Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

手術前日

家人が救急搬送、転送、入院して一夜明けての今日。
すったもんだがあったおそおその帰宅後の朝、
さすがに朝寝坊をしたものの、家の中を片付けて病院へ。
入院に必要なものをあれこれ取り揃えるのが上手というか、
慣れてしまっている自分が哀しい。
まあ、これも人生経験のうちの一つか。


ちょっとした身の回りの必需品、あれこれ。
日曜で正式の回診があるわけでもなく、
昨日以上の情報がもたらされることもない。
ベッドが空いていたから良かったようなもののと、
少々恩着せがましく嫌味を言われたものの、
本当の所、6人部屋でも実際空いているというか、
6人部屋を4人部屋に転用しているというか、そんな感じ。


書類や服薬の関係上、一旦家人の単身赴任先まで
出向かなければならない、この往復がきつかった今日。
病院、赴任先、病院、帰宅。これで半日以上潰れた。
その往復中も、病院でも家でも頭の中を離れないこと。
無論昨日からの出来事がくるくる頭の中で回り続けている。
突然の出来事に心がささくれ立っている時だから、
平時では何でもない些細なことも気になり、苛立つ。
心の波風は当分止みそうにない。


運が良かったこと。家人転倒時に傍にいた男性が、
「オレは60の時に大腿骨骨折したけれど、今62でちゃんと歩けて
滑れているから大丈夫やで」と励まして貰ったこと。
痛がっているから絶対骨折、救急車呼んでと言ってくれた人。
本当にありがとう、「治るで」の一言、助かりました。


救急病院の先生、優しくて落ち着いた若い方だった。
レントゲン写真を見せてくれながら、説明。
「基本的にはガンマーネイル法という手術をして、骨を固定、
理論的には翌日から歩けるものですが、リハビリが大変です。
普通の生活に戻れるまで、2,3ヶ月、ただしこれは老人の場合で」
そう、転倒では普通「大腿骨骨折」は老人に多い症例。
若いのに・・・と危惧されたが、私自身は家人の骨密度の低さは
以前から気になっていたので、さもありなんと納得。


朝食抜きの若い頃からの不規則な食生活、事務職、
運動に縁もなく、体も軽く、負荷が掛からない生活。
持病の服薬のせいか、野菜を積極的に取らないせいか、
(硬いものをバリバリ食べないしね)骨密度は低かった。
なのに、大抵の他の検査数値は私より状態がいいのが悔しい。
内科系の疾患で入院したことのある私の方が、今一つ状態とは。


結局、家人はその持病管理のために主治医のいる病院に転送、
紹介状を貰って救急車で・・・。という昨夜からの顛末を思い起こす。
単純骨折如きの大病院搬送の受け入れは本来「稀」故に、
なかなかチクチクと言われ、飲まず喰わずの疲れた私や娘、
補液もなくストレッチャー上の家人。
こちらは伺う一方で、「何か質問は」と、
上から目線で問われても、何を頭から搾り出せば?


正式な手続きに必要なというか、ありがちな、
慇懃無礼でビジネスライクな「インフォームドコンセント」に、
受け入れて頂いた感謝の念も一瞬にして吹き飛ぶかという、
少々殺伐とした思いに駆られつつも、病室へ向かった薄暗い廊下。
帰りのバスは無いからタクシーでと看護師に言われたものの、
確かめに行けば、23時台まで駅に行くバスがある。
さすが大病院の前のバス停だけのことはある。
安易にタクシーで動いていたら、手持ちの現金が・・・。


同席した小学生の娘曰く、
「あの先生は、分からない問題があったら質問してごらんと、
教えてくれるんじゃなくて、こんな問題も分からないのかと、
鼻先で笑う感じの先生だね」ですと。娘よ、君は鋭い。

インフォームド・コンセント―その誤解・曲解・正解

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インフォームド・コンセント―患者の選択

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「大変でしたね、とにかくここで手術をしてしっかりリハビリ、
 早期離床早期退院を目指しましょうね」
そう言って貰えれば、心穏やかになれるのだが、
よんどころない事情があるからやむを得ず受け入れたものの、
本来ではあり得ないことだと言われ、
手術の危険性を御丁寧にパーセントで微に入り細に入り。
手術はとりあえず明日、何時になるか分からない。


