Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

嘘でもいいから

今年は明るい話題が少ない春なので、嘘でもいいから、
笑えるような明るい話がほしいと思うのだけれど、
自分ではなかなか思いつかない。というか、
本当に今日一日、エイプリルフールの話題が出なかった。
何事にも自粛傾向が強い今の日本にあっては、
冗談めかして何かを笑ったりするのは不謹慎なのか。
エイプリルフールで気持ちを盛り上げるということもできず、
何だかしんみりしたまま寒の戻りもあって、
肌寒い心寒い4月の訪れ。


職場は沢山の人が去り、新しい人と入れ替わった。
まるでたった一日で、今までいた人が居なくなって世界が一変。
トップが替わり、毎日の定位置、当たり前の日常業務が、
偏光レンズで視野が一変したように、がらりと変化。
いつもの場所に居たはずの見慣れた顔は、
決められたルール、トップダウンのルーティンワーク、
お願いや依頼という名目の命令は、どんなふうに様変わり?


誰が誰に? 誰が彼を? 彼女は何処へ? 
どんな一日が待っている? 誰も今日の自分が何処へ行くか、
何に導かれて日々のページが繰られるか、知らない。
何だかこんなにあっさり人が入れ替わってしまったのに、
うわものである建物はそのまま、取り残された私、私たち、
異動できなかったもの、しなかったもの、し損なったもの、
自分たちの及び知らぬ所で、インテリアの模様替えのように、
動いたり動かされたり、そんな4月の始まり。


いつも、4月の始まりは緊張が高まる。
新年度、新学期、「新しい」という言葉の魔術、言霊に、
強制的に昨日を忘れて明日を目指し、気持ちの切り替えを迫られる。
その緊張をほぐすための馬鹿騒ぎにまで至らぬまでも、
嘘でもいいから、自分をほぐしてくれる言葉が欲しい。
硬直して、一から出直すほどではないにしても、
あれもこれも再び構築しないといけない思いにとらわれ、
小さなくしゃみや咳さえも、遠慮しなければならないような、
そんな雰囲気を少し和らげてくれるようなもの、
嘘でもいいから、ほっとできるようなもの。

世界のエイプリルフール・ジョーク集 (中公新書ラクレ)

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バカラック・ベスト~生誕80年記念スペシャル

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リセット、白紙の状態に戻れるものはいい。
いつもいつも、更なる高みに上るために、
「次」を目指してより新しい状態に、グレードアップ。
キャリアアップ、そんな風に思える日々であれば。
打たれ弱い私は、去年異動がなかったことに落ち込み、
今年は更にお役目が重なったので気が重い。


今日の緊張をほぐすようなものはないか。
新しいことにこだわらずに、チャレンジを強いられず、
昨日までの平穏が戻ってくるような、
予期せぬものに押し流された尊い昨日が戻ってくるような、
そんな、穏やかな当たり前の日常や、
変化を望んでいなかったのに。


与えられた試練、批判に耐えてすごす日々を、
「仕事」と割り切って生活するような、
そんな生真面目な落ち込みを、笑って吹き飛ばす、
景気のいいジョーク、罪のない笑い、
いつもニュースや話題欄、紙面を賑わすあのたわいもない、
エイプリルフールは何処へ行ってしまったのか。


仕事をしながら、アップダウンする気持ちと共に、
嘘でもいいから、時間が1ヶ月前に戻ってくれたなら。
そんな風に思いながら、怒濤の3月から4月に押し流された。
気持ちの切り替えは難しい。
災害の余波が届かない所にあって、
いつもの4月1日が戻ってきて欲しいと思っている。
嘘でもいいから。


与えられた仕事がある。それが幸せなことだと分かっている。
恵まれたことだと分かっている。
でも、贅沢を言って愚痴りたい。
冗談を言って笑いたい。
さらりとこの世の憂き目を笑い飛ばしたい。
嘘でもいいから、そんな風に一日を過ごしてみたい。
大人になっても大人になりきれないんだと、
正直に打ち明けて苦笑いしたい。
そんな正直さが「嘘でしょ、その年で」と言われるとしても。

モーツァルト:ディヴェルティメント第15番

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記憶はウソをつく (祥伝社新書 177)

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