Festina Lente2

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シュレック forever

シュレックは英語ではなく日本語吹き替え版で見ることにしている。
娘と見るからという理由もあるが、これは浜ちゃんが吹き変えた、
大阪弁のアクセントの効いたシュレックが何とも言えず、
「当たり役」で、見ていてしっくり来るからだ。
とぼけた雰囲気もよし、緊迫した感じも子供が怖がらないよう、
塩梅よくやんわりと表現される。シュレックの個性が、
アテレコによって十分生かされている、そんな気がする。

さて、今回4作目となるシュレックでアニメ映画の大御所、
ドリームワークは終止符を打った。
おとぎの国を巻き込んでの大騒動をやらかした異端児シュレック
化け物化け物と言われているけれど、この4作目では、
自分の存在を根底から見直すことになり、従来の大冒険とは
やや趣が異なる。フィオナとの関係もゼロからの出発という、
なかなかハードな設定だ。


外見はどうあれ、今やすっかりマイホームパパ化して、
平凡且つ忙しい毎日にうんざりしている様子。
一人子供がいても大変なのに、ましてや三つ子の父親ともなると、
それでなくても国中の人気者、観光客は来る、友達は押しかける、
妻は好きだが、女房の尻に敷かれる形で家事を手伝い、
育児をカバーし、自分の自由な時間はどこに?
まあ、誰でも感じるジレンマではあるが、よりによって
子供の1歳の祝賀バーティで切れることもあるまいに。


「あなたは全てを手にしているのに、何が不満なの?」と
愛する妻フィオナに問いかけられても、一度芽生えた自由への欲求、
日常性から脱却したい気持ちが抑え切れない。
別に浮気をしたいわけでもない、子供が嫌いなわけでもない、
怪物であった頃、化け物であった頃の自分、独身時代の自分、
それを振り返って懐かしんでいるだけなのだろうが、
まあ、昔に戻れるはずもなく普通であれば小さな夢想で諦める。
これが人生なんだと・・・。
何もかも最初からやり直せるはずもないと。
別の人生など選びなおせるはずがないと。
その「ありえないこと」を実現させるのが、
魔法の世界のお約束だから、ある意味始末におえない。
理性にたがを嵌めるのではなく、あっさり外してしまうのだから。
この辺が御伽噺らしい仕立て。


個人のささやかな夢や希望、願いを逆手にとって、
怪しげな契約を吹きかけてくる、リスキーな存在。
ペテンまがいの魔法の契約書に、あっさりサインするシュレック
殿方はみんなその経験があるのだろうか?
何もかも面倒臭くて逃れてしまいたい時、もうどうでもいいやと、
一瞬の気の迷いで遊んでしまう、家庭を顧みなくなってしまうことが?
シュレックが「意識もしない幼い頃の一日」を手放したばかりに、
予想外の展開。


誰もシュレックのことを知らない、恐れられる怪物として、
のびのび自由を味わっていたのも束の間、
(ここで流れるカーペンターズのTop of The Worldに笑える)
それは自分のことを誰も知らないから、なのだが、
それも当然、生まれてもいない存在だから。
何と、「誕生日」そのものを奪われてしまったので、
パラレルワールドに閉じ込められて24時間後には消滅する運命。
渋い設定、危機的状況、さあ、シュレック、どうする?

みにくいシュレック

みにくいシュレック


現実の世界では一度犯してしまった過ちは、取り戻せない。
泣いて後悔しても時間は戻らないし、死んだ人間は蘇らない、
一度失った信頼や愛情は、復活し難い。
いわゆる人間関係において「壊れる」「失われる」ことは、
永遠の決別に等しいことが前提だ。
よく、「やり直す」「出直す」という言葉があるが、
それは言葉の上での「あや」であって、現実には難しく困難。
それを、子供心に叩き込んでおけというのか、この展開。


幾ら後悔して探し回ってもフィオナは見つからず、
やっと出合っても、かつてとは似てもに付かぬ外見、気性。
それどころかシュレックのことを覚えてもいない。
まれてもいないシュレックはフィオナを助け出すことはできず、
ドンキーと友達であったこともなく、
パラレルワールドでは何もかも1から始めなくてはならない。
既存の価値観や関係は何も無い。
それどころか、誰も自分を救ってくれる人などいないと、
頑なになっってしまったたフィオナの心には
シュレックの気持ちなど届くはずもなく・・・。


