Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

「滑る」と「滑り落ちる」

昨日のスキーがたたったわけではないが、
出かける前から引いていた風邪が悪化して、少々ダウン。
それに、悪い左足をスキーブーツで固定して安定させて滑っているから、
靴を脱ぐと足は軽くなるのに、痛くて歩くのに支障が出る。
冷たい氷点下の空気では咳も出ないのに、
暖かい部屋や車の中だと咳がぶり返す。何とも困ったことだ。


しかし、久しぶりのスキーは心地よかった。
最近運転する機会が減った自分にとって、移動の手段がスピードを伴うというのは、
精神的に高揚するものだと改めて意識した次第。
何しろ、子供の頃と違って走ったり飛んだり簡単には出来ない。
歩いただけでも軸がぶれて足がふらついたり、膝がカクンとする。
年を取るということ、昔の怪我の影響、
新たな障碍が出てくるということはまことに厄介だ。


普段体のバランスが取りにくくても、ブーツを履いてスキーを付ければ、
沢山の支柱を得たようなもので、歩くのは困難でも滑るのは楽。
歩くという移動手段をとらなくても、瞬時に距離を移動できる。
その快感は、仕事上停滞気味な精神には刺激的だった。
ああ、仕事もこんな風に一気に片が付けることができれば。


「飛躍」という言葉、劇的な変化を遂げることを意味する言葉。
・・・日常生活の中にも「飛躍的」な要素を含むものは沢山ある。
物の見方、側面、方向を映し出す光の当て方を変えただけで、
古びた発想が新しい局面を見せ始めて、今までに無かった価値を帯びる。
ある意味、当たり前だと思っていた事柄が失われて
初めてその真価を我々に思い知らせるように。
その時、人の心は飛躍的に劇的に変化する。得て、或いは失って、
その「差」が大きいほど、「飛躍」は鮮やかになる。


健康然り、五感然り、日常生活の些細なこと然り、
全てが飛躍的な要素を隠し持っているというのに、当たり前すぎて気付かない。
人間というのは贅沢に出来ている。
空気のように享受しているものは、手放すまで、その有り難味が分からない。
しかし、年を取り体が思うようにならず、治療が進まない、
取り繕うことが出来ない、一時的な保全によってやり過ごす、
そういう部分が増えてくるに従って、今までの奇跡的なほど恵まれていた状況、
「当たり前」とは何と恐ろしい状況なのかと思い知らされるのだ。


自分の足で移動するいこと、痛みや疲れも知らず飛び回っていた頃。
早足で歩き、階段を二段飛ばしし、高いところから飛び降り、
柵を乗り越え、大股で渡り、小走りし、そんな当たり前の動作に憧れる今。
歩道が無いために歩かねばならぬアスファルト舗装の、
盛り上がった道路の左端に躓きよろめく、自分の足元の不如意なこと。
筋が腱が不安定でハイカットや足底板のしっかりした靴に守られて、
常歩行を保つ足の歯がゆさ。


スキーブーツを履いた瞬間、重い体が再び重くなり、
大リーグボール養成ギブスじゃあるまいし、
足の自由が無くなったと感じるのは暫くの間。
スキーを履いた途端にスピード感溢れる移動が回復する。
長く遠い距離、足裏の痛み、膝のぎこちなさに悩むことなく
長距離を移動しているその不思議さに、
爽快感に唖然としながら滑る心地よさ。

図解 きほんからわかる「モチベーション」理論 (East Press Business)

図解 きほんからわかる「モチベーション」理論 (East Press Business)

モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか

モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか



熱で少々ボーっとしながら、朝寝。
昨日は体力的に少々無理をしたとは思いつつも、後悔は無い。
移動の手段も限られ、融通が利かぬ勤務形態になり、
残業しなければ出来ないことも残業は出来ない形となり、
家に持ち帰ることができなくなった今となっては、
どこをどう削って仕事をすればいいのか、わからなくなってしまった。
仕事の量を減らすのか、質を落とすのか。
小回りがきけば少々無理して仕上げられたものが、できない。
丁寧に時間を掛けることは、許されない。
規定通り規則通り、それで世の中は動いているのだからという。
私は使い物にならなくなった磨り減ったコマの気分。


削られていく給料や手当て。
自由な裁量がきけば、ストレス解消の息抜きもできる。
納得のいくレベルまで自分の時間を削って仕事をしよう、
仕上げようという気概を持つことも出来た。
でも、場所も時間も内容も行き帰りの足もままならなくなった今、
難しい年頃の娘を抱えて働く今、自分の時間を削り、
仕事を必要以上に家に持ち込むことは避けたい。


仕事は自分を助けてくれると思ってきたし、思いたいが、
年齢に合わせて楽で時間を取らない方法に移行することを、
「工夫」という名の元の改悪的な省エネ、
要領のいい手抜きを迫られるようになった今、
今までと同じ「質」を維持することは不可能。
練習しないで本番に臨むような、安易な「飛躍」ではなく、
「堕落」に繋がるような「支え」の無い距離の移動は・・・。


上昇ではなく、落下の感覚著しい職場環境だ。
(それは直接の管理職のせいでも何でもなく、
改悪されていく制度的な側面についていくのを、
生理的に拒否しているからなのだが)
現状維持、それは世の中の変化に押されている限り、
後退しているのであり、落下し続けているに過ぎない。
平行移動というけれど、緩やかな下降線を辿っているに過ぎない。
職場内教育の場は閉ざされ、何もかも一から出直せばいい、
経験は各人の固有のものだから最初からやり直せばいいと?
引き継ぎ受け継がれていくものは存在しないのか?


その時間も体力も気力も残されていない。
ノウハウを知っている人間は、みな退職して辞めて行く世代に。
伝える力量のある世代の人間はどんどん減っているというのに、
更に上の世代には早期退職を迫る。
これが世の中、システム、仕組み、新制度。
時代が変化するってこういうこと?


娘よ、スキーは長い距離を一瞬に滑ることが出来るけれど、
仕事や人生はそんな風に一挙に飛躍的に移動することは出来ない
心や体は一気に変化には付いていけない。
自己や病気で失われたもの、制度改革やお達しで、
朝三暮四のサルの如く扱われている私たちの暮らしの中で、
その変化についていけない部分が悲鳴を上げて、
歩くことを拒否し、動くことを嫌がり、息をすることさえ辛くする。


体は正直。好天のもと、スキーはよく滑る。
背筋は伸び、目は遠くの景色を臨み、息は胸の奥深くに入ってくる。
その心持ちの良さを、日常生活にまで持ち込むことが出来るほど、
今の私は強くはない。慢性的な疲れが加速する年度末が始まる。
「滑る」のでもなく「滑っている」のでもなく、
「滑り落ちている」に等しい日常業務の日々が始まる。


心の奥に、頭の後ろに張り付いた重たいものが、
一瞬取れたかのように感じる休日の後は、年明けから仕事の翳が重い。
飛躍というよりも、加速的なジリ貧状態、
現状維持どころではない事態の収拾に、心は重く微熱を発する。
そんな連休の中日。


せめて午後からは土地神様にご挨拶。
新年の垂水の水を飲みに行く。

リストラなう!

リストラなう!

正社員は危ない! 

正社員は危ない! "リストラなう"を生き抜く方法