Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

橋の話を聞きながら

家人と二人。仕事帰りに待ち合わせ、ナカノシマ大学。
何故なら、今日はあの大阪倶楽部の建物の中に再び入れるから。
由緒ある建物、倶楽部員では使用することの出来ない建物、
(倶楽部内では社員という言葉を使っているが)施設、
それをほんの少し・・・、垣間見ることの出来る機会。


おまけに今日は高飛車な話でもなく、
浮付いた政治絡みのゲストもなく、穏やかに話が聞ける。
それもそのはず、月刊島民の記事に連載されていた「大阪の橋」シリーズ。
専門的な建設の話は置いておいて、大阪の橋を楽しもうという企画なのだから。


バックナンバーで文章も読めるはず。
どうぞ、こちらを
私が知っている橋の名前なんて知れている。
珍しい橋の名前の方が多い。
というか、地下鉄や地名で橋がつくものは多いが、
実際の橋そのもののの名前は、あやふやだったりする。


何事も大げさに言うのが当たり前、八百八橋というけれど、
実際そんなに端の数があったわけではない江戸時代。
大大阪と呼ばれた時代、戦前、モダンな橋や建物がどんどん作られた。
そのころの名残、戦後の復興、21世紀を支える道路、人の流れ・・・。
モノの流れ、様々なものを通すものが橋・・・。


川から見れば橋は邪魔もの、橋は橋なのか道なのか、
それともここから向こうへの抜け道なのか、
橋から見る景色は水面(みなも)を滑り、あちらこちらに続く水路、
動脈とも血脈とも毛細血管とも見える。


どぶ川の匂いを思い出させ、人の行き来に滲む生活感、
ある時は花見、ある時はイルミネーション、
時には一人寂しく歩く凍てつく冬の夜道、
市内に住まない私でさえも、そこここの橋に思い出は沢山ある。



今回は特にナカノシマ界隈。有名な橋どころ。
月間島民に連載されていた当時のイラストと共に、
この連載を担当したポム企画(女性二人組)と、イラストレーター、
大阪市の橋梁担当の方の話を聞く。
若い二人の今風のボケと突っ込みにも似た語り口、
挿絵に関する飄々とした話、今だから言える裏話、
橋梁担当者が設計した有料の橋が、家人共々大阪に戻ってきた時、
家人の社宅に出向く際に渡った思い出の橋だと知って、
その偶然に感慨を抱いた。


大阪市内の「橋の紹介」に興味のある方は こちらへ。
余りの多さにびっくりするはず。
大阪人も知らない大阪の橋。
ちょっと覗いてみませんか。

橋を見に行こう―伝えたい日本の橋

橋を見に行こう―伝えたい日本の橋

世界の橋

世界の橋