人の助けや友情を、いつかは誰かが愛してくれることを、
自分の悩みや苦しみを分かち合ってくれることを信じて、
待ち続けること、それには限界がある。
自分で自分を救うしかないと決心した時、フィオナの女性性は失われ、
男性性、いわゆる怪物である側面をプラスに転換して生きていく、
その選択肢しか残されていなかったであろう、パラレルワールド
何だか仕事人間として自分を全うさせていた過去を見るようで切ない。


女性が女性性を切り捨てざるを得ない形で生きていく、
自分の中にあるアニマを捨てて、アニムスの側面で生きていく、
そのとげとげしさと辛さを体現しているような、
パラレルワールドのフィオナは、遠慮無しに相手を叩きのめし、
ぶちのめし、革命を夢見て抵抗軍反乱軍のリーダーとして、
「君臨」「統率」する、いわば体制破壊的存在だ。


24時間、その時間設定、キスで元通り、魔法の世界のお約束、
その枠組みを守りながら、敵の魔法使いを倒せるのか、
本当にシュレックはフィオナを、
かつての愛と友情に満ちた世界を取り戻せるのか、
子供でなくても大人でもはらはらどきどきの展開。
シュレックはもはや緑色の怪物ではなくて、
失敗した自分、何か大切なものを失って取り戻そうとしている自分、
その分身として物語の中で悪戦苦闘しているのだ。


結果として、シュレックforeverはみんなの願いどおり、
元に戻ってめでたしめでたしになるのだが、
何も知らない元の世界の人々とは異なり、
恐ろしいパラレルワールドを経験したシュレックは、
当たり前に平凡にある幸せが失われるようなことは、
2度としないだろう・・・多分。
取り返しの付かないことになるのだから。


自分の周囲にある家族友人、うんざりしながらもこなしている仕事、
今住んでいる場所、二本の手足、目耳鼻口、顔の造作、健康、
普段意識していない当たり前すぎるほど当たり前のことが、
自分に属しているもの、自分の世界に含まれているもの全てが、
当たり前に享受している何もかもが、二つとして存在しない、
かけがえの無いものだと意識していないのが日常生活。
失われたり欠けたりして初めてその大切さを知る。


普通は、大人になる過程でそういう喪失感を体験するから、
自分が得たもの、保ちたいものに執着して家庭や仕事、
子供の存在をぼやきながらも大切にするのだが、
シュレックはそういう成長過程を経てきていなかったのか、
当たり前に「中年の危機」的なよろめきや気の迷い、
非日常的なものへの憧れ、日常性からの脱却を描きたかったのか。
日和見的な蜃気楼に憧れる薄ぼんやりした存在に、
活を入れたかったわけではないだろうが・・・。


よく男性は新しい刺激に憧れ反応し、
女性は今ある状態を維持し保存することに長けているというが、
それは一般論であって、新しい刺激を求める女性もいれば、
今ある状態を保持保全することが生きがいの男性もいるだろう。
単純な男性性女性性の二元論に帰着するつもりは無いが、
「怪物」であるが故に、男性性女性性に含まれるものを、
通常の人間よりも多く持ち合わせているならば、その統御は難しい。
フィオナは元々人間のお姫様だから、その獣性を制御しやすい。
シュレックはそうはいかなかったのだろう。


逆にパラレルワールドで生き残るためには、
フィオナはお姫様である人間性を切り捨て、
その獣性を発揮して「怪物」であるために革命を起こし、
居場所の確保に努めなければ存在価値を見出すことが出来ない。
その世界では人間化したシュレックは小さく小柄で力も弱い。
パラレルワールドの怪物たちはどれもこれも大きく強く、
シュレックの知らない技を持ち合わせている。
ところ変われば品変わる、その世界を旅して帰ってきた、
内面への旅はパラレルワールドへの旅だった。
そこで様々な知見を経て、経験をして、ミッションを達成、
シュレックの「行きて還りし物語」は、終わりを告げる。
だから、「シュレックよ、永遠に」で幕を閉じるのだ。


失われたものを見出し再び戻ってくる時、
それは今までの存在ではなく、今まで以上の存在になって戻ってくる、
物語の王道、成長譚としての枠組を備えたシュレック
娘と共に、(ヤマトよりは少なめの)涙を流しながら、
エンディングに見入った火曜の夜。
今日から娘は冬休みあけの3学期。

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Shrek

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