Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

ピアノの先生とスポーツクラブ

新しいピアノの先生に会いに行く。
優しくも厳しそうなお二人の先生に安心しながらも、
気になることは沢山。本当にこの子は新天地、
新しい先生の指導の下、やっていけるだろうか。
本人のやる気はもちろんのこと、
私自身が音楽教室のシステムに取り残されて、
というか、本人が小学校2年生ぐらいから
その能力をストップさせてしまっていて、心もとない。


やれ発表会だコンクールだ、なんだかんだと行事で弾みをつけて、
きちんとルーティンにのっとった授業内容、
レッスン内容を行わないまま、進級テストの曲だけ集中的に練習させる。
名ばかりの進級。本の中の殆どの曲を練習しないまま、
名ばかりのおためごかしのテスト。たとえ下手糞でも落とすことは殆ど無い。
何故ならそんなことをすれば、教室の生徒が継続しなくなる。
レッスンに来なくなってしまうから。


音楽教室のシステム下、がっぽり取られている月謝は、
どれくらい先生の手に渡っているのか。
噂では働かされている割にはお給料は少ないという。
先生方は教室で発掘した生徒を、
自宅個人レッスンに引き込むことは出来ないとか。
しかし、生徒の側としては教室のブランド名でレッスンしたいのではなく、
生徒の個性を見抜き、それなりの授業を施してくれる先生を望む。


みんなと同じカリキュラムで進む事が出来ないからこそ、
個人レッスンだというのに、今まではそうではなかった。
アンサンブルの曲を個人レッスンでも習い、
アンサンブルの補習のようなレッスンを受ける。
コンクールのためだけの課題曲を弾き、
他の曲を学ぶ機会も無いまま続けることに、何の意味があるだろう。


私は古いレッスンの流れしか、知らない。
新しい本で、新しいレッスン曲で習うのも時流かもしれない。
でも、弾けて当たり前の曲を学ばずして、流行の曲だけを追うのなら、
何にもならない。そんなふうに感じてしまう。
新しい曲が必要なのではない。新しい本も。
やらなければならない内容は決まっている。
それをどんな風に学ばせていくか。
今の教室、今の先生では先が見えてきた。


孟母三遷の知恵も体力も無いが、とにかく環境を変えよう。
替えてみよう、新しい先生を紹介して貰ったからには。
かーちゃんは、この数ヶ月少しずつ色々考え、
ご縁があった先生に娘を会わせた。
来月から君は電車に乗って、先生のお宅に伺いレッスンを受ける。

もっと楽にピアノは弾ける―ピアノが大好きになる練習法

もっと楽にピアノは弾ける―ピアノが大好きになる練習法



娘に新しい環境を用意する。
それで、娘が泣いて嫌がった去年の状況がどうなるのか、
思うように変化があるかどうかはわからない。
紹介してくださった方のご縁を大切にし、信じて指導して頂く。
その指導を受ける資格が、娘にあるかどうか、
親の私にあるかどうかは、・・・これから次第。


どうして娘が習い事を増やしたがっているのか、わからない。
私が病院に行かずに、病院や検査の待ち時間にうんざりし、
「緊急性の無い検査」に見切りを付けているせい?
どちらにしろ現実から逃げている、うんざりしているのは自分の方かも。
娘の習い事、職場、人間関係。そして子育てからも。


かわいいかわいいでは済まなくなって来た、娘。
苦手なことには必要以上にしり込みし、素直に反応しなくなり、
屁理屈を述べ、何かと理由をつけて小ざかしくなってきた娘に、
自分自身が折り合いを付ける事が、しんどくなってきて、
面倒な事を人の手に委ねようとしているのではないかと、
必要以上に習い事を増やす事を躊躇してきたが・・・。


ピアノにしろ、勉強にしろ、もちろん友人関係にしろ、
親が手取り足取り教える時代は過ぎた。
口を出すことは出来ても、躾以上のことはできない。
それさえも、何かと話をしているうちに、
文句ばかり言う娘と距離を取ってしまいたくなる。
単身赴任の家人は、軋轢を持つことなく距離を保てるが、
私はそうは行かない。


本の少しで一触即発、何もかも全面戦争。
優しく諭したり、的確に褒めたりする以前に、
「この年で○○が出来ない(反応・対応できない)」ことに苛立ってしまう。
幼いと時は何かに付け褒めておだてて、笑顔で過ごす。
それが心楽しい時間だったが、かさ高くなっ来た今、
そんな心穏やかな時間はほんの少し。
親に見せる顔は一体何処まで自分の知っている娘の顔なのか、
何処までが自分の娘なのか、10歳にしてわからなくなって来た、
そんな気がする。これが当たり前なのだろうか。


新しい環境を用意する。用意されたいのは娘ではなく、自分。
新しい先生を紹介して貰う。新しい人間関係を欲しているのは自分。
電車に乗って通う。そんなふうに通勤したいのは自分。
違う景色、違う人、違う言葉、何もかも。
新しい環境、新しい世界を欲しているのは、自分。
単にその写しのように、娘の世界も連動して動いているのでは?


たまたま転勤の決まった先生とお別れするのを機に、
新しい先生に習う事が決まった今でも、
新しいご縁をつてを頼って動いている今日でも、
自分自身にそういうご縁やつてが巡ってこないので、
プチ欝になっている新年度。
年度は替わっても、自分はそうそう簡単には変えられない。
新しくしたい事が山ほどあるというのに。


自分の甘さ、自分の頼りなさ、ふがいなさ、意気地のなさ、
そんなものに辟易としながら、今日、運動を始める。
病院の超音波でもなくCTの予約取り直しでもなく、
また有給休暇を使うその煩わしさに苛立つよりも
緊急性の無い検査に時間を取られる虚しさよりも、
職場からも遠ざかる。せめて環境を変えるため?


スポーツクラブで筋トレ始めた私。
カウンセリングと称して、超音波で適当な体脂肪を図る
―これだけ筋肉が増えたからもう少し・・・と営業仲人口を利き、
いずれ継続手続きをさせるのだろう。
まあ、1ヶ月。とりあえず。
職場で感じる鬱陶しさを、振り払うにはいいかもしれない。
大好きなプール、水、シャワー、ジャグジー、露天風呂。


娘には新しいピアノの先生。私には新しい居場所。
そんな月曜日。
とにかく日常で行く場所、環境を少しばかり変えよう。
そんな月曜日。