Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

哀れな雪柳と連翹

この話題は前にも一度、書いたことがある。
今年もまた、あまりにも無残な姿をあちらこちらで見て、
人間のすること、無残な春の有様にがっくり来ている。
それとも、植物の知識がない私の思い違い?


近隣の交通機関を仕切る都市開発株式会社の委託、
環境整備計画、もしくは府営住宅等、
都市公団の周辺の環境整備は、無計画な年度末の道路工事と同じ、
余った予算を使い切るための投げやり的な惰性で、
周囲の植物剪定を行っているのか。
何も知らない、予算を使い切る、何が行われているかお構いなし。
慣例で業者を指定し、その業者も何も考えずに作業し、
1ヶ月もしないうちに来るはずの開花時期、
美しい春をぶち壊すことに何の異存もなしに、
貰うものさえ貰えばいいと作業しているに違いない。
そうとしか思えない。


3月下旬から4月上旬に咲く、白い雪柳と黄色い連翹を、
真四角のボックス型に刈り込んでしまっている。
咲く直前の時期に、春これから花を咲かせるという直前に、
皐月じゃあるまいし、長い枝を伸ばして風に揺れるように、
白い花を沢山つけて咲かせてこそ美しい雪柳、
春を象徴する草木の花の色として、明るい黄色の連翹、
その両方の木々を、こともあろうに真四角のボックス型に。


鉄道周辺、住宅地周辺の芝生の刈り込み、整備、
投げ捨てられたゴミの収集、
そういう仕事が環境整備の一環として為される、
それは結構。しかし、それは本当に環境に配慮しているのか。
植え込みの中に紛れ込んでいたゴミを袋に集めて、
一体いつ取りにくるのか、駅周辺道路にに積み上げられたまま、
何処の管轄の清掃なのか、うやむや? 放置されたまま。
年度末が過ぎて4月になれば、責任の所在は何処へやら、
作業は途中で中止になってしまっている。


そして、哀れな姿に刈り込まれた雪柳と連翹は、花を咲かせない。
風に揺らす長い枝を持てず、人に見せる花は咲かせられない。
恨めしげに無残に丸坊主になった姿を晒している。
作業した人間は、委託された整備を行った業者は、
剪定の心得がある人間ではなく、機械を扱うだけの業者、
草木の心を知る人間ではないのだろう。
花が咲く時期も、樹木に適した剪定の時期も何も知らず、
年度末の春の大掃除の感覚で、線路脇や団地の土手や道、
芝生を短く刈り込むように、どの樹木も同じ形に剪定、
それで仕事が済んだ、事が足りたとしているのだろう。


委託側もそれがどのような景色になっているか、
深く考えてはいない。それとも計画的に何年かに一度、
このような極端な強剪定を行っているのか?
雪柳と連翹のために? 春の景色を台無しにしても?
樹木にふさわしい野趣を根こそぎにして、何のための植え込み。
植樹、植林、庭造り、環境整備?
まさか、雪柳の散り際が見苦しいから?
連翹の花がらを摘む作業がうっとうしいから?
伸びた枝を花が咲いた後に剪定するのが普通だが、
長く伸びた枝を切るよりも、短いうちにをBOXに仕立てた方が、
一気に済んで楽だから?


幾ら桜が美しく咲こうとしても、寒の戻りで開花が遅い。
その下の、薄桃色の桜の木々の下に生える、共演者。
線路際や団地の土手の雪柳と連翹が、春の風情であったのに、
何ということ、何という有様。
これが市や府の委託であれば、何という税金の無駄遣い。
5月の皐月と同じ剪定で済ませて、どの木も同じと思っているのか、
誤魔化して作業しているのか、アルバイト任せなのか。
綺麗にしたというよりも、粛清されたような土手や芝生。


名のみの春。心を込めて手入れして整備されたとは思えない、
名のみの春。それとも人通りが少ない所はこんな風に?
人通りの多い中心部は枝を残しているのか。
全ての場所を見て回る余地はないが、私が目にする所は、
通る度に信じられない景色が展開している。
電車の窓から見えないところ、内側ではなく外側の土手だから? 

沈黙の春 (新潮文庫)

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ザ・ベスト・オブ・シューベルト

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去年、周辺道路。歩道工事に伴い街路樹が引っこ抜かれ、
涼しい日陰を作る木々は全て無くなり、新しい小さい苗が。
歩道工事のために今まで育ててきた木々を
全て抜く必要があったのか、いまだに疑問。
その手間隙の出費は、引っこ抜き植え替えた出費は、
本当に必要なものだったのか?


名のみの春。阪神での震災後、とある地域では街路樹が消え、
木陰を余り作らぬ木ばかり植えられた。背は高く伸びるが、
木の花は下からは見えない。道を歩く人間には見えない。
高いマンションから見下ろすと、綺麗に見えるのかもしれないが。
葉が落ちる樹木は手入れが面倒だからなのか。
御堂筋の名物だった公孫樹でさえも、銀杏が落ちてくるからと、
実を付けぬオスばかり植えようとしているらしい。
本当かどうか知らないが、都会の自然はそういうものなのか。


名のみの春。梅や桜、桃ばかりが美しければいいのではない。
都会の景色だけが潤えばいいのではない。
本当に必要な手入れをしたのか、町に。
本当に必要なインフラを整備したのか、あの町に。
本当に必要な設備を作ったのか、あの場所に。
そう、問わずにはいられない。


被災したわけではない町の、手入れをされたはずの後の
無残な雪柳と連翹の有様に憤懣やるかたなし。
何のためにここに植えられたのかと、
延々と線路沿いに、土手に、建物の周囲に
何のために両者は選ばれ植えられたのかと、
怒りを覚えずにはいられない。
早春に刈り込まれ、刈り詰められてしまった。
そのことを「あなや」叫べない、雪柳と連翹に。
失われてしまったものたちの春に、
重ね合わせて思うことが、余りにも多過ぎる。

新・緑のデザイン図鑑 (エクスナレッジムック)

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樹木たちはこう語る

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