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Space Battleship YAMATO

その古の亡霊のような映画だと最初は馬鹿にして見る気が無かった
宇宙戦艦ヤマトのリメイクを見て泣いてしまった。


出かけたきっかけは、家人が「見てもいいよ、評判がいいからね」。
他人の評判をいちいち引き合いに出してくるのに腹が立つのだが、
私自身はキムタクが出ているということ以上に、実写版ということに拘っていた。
何しろ、リアルタイムでTVアニメを見て育った世代。
アニメ映画版の前売り券を買ってポスターを手に入れ、
部屋に張っていた世代なのだ。その私が・・・今更、実写版ヤマト?
あれから30年以上経って、実写版ヤマトを見ることになろうとは。
あの昔懐かしいイメージが壊されそうで怖くて躊躇していたのに、
とーちゃん、他人の評価がいいからぜひ見に行きたいですと!?


という、私の葛藤はさておき結果から言うと、
観て良かった! やっぱりヤマトはヤマトだったということ。
宮川泰のテーマ音楽を聴いただけで涙が出てくるという、
条件反射をはさて置き、配役もそれなりに良かった。
映画の最初の山場、ヤマトがその古い殻を脱ぎ捨て宇宙に向けて発進する、
その最初の難局ではドキドキしながらも、音楽で既にじわーっと涙が。


人物設定も原作とはやや異なり、あれから30年経って、
さすがに今やあちらこちらで男女共同参画社会云々をいうだけのことはある。
映画の中、それも戦艦の中に勤務する女性の多いこと。
かつてのアニメの中では生活班の森雪がお世話係的な存在、
唯一のヒロインだったが、この映画では違う。
森雪は最前線を戦う戦闘機に乗るブラックタイガー隊のエース。
強烈なパンチで文句をつける男を有無を言わさず叩きのめしていた。
なかなかきついイメージで登場だったが、黒木メイサ成長したなあ。


多少の違和感はあるものの、酒好きの佐渡先生も女医、
通信担当の相原も女性と、何とこの戦艦は海外青年協力隊の船か?
余りの女性の姿の多さ、比率にビックリする。
自分の現場より女性職員が多いのでは?
現実の自衛隊や海外の軍の状況、男女比率は知らないが。
いずれにせよ、製作時代が異なるとこうなるのだなという感じ。
有川浩が描いた自衛隊ものの先を行く2199年の設定なのだから、
当然女性の姿が多いのは地球防衛軍本部も同じ状況。
女性の姿が多過ぎて申し訳ないが、ウザイぐらいだった。
(女性の自分がそう感じること自体、認識にバイアスが強いのか?)


HAYABUSA帰還で話題になった「こんなこともあろうかと」で、
懐かしい顔を見せていた技術担当の真田さんはギバちゃんが演じ、
余りのぴったり感、役に嵌まっている感じで笑えた。
しかし顔の表情はどちらかというと、「踊る大走査線」のイメージ。
徳川機関長の西田敏行はまず体型で既に役に嵌まり、
島大介役の緒方直人は父親緒方拳よりも線が細いものの、
その笑顔が何ともいえず温かく、これも原作のイメージを壊さない。


『武士の一分』で見直して以来、キムタクはやはり芸達者だと思った。
この髪型も、アニメの古代進むのイメージに合っていて、
マイクを持った演説姿も、最後の玉砕シーンのシリアスさも、
決めるところは決めるぜの、仕事ができる男のスタイルを印象付けていて良かった。
そういう意味では真田さんを守ったまま亡くなる、武蔵坊弁慶のような齋藤役も良かった。


リアルタイムファンにとっては外して欲しくない数々のエピソードも
映画の限られた時間の中に盛り込めるはずもなく、
オリジナルと異なるアニメ映画の中のエピソードを取り込んで、
実写版はどんどん話が進んでいく。
実写であるが故に異星人を描くのは難しい。
故に、なるほどこういう風に来たかというCG演出に、少々苦笑いしながらも、
往年来のファンを楽しませる趣向を受け入れる。
声だけは、かつてのデスラー総統の懐かしい響き。