何よりも、「自分は○○の専門家である。
この程度の骨折は、日本国中捜しても専門家はいない。
整形外科医なら誰でも治せるレベルである」と言われたのには。
それは、患者の家族として聞かされて心強く感じる内容であると?
命に別状が無いからといっても、つっけんどんにされるいわれは無い。
患者が必要以上に寄りかからぬように、
自分の力で病を治すのが基本だからと予め厳しめに突き放すのが、
基本だと割り切って話しているのが分かっていても、
いざその場に臨むのとなると、落ち込む。


医師にとって、尚更土曜日曜の当直に当たる救急の医師にとって、
命に係わる救急ではなく、複雑骨折でもないレベルでは、
日常茶飯事以下のレベルなのかもしれない。
研究に値する特殊な症例ではないから、ルーティンワーク以下かもしれない。
ただ、家族にとっては動揺し、落胆し、意気消沈し、
患者本人は痛さに喘ぎ、手術を控えて不安極まりない時。
医師の「不機嫌」を、一見丁寧で華麗な説明に織り込まれて、
広げて見せられてもどうしようもない。


気を取り直す。多くの患者を抱えて忙しいさなかの救急受け入れ。
ビジネスライクになっていても仕方のないこと。
人数を抱えた病院は、個人病院のように一人一人への思い入れは無い。
流れ作業のように、短時間内に正確に処理していくことが必要。
術前術後の説明以外は看護師に。その看護師も夜は少ない人数で、
病棟をカバーしなくてはならない。この時間帯の救急入院は、
全くもって迷惑千万なのだろうから。
しかし、これこそが救急搬送なのだが。


・・・ERの待合室には私たちしか居なかったけれど、
第一第二とあるから、別の患者さんもいたかも。
等とあれこれ考えながら、昨日からの出来事が、
二つの病院でのインテークや事務手続きや、
あちらこちらに掛けた電話や連絡の、聴いた言葉や、
話した言葉の断片が、頭の中を飛び交う中で、
電車に揺られて行ったり来たり。


寒さは昨日以上に厳しく、家人は暖かい病院で良かったと思う。
私の家には手あぶり石油ストーブと炬燵しかない。
かつての入院のように命のやり取りをしなくて済むと、
分かっている入院に関して、自分自身が安心しながらも、
どこか醒めている。余り考えると、明日から動けなくなる。
「手術には絶対来てくれよ」と不安げな家人だが、
肝心の手術時間は分からない。管理されたスケジュールの中で、
執刀医以外に麻酔等も含め、多くの人間が動くし準備もいる。
まず、工場のようにクリーンな環境を保てる手術室確保の
そういう段取りに先生は追われているだろう。


そう思うと、ビジネスライクな乾いたにこやかさも、
心の外に追い出して忘れなければと言い聞かせつつ・・・。
娘と二人で乗った救急車の中の出来事を思い出す。
バイタルを見る装置が電池切れ。交換。
その後正常に表示されていたか? 血圧、脈拍、酸素。
一刻を争うわけでもなく、
サイレンを鳴らしながら走る車の中、救急士は居眠り。
激務で疲れているんだろうなあ。
そして、改めてこの程度の怪我ではどぎまぎしては、
医療の世界でなどやっていけないんだと再認識させられる。


醒めていながらも、その骨折で普通の病院では駄目だと、
術前術後の管理が出来ないからと言われてしまう、
そんな持病が、普段は忘れかけている持病があることを、
改めて再認識させられた昨日。だから今日があり、明日。
手術、上手くいくといいね。行くに決まってるよね。


日曜日のため閑散。家人の同僚、上司見舞いに来る。
「足の骨でよかったね、頭を打ったんじゃなくて」
みんな似たようなお見舞いの言葉でおかしい。
慰める言葉も世の中では常套句があるらしい。
いわゆる「この程度で済んでよかったね」的な。
様々な温度差のある言葉の中で、
医師の言葉にだけ過敏に反応するのは厳禁とは思うものの、
患者と家族を落ち込ませる「形式」の上での
インフォームドコンセントは尾を引いている昨日から今日。

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