもいい。
私にとって父祖の地は遠い。こんなに狭い日本国内なのに、
結婚の挨拶以来、かの地を訪れたことが無い。
(仕事で近くまで行けたことはあったとしても、個人的にはない)


もしも、将来ある日、いつかはやってくるだろうその日、
私がいなくなって一人っ子の一人娘は、どうなるだろう。
それが遠い未来ならともかく、不意不測の近未来だったら・・・。
そう思うと、確かに心穏やかではないが、どうしようもない。
致し方ない。自分の確保した居場所で自分なりに頑張ってもらうしか。
うわー、どんどんマイナー思考に陥ってしまう。


親きょうだいという言葉が、独り歩きする時代が来ているのだろう。
親戚づきあいと行っても、親がどのように付き合っているのか、
側で見ていなければわからないことが多い。
人間関係・年齢・職業・長幼の序、全く分からない人が増えてきた。
家系図なんぞ持ち歩くわけでなし、普段顔を見るわけでもなし。
ご近所付き合いだって、フルタイムで仕事をしていると、
両隣しか分からない。社宅にいても、殆どわからない。


地域の祭りが形骸化し、子供会や青年会、老人会が成立しなくても珍しくない。
地縁血縁社会が崩壊しているのは、身に沁みて分かる。
もしも、町内会の役員さえも老父が出ていなければ、
まったく「世間とは関わりの無いことで」という渡世人みたいな生活。
職場から一歩離れると、どんな付き合いがあるというのだろう。
どんな付き合いが残されているのだろう。
バーチャルな世界に染まりつつある自分自身だけに、怖い。

もうひとりの「おくりびと」―滝田洋二郎監督の原風景

もうひとりの「おくりびと」―滝田洋二郎監督の原風景

ひとり誰にも看取られず 激増する孤独死とその防止策

ひとり誰にも看取られず 激増する孤独死とその防止策



もっとも、個人的にリアルにお付き合いを広めている方々も。
バーチャルからリアルへ広がるお付き合い。
(出会い系とかいう世界は別ですよ)
現実問題、私にはその時間が持てない。
昔、まだ子どもが小さかった頃や独身の頃、
オフ会というものに参加したことがある。
それはそれで楽しかった、パソコン通信の時代。
行きたいなあと思ったお誘いも一つや二つではないけれど、
そのまま月日は流れ、当時の方々とのお付き合いは無い。


ネット上で親しく(あつかましくも)親しくさせて頂くと、
職場よりも(利害関係が無いだけに)近しいような、親しいような、
そんな気持ちにさせられる。遠くの親戚よりも近くの他人が、
バーチャルな他人になりつつある今日この頃。
孤独死は無縁死は、ケータイ・ネット社会で防ぐことが出来るのだろうか。
そんな思いに浸りながら、暗くTVを眺めていた。
頭の中をマイナーな世界がぐるぐる渦を巻く。


身寄りが無いまま、引き取り手が無いまま、無縁死、3万人余。
これは日本の1年間の自殺者数に匹敵する。両方合わせて6万人余。
日本の人口は「がっつり」減っているわけだ。
(自殺が無縁死の中に含まれる場合があったとしても)
よんどころない事情で、人として生まれてきて人としてこの世を去るには、
余りにも寂しく悲しい姿で、毎年6万人余。全く穏やかではない。
某市の人口分、毎年綺麗さっぱり消えていることになる。
16分間に1人の死。1時間に4人の死。
無縁社会もさることながら、この殺伐たる日本。


例えば国ではこんなページ、http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/index.html
例えば、NHKではhttp://www.nhk.or.jp/heart-net/mukiau/
例えば、こんな支援ページ、http://www.lifelink.or.jp/hp/top.html
ネット社会なので、様々なリンクが張られているけれど、
死にたいと思う人は見てくれるだろうか。http://ikiru.ncnp.go.jp/ikiru-hp/index.html


しかし、「藁をもすがる」気力も手段も無い人が多いのだという。
ネット社会の理想的な? ファンタジー電車男」の話のように、
みんなが力を合わせて誰かの幸福を願い応援する、
そんなストーリーが、そんな仕組みがあれば、
無縁死や孤独死、自殺を防げるのであればいいのだけれど。
そこまで至らない、至れない何かが、日本の社会に厳然としてある。
無理して1週間乗り切ってTVを付ければシリアスなアンコール番組から、
暗い景色ばかりが頭に浮かぶ。
何とも哀しい。


というわけで、本日見つけた希望。明るいニュース。
「シニアネットフォーラム21 in 東京」&メジロ
これからは、孤独にならないよう、地縁血縁とは別の繋がりを、
色んな所で意識して開発していかなくちゃ。
それには将来、こういう所に参加する意識を持つシニアを目指そう。
ただただ、流されて老いていく、追い込まれていくことがないように、
自分の未来を、娘の未来を、みんなの未来を、
「無縁死」3万人の中に埋もれさせたりはすまいぞ。
・・・と、思いながらくたびれ猫の炬燵猫の土曜日が暮れて行く。

正義論/自由論―無縁社会日本の正義 (21世紀問題群ブックス (22))

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