Festina Lente2