Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

元上司に似た看護師

仕事。保健指導。運動指導。病院。ボランティア。
行きたくはないけれど、人間ドックには健康指導が付いている。
担当は会っているだけで元気が出るタイプの看護師(保健師)さん。
人間ドックも含めて健康指導・保健指導・運動指導。
病気や怪我を抱えているのに、(いるがゆえに)

あらゆる面で信念と紙一重の頑固さで融通が利かず、
「てこでも動かない、縦のものを横にしない」タイプの人間、
それでいて減らず口を叩くか暗く黙り込むか、
その人なりの薀蓄ばかりを語る(体に語らせる)人間ばかりを
相手にしているのだから、鍛えられて
「人間ができている」のも当然だと思う。


久しぶりに会ったのだが、私も彼女を覚えていたし、
彼女も私を覚えていた。
とても小柄で、特徴のある名字。私の元上司と同じ名字。
身長や名字のせいなのか、印象に残っている以上に、
元上司とイメージが重なってくる、不思議なことに。
もっとも、やたらと背が高く、年齢上「おつむりも寂しく」なって来た彼と、
雰囲気が似ているなどと言えば、彼女に失礼なのかもしれないが。


やらなければならない仕事、やりたくない仕事、
本来ならば目を背けたくなるような仕事、
うんざりする仕事、そういうものに対して、
どう対処していいかわからずにウロウロしている元上司は、
悪く言えば頼りない、しかしながら庶民的で親しみが持てる、
上司とはいえ、近寄り易い人だった。


おまけに、その育ちのよさというか、
貴族じみたおっとりした品のよさ、優しさ、まったりさに
ほのぼのとした風情には、敬服するしかなかった。
別にそういう家柄、出自ではないはずだが、
することなすこと「組織の上司」の厳しさよりも、
横並びである労りと痛み分け一筋で来たような感じ。


例えば、悪態を付きたくなるような難事件が起こっても、
彼の手にかかれば、ため息だけで終わってしまうというか、
周囲が何とかするしかないか…とやるせないながらも協力。
何もかも放り出してしまいたくなる怒りも何処へやら。
結局は職務に戻ってしまう。
もしくは後始末(尻拭いともいう)してしまうことに。


「上から目線」ということを知らないのではないかと思えるほど、
穏やかなことこの上ない。温厚な上司に仕えたこともなく、
ある一定の年まで来ると、唖然というか呆然というか、
ちょっとしたことにも、驚き呆れる事も多々。
こちらとしても居住まいを正す以前に、
自然に物腰が柔らかくなるというか、・・・よく言えばそうなる。


ざっくばらんに言えば、上手く言えないが、
「どうにかなるさ」というアバウトな感じ。
くよくよしても仕方がないから、明日は明日の風が吹く
宵越しの金も持たずに寝てしまう。
何処からか金が沸いてくるでもないのに、
心配しても仕方がない、守護天使が付いています風情の、
雅なお公家様のような元上司だった彼。
一緒に仕事をしていると、尽き果てた元気は元に戻らないまでも、
カラ元気が出てくるような、そんな気がしたものだった。


で、そんな上司と印象が似ている、健康指導の看護師。
別に彼女はおっとりしているわけでも、
ほんわかしているわけでもないのだが、
何故か元上司を連想させる。名字以外にも。
どんな課題に対しても、何を答えても、
「頑張る方向」にしか話を持っていかない方針なのか、
「できることから」の一言の元に、やたらプラス思考。
食い下がってくる、食い下がってくる。


例えて言うなら、歩けない患者が立っただけでOK、
「這えば立て、立てば歩め」の親心的な励まし方で、
「現状改善の為の出来ることからまず」思考をぶつけてくる。
彼女の人柄なのだろう。押し付けがましく感じる以前に、
何とかしようかなあという気分にさせられる。
させられてしまうと言うべきか。


これほど色々言われたら、私の性格としてはプチ鬱に
落ち込んでしまいそうになるはずなのだが、ならない。
彼女の持ち味、個性? 何なのだろう?
これはクライアントに接する職業としては大きな強みだ。
話し方? 語調? 雰囲気? 
これだけ強烈なプラスのストロークは、どちらかと言うと
本来ならば嫌味にもなりそうなのに、ならない。
こういう所が名前だけではなく、元上司を連想させるのか。
元上司は守るタイプで、彼女は攻めるタイプだと思うのだが。

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メタボリックシンドロームの予防と対策 特定健診・特定保健指導の課題と提言