新しいファンは古代進のキムタクと森雪のメイサで釣れるかもしれないが、
この映画の観客動員数ははオールドファン、リアルタイムヤマトファンを
どれだけ呼び込めるかという賭けにある意味掛かっていたわけだから、
かつてのファンが家族を巻き込んで映画を観に北となれば、それは成功。
見事に引っかかってきた私のような人間、世代は、
その術策に嵌まった形で映画を観るに至る。

SPACE BATTLESHIP ヤマト (小学館文庫)

SPACE BATTLESHIP ヤマト (小学館文庫)

松本零士監修 「宇宙戦艦ヤマト」 大クロニクル

松本零士監修 「宇宙戦艦ヤマト」 大クロニクル


ある意味、日本人の郷愁をそそる設定、
何故か地球を救うのに日本民族しか活躍していない疑問、
宇宙戦艦を作る技術を持ちながら、放射能を除去する科学力は持ち得ない矛盾、
何故か家族を懐かしむのにフォログラム立体映像でもなく、
相も変わらず紙にプリントされた写真を傍らに携える。
出撃する際に今と変わらぬ方法、これで宇宙空間でもOK?
そんなこと言ったらSF映画にならないだろうと思いつつ、
昔のヤマトのTVアニメ、アニメ映画の記録が脳内記憶から蘇り、
細かいことはどうでもいいのよという作用が働く。
いわゆる経験が見ているものを補う脳の働きを最大限発揮、
ただただ懐かしさに押されて、知っているはずの結末を追う。


新年早々締め付けの厳しくなってきている職場に嫌気がさして、
うんざりしながら仕事をしている人間に、
生き死にを賭けたシリアスな設定の映画を、
昔のような純粋な気持ちで見ているわけではない人間が、ここにいる。
そのことが恥ずかしいのだが、まあ、私が生きている間は、
『終末のフール』のように地球が滅亡するはずも無く、
のうのうとシネコンで映画を見て新年が過ぎているわけだが・・・。

終末のフール (集英社文庫)

終末のフール (集英社文庫)

死神の精度 (文春文庫)

死神の精度 (文春文庫)


ああ、遠い所まできてしまったなあ、35年。
純粋にヤマトの物語に自分の人生や仕事、やり甲斐や生き甲斐を考え、
自分の人生というものを重ね合わせたりしたセンチメンタルな、
真面目で夢見がちな文学少女のあの頃の私はどこにもいない、
今更見つけようも無い、見当たらないのをしみじみと感じながら、
それでも、泣けてしまうラストシーン。(少々ラブシーンが長すぎて、
普通その間に宇宙船爆発しちゃうよと突っ込みたくなるけれど)
そして、エンディング。


男女共同参画社会の映画は、最後の最後まで女性に荷が思い。
放射能除去装置の役割を果たす森雪は、人類の為に生きるだけではなく
人類の未来を託す子孫繁栄にまで関わらざるを得ないのだから。
いわゆる、銃後の守りで産めよ増やせよではなく、
宇宙の最前線で戦って生きて帰って、地球を再生させた挙句、
ヤマトと共に玉砕した男の忘れ形見を産んで育てるという、
これって女性の生き方からしたら、フルコース過ぎる。


そういう過酷な設定(役割期待)をこなさないと、
女性はまっとなヒロインとして認められないのだとしたら、
全女性はヒロイン目指さなくてもいい、他にも色んな生き方があるから、
肩の力抜いて生きてねと、100年後の働く女性にメッセージを送りたい。
そんな気持ちにもさせられてしまう、今の年齢の私。


あれこれいろんな事を考えさせてくれるヤマト、実写版、現代に蘇ったヤマト。
でも、一番嬉しかったのはオリジナルを損なわずに今の時代の作り手が、
宇宙戦艦ヤマト』を『スペース バトルシップ ヤマト』として蘇らせて、
リアルタイムオリジナルファンの目の前に見せてくれたこと。
四半世紀を遙かに超えていても、古びた感、年月を感じさせないで
感動を与えてくれたこと。
自分の涙もろさ以上に、自分が若くないだけに、心持ち古代進の世代よりも、
艦長側の気持ちに寄り添っている自分がいるのが、ある意味苦々しくもあるが。


あ、忘れていたが今日は成人の日だった。
私にとっては追憶に浸る一日になってしまった。

LOVE LIVES

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