Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

思い通りにならない

甘えたくても甘えられない、拗ねてみても始まらない。
分かっていてもやめられない。大人気ない立ち居振る舞い言動も、
心を許している間柄だからこそ、派手に慎みなく言いたい放題。
そういうことが多いのだろうけれど、ことが明らかになると面倒。


認知症の患者が自分を取り繕う。
自分に都合の悪いことは隠す、出さない、嘘をつく。
悪気が無いのかもしれないけれど、知らない分からない。
心を許している人間の前では不機嫌に怒りを露わ。
もしくは拗ねてなかなか言うことを聞かない。
そういうことが多々あるのを心しておけと
読んでいても知っていても、心の端から消えてしまう。


きびきびとしていた頃の記憶が邪魔をして、
このぼーっとした、我が侭な、内弁慶の、体面ばかり、
いや、最近、身なりには余り気を遣わなくなってきたというか、
着たきりスズメに近くなってきたものの、
見知らぬ他人に対しては別人28号という感じで、
どう見ても「普通の人」の反応。
でも、ある時は全く「昔のまま」のしっかりした本人。
まだらで飛び飛びに蘇り、戻ってくる、「かつての」本人。


そんな人が最も感情をぶつけてきて我が侭をいうのは、
一番親しい人間だというから困る。
一番近しい人にに甘えるから、甘えられるから、
病気の自分を見せても構わないから、安心だから、
「現在の状態」に戻るのだという。


ならば一番親しくしなければいいのだろうか。
そういう問題ではないのは分かっていても、そう思ってしまう。
怪我や病気や事故や、思いがけない諸々の影響を受けて、
日々波風の立つ中で、いっとき凪いでいるように見えても、
ほんの気休めに過ぎなかったのだと愕然とさせられる。


或いは気の迷い、錯覚、思い過ごし、思い込み、買い被り、
一方通行の希望的観測だったにせよ、
自分自身の無力さ、無能さ、諦めの悪さ、要領の悪さ、
そういうものがやるせない、日常の余裕のないやり取り。
では、時間が沢山あれば問題は解決するのか。
そういう問題ではないはず。
わかっているのに、出来ない。

認知症 よい対応・わるい対応―正しい理解と効果的な予防

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認知症と長寿社会 笑顔のままで (講談社現代新書)

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自分の思っている不安やリアルタイムの哀しみを、
出せずに、表現できずに、泣いたり笑ったりせずに、
痛くも痒くも寒くも熱くもない、そんな風に何も感じず、
感じない方がマシなのではないかと思えるくらい、
しんどくなったり辛くなったりしている時、
本当に何も感じずにさくさく物事をこなせた方がいいのかどうか。


当事者なのか、単にその周辺にいる人間なのか、
係わり方は異なってくるはずだけれど・・・。
後からあれは素直な感情表現、自分に向けられたメッセージ、
とても大切な、ありがたい、一時の触れ合いや心の交流、
そういうものに違いなかったのだろうと慮って思える時もあるけれど、
その時その時の慌ただしい中では、どうしていいのかわからず、
同じ心のレベルに落ちていく自分の中で、
苛立ちや怒り、焦りや悲しみしか見出せずに、
余裕のないままで立ち回ってしまう。
そして後から深く後悔する。


日常のやり取りが難しい。
心に余裕がなくなってきたのか、体力的なものなのか、
その両方だとは感じるけれど、どうすることも出来ない。
あれもこれもしたい、あれもこれもこなしたい、
出来ないまま過ぎていく時間、出来ないまま終わる。
何もかも・・・。
こうしよう、こうしたい、こんな風にと思い描いていたことから、
遠く遠く離れて、全く違う岸辺にたどり着いている自分。


こんなはずではなかった、こんなことを言うはずではなかった、
予定や夢や理想から遠く離れて、同じレコードの傷を辿るように、
不協和音の中に再び取り残されている、そんな気さえする、
いや実際にそうなのだと思わざるを得ない、昨日 今日 明日。
やらなければならないことから毎日遠ざかっている日々。

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