メタボリックシンドロームの予防と対策 特定健診・特定保健指導の課題と提言



病や怪我、体の不調ならずとも心の不調を抱えている人間は、
えてして肩身の狭い思いで生きている。
生活習慣病だ、事故や病気の影響、後遺症から立ち直れない、
精神的にも治ろうという前向きな気持ちが希薄だと
非難されて生きることに慣れている。
もう長い間マイナスのレッテルを貼られたり、
(自分で貼ってしまったり)
不調そのものを治す以前に付き合うことに躍起になっているので、
今更切り離して考えることなど…という感じ。


疾病利得にしがみついているのではないか。
仕事や家庭、公にもプライベートにも、とにもかくにも
辛いことがたくさんあるから、言い逃れ。
病気や怪我の中に、過食や気鬱の中に逃げ込むのではないか、
そういう弱い人間は困ると見なされることに慣れている。
あるべき姿を取り戻すべき自覚・尊厳の必要性など、
「正論」をあちらこちらで展開され、
畳み掛けるように追い詰められていくことが多い、現代社会。


ストレスマネジメントができない者は、意志薄弱
管理職の資格はなく、出世コースから外れても仕方がない。
同様に、上司の意を汲んで気働きできない者も
「使いで」がない奴。
以心伝心で動けて「ほうれんそう」抜かりなき勤勉さを求められ、
「思い通りに働いてみろ」などという
見せかけの自由の中で泳がされ、
適度に掻き立てられ、コントロールされる「やる気」。
型にはまった人事評価の中に閉じ込められて、出る杭は打たれる。
ユニークであることは罪、横並びでいろと言われ、
ある時からは自分で何もかもしろと言われ・・・。


つまり、お上の意向が変われば命令一下、
何でも右から左、左から右。
それが組織で働くということ。
自由なように見えて、自由ではない。
能力主義のように見えて、能力主義ではない。
玉虫色に変化する「お上」の変身(変心?)に、
節操もなく付いていける人間が、有能とされる社会。


楽をする人間は、良心を捨てている部分も無きにしも非ず。
滅私奉公は当たり前。要領が悪いのは朴念仁。
出世の階段を上りたがらない奴は、どこかおかしいだの、
世間を見ていないだの、上昇気流に乗れない阿呆だの、
言いたい放題のことを言われつつ、組織の中に甘んじる。


何も耳に届いていないような振りをして、
にっこり笑う業も身につけろと言われ、
言われて何ぼだ、ありがたいと思って成長しろと言われ、
何だかなあ、そんな器用なこと出来ないよ。
そう思うたびに声は出なくなる、何か食べたくなる。


言われっぱなし、けなされっぱなし、見ざる聞かざる言わざるで、
いつどのスタンスで動けばいいのかウロウロしているうちに、
年を重ねてしまった私の体は、検診のたびに※印が増え、
体の持ち主と同じく要領を得ない根性なしの「体力・気力」は、
萎えて行く一方。
そんな私に、運動指導と栄養指導が付いて、どうなるというのだろう?
怪我や病気は一生引きずっていくものとうんざりしている人間に、
「とりあえず、この人の話を聞かないと申し訳ないなあ」と
思わせる看護師。この手の「スグレモノ」は手強い。


その後の栄養指導は真っ向からの正論で、
管理栄養士様は「食事は冷凍保存で乗り切って、
要領よく栄養を取って、足りなければサプリメントで」。
・・・指導を受ける側の私の頭は、空白に近い。
正論ほど耳に入らないものはないなと、椅子に座り続けている。
自分の現場も、これに近いんだろうなあと。


ただ、運動指導・健康指導で褒められたのは嬉しかった。
何しろ病院に行くのが嫌で、筋トレしているのだから。
おざなりのメール指導で、運動していますか?
腹囲は、歩数は、体重はどれくらいになりましたか?と
顔も知らない心も通じない、友人でも何でもない人に訊かれても、
返事をする気にもならない、それは手紙でも同じ。


けれども、高い費用を掛けて個人トレーナと一緒に、
週3回、少々不自由な体を動かすのは、意味がある。
ただそれだけのこと。


なのに、フクちゃんとひそかに呼んでいる、その看護師、
豆しばのような元気溌剌の彼女を見ていると、
かつての元上司と居た時のような気分になる。
では、一肌脱ぎましょうか、そんな気分にさせられるのは、なぜ?
そんな健康指導、保健指導の午後。