Festina Lente2

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5年生が終わり

胸騒ぎの放課後、いや、本日。
子育て中の、特に小学生と中学3年生の親は心騒ぐ日。
小学校は終業式。6年の卒業式は先週、今週は終業式。
高校は確か合格発表。先週は入試だった。
府下の中3生は保護者と共に、一斉に民族大移動。
通知表も合格発表もともあれ、本日大阪は悲喜こもごも。


1年の終わり、3月の終業式。子供たちは通知表を持って帰宅。
しばらく学校とはお別れ。宿題の無い春休み? やっほー。
娘はそんな風に思っているに違いない。
何かと色々あった5年生とはお別れだ。
修学旅行に向けて宿泊訓練、音楽部に入学して合唱・合奏練習。
音楽教室をやめて、新しい個人レッスンのピアノの先生。


担任の先生は若くてしゃきしゃきしていて、
指導者としてのやる気のプロ意識が感じられる、いい先生だった。
色んな授業参観、英語や算数、前回の道徳など、
頑張っているなあと単純に好感を抱いていた。
自分が20代30代ならいざ知らず、もしも20代で出産していれば、
自分の娘でもおかしくないほどの年齢の先生が、
娘たちのマンモス校の小学5年生を導いてきてくれたわけだから。

クラス担任の仕事77の知恵

クラス担任の仕事77の知恵

その労をねぎらいたい気持ちの方が強い終業式だ。
あ、3学期だから5年生の終了式というべきなのかな。
先生にとっては通知表も付け終わり、生徒を送り出し、
進級させ、来年度(新年度)の準備に入るだろう。
春休みは先生にとっては忙しい時期だ。


自分が小学生の頃は遠い昔過ぎてあんまり思い出せない。
ただ、1・2年、5・6年の担任は同じ先生だった。
娘の小学校では毎年担任が替わる。
マンモス校だからなのか、何なのかよく分からないが、
毎年転勤もとても多い。
お陰で娘の1・2年の時の担任は転勤、退職でいない。
3年は私より年上の転勤したての、おっちゃんおっちゃんした先生。
4年は大学出たての新任、初々し過ぎるくらい眩しい。
5年はてきぱきしたキャリアアップ中の若い女の先生で良かった
・・・と思っていたのに、娘の意見はそうじゃなかった。

担任力をみがく! ?教室発 学級づくり実践論

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すぐつかえる学級担任ハンドブック 小学校5年生

すぐつかえる学級担任ハンドブック 小学校5年生


親が感じているほど、担任がいいとは感じていなかったらしい。
きっちりしている先生。(親は駄々漏れのいい加減なかーちゃん)
仕事で帰宅が遅く、単身赴任のとーちゃんは家にいない。
自由な生活に慣れた娘にとって、予習復習宿題の点検、
きっちり指導する先生は窮屈だったらしい。


なので、3年生の時のおっちゃん先生が良かった。
好きに騒いでいても、好きなことやっていてもいいと、
自由にさせてくれた先生が良かったと言い出す始末。
ああ、子供と親の温度差がくっきり。
3年生の時は「担任は何もきちんと見てくれない、
騒いでいる子にも注意しない、授業は進まない、
私は好きな本を読んでいる」と言っていたのに。


いまや、あの頃はうるさく指示されず好きなことができたと
親の目から見ると? だった先生を懐かしく思っている様子。
忘れもしない、その先生の授業参観も懇談もかなり?で
こんなにうるさい状態で授業って????だったので、
学級崩壊ってこういうものではと?だったのに、
先生はあっさりと「前の小学校の生徒より大人しくて良かった」
娘の小学校生活初の男性の担任の先生は、
もっともどう接したらいいのか親として? だったのに。

小学五年生 (文春文庫)

小学五年生 (文春文庫)


好きにさせてほしい、というのは思春期の入り口、
自我が芽生えて来て、第二次反抗期を迎えつつあるのだ。
親だろうが先生だろうが、自分の世界を支配するもの、
指図するもの、一方的に価値観を押し付けてくるもの、
年齢や経験の知識の壁、試練を課し、責任や自省を求めてくる。
仲間作りを強要され、横並び、出る杭は打たれる、
それはある時は「教育的指導」なのだけれど、
反抗期に突入しつつある娘にとっては、息詰まる連続、
苛立ち、関与、介入だったのかもしれない。


かつて3年生の時と異なる反応は、娘の成長の証なのかもしれない。
でも、それはある意味、その批判精神はきっと、
常にこれから自分自身に向かって投げかけられるもの、
批判され、糾弾され、背かれ、どん引きされるのは自分自身なのだ。
かつてそうやって親を憎み、親に苛立ち、
どうにかしてその影響下から逃れたいと思った、
その過程がこれからまた繰り返されるのだ。


そう思うと、心が萎える。
忘れないように言い聞かせ、覚悟をしていても、
その思いはまだ中途半端だ。
娘が自分にとって、良かれと思う存在、
単純に純粋に混じりけ無く許せる存在、
ひたすら愛情を注げる存在であってほしいと思っている。
でも、実際はそんなことはあり得ない。


無垢に愛せる、お互いの気持ちのやり取りを享受できる、
蜜月の時代は娘の幼児期にとっくに終わっている。
我が手から保育園に、小学校に、そしてもう4月からは6年生。
どうして、自分の思いだけで育てて、
自分のやり方だけで自分の好みに大きくするなんて、
大それたことができるだろうか。


今日は、終業式。1年が過ぎ去ったと通知表を囲んで、
ニコニコ家族の晩餐? 残念ながら、殺伐とした仕事を挟んで、
その後今月最後のボランティアに出向いたかーちゃんには、
君とゆっくり過ごす時間も無く、前日の会話を振り返りながら、
君の事を思いながら、夜中近く家路を辿る今晩だ。


何となく、私の頭の中にはイメージがある。
今日の、今晩の食卓が豪華なおうちが多いような、
一区切り付いた打ち上げのような、ご褒美が貰える様な、
そんな気がするのは能天気すぎる?
ごめんよ、かーちゃんはこんな日も君を一人にしている。
そのことが、ちょっとばかり枠にはまらない君の個性、
強烈な自由志向とマニアな好奇心を植えつけたんだろうか。


今日で5年生は終わり。
通知表は2学期よりも少し上がっていた。
できると普通ともう少しの丸だけが並ぶようになっている、
具体的には何も分からない小学校の通知表。
これが何の役に立つのか、今一つ分からないまま。
5年生が終わり、君はどんどん大きくなる。

思春期の子が待っている親のひと言 心が見えてくる魔法のコミュニケーション

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