Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

気を取り直して

年賀状の返事や後片付けなど、細々とした家事。
昨年出張が多かった分、新年に振り替え休日を貰っている。
しかし、40年近く住んでいる実家を片付けるのは容易ではない。
物があり過ぎる、物がなくならない。捨てないので増える一方。
老父が退職金を前借りして建てたこの家は、田舎仕立て、
つまりパーテーションである襖を取り払うと大広間になる。
欄間をアクセントに作った純和風の家なので、収納場所が無い。
応接間と台所のみが板間作り、現在は維持が大変。


床の間のある奥の和室はもはや物置と化し、
寝室である寝間も居間も応接間までも物が溢れている。
何千冊もの本をどうしたらいいか分からず、
微々たる場所移動のみで、人間の活動できるスペースは少ない。
物の為に人間が隅に隅に追いやられているような家だ。
まとまった休みの日に気休め程度の片づけをしているのだが、
単に散らかし損ねているような気がしてならない。


気を取り直して、その合間を縫って午後に近医を予約、
外れた右上の差し歯と左上の仮歯を診て貰う。
レントゲンを取らずに内部を確かめることなく、
「欠けてもいないし、そのまま嵌まるのでくっつけて置きましょう」と、
右上はそのまま接着。仮歯も仮止め用のセメントで接着。
いつも不思議なのは、口の中を覗くのは医師で、
実際に接着するのは歯科衛生士であること。何故?
噛み合わせを診ようともせず、セメントをぬぐって終わり。
早くていいのかもしれないが、甚だ疑問。


歯科大を紹介して貰っている反面通っているものの、
これでいいのか? どこの歯医者でも接着後の補綴状況を確認せず、
歯科衛生士に任せてカルテに記入させて終わりなのか?
歯の掃除だけならばともかく、いつもいつも。
田んぼや畑が潰されて建っていくマンションの近くには、
新しい歯医者がオープンしている、そこに鞍替え、
様子見に歯のお掃除等をして貰った方がいいのか、
そんな風にさえ思う。


気を取り直して、帰宅、年賀状の整理を続ける。
はっきりと今年で年賀状を終わりにしたいと書いてくる人が増えた。
年賀状だけの付き合いをするのも必要ではない、
片付けるのは家の中ばかりではなく、人間関係も、という訳だ。
メールでやり取りをするほどでもなく、年賀状で近況を知らせる、
形式上の慇懃無礼なお付き合いは、終わらせたい。
要は、あなたとのお付き合いは葉書代さえも勿体無い。
不必要だと宣言されること。
生活のスリム化の影には、選別されていく過程がある。

「医師アタマ」との付き合い方―患者と医者はわかりあえるか (中公新書ラクレ)

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美と礼節の絆 日本における交際文化の政治的起源

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代替わりをして親族の付き合いも、父祖の代から孫子の代となると、
なかなか難しい。ましてや、一生に何度も会っていない親族、
それどころか名前だけで顔も見たことがない人間、
遠くの親戚より近くの他人というが、隣近所の人間、
家族構成でさえも全く分からないのが今の時代。
回覧板はかろうじて回ってくるものの、近所づきあいは無いに等しい。


年賀状の向こうには懐かしい友や同僚の顔があり、
彼・彼女らの若かりし頃そっくりの子供達の顔があり、
遺伝の法則って恐ろしいなあと思いつつも納得させられ、
自分と同じように老けて肥え太った顔や体、表情、
(ある人々は老けてやせ衰えたのかと愕然とさせられ)
写真の背景にある景色、出来事、旅行先や行事、
笑いさざめく姿、ペットとの触れ合い、積み重ねられた家族の歴史、
そういうものを楽しみ愛おしみ、お互いの上を通り過ぎていく時間を、
心の中で反芻して少しばかりセンチメンタルになる。


気を取り直して、思う。
賀状にある顔は笑顔ばかりではなく、見て欲しい顔。
よく知っておいて欲しい顔。決意表明の顔、
家族に加わった新顔、そういう顔が並んでいる。
写真は無くても筆に、画面に、添えられた一言に現れている。
印刷だけで終わっているのではなくて、
それがたとえ、今年で年賀状を終わりにしたいという一言でも、
直筆で添えられているのならば、それはそれで受け止めよう。


自分は忘れ去られるのではなく、嫌われているのでもなく、
捨て去られるのではなく、世の中に流れている縁の糸の端っこ、
ほつれて切れて時の流れの中で消えていく、
遥か彼方に見えなくなっていくだろうフェイドアウトの領域に
たまたま自分がいるだけなのだと。
そんな風に気を取り直して考えよう。


歯も、好きでぐらぐらしているわけでも何でもない。
手入れもしている、歯も磨いている、検診も受けている、
なのに、こうなってしまう。どうしてかこうなってしまった。
そういう縁だったのか、哀しいけれど。
気を取り直して、明日のことを考えよう。


帰ってきた年賀状、新しい住所が分からない年賀状、
返事の来ない年賀状、その向こうにあるものを思い煩うことなど、
気にし過ぎることなど、そんな必要ないと。
気を取り直して、整理して終わらせていこう。
いつか家の中も、人との役職上の付き合い上の通りすがりの、
袖触れ合うも他生の縁の、あるか無きかのそこはかとなき付き合いに、
必要以上に心痛めることなく。
そんな風に思い定めることを意識する今日、正月の五日。

自分をすり減らさないための人間関係メンテナンス術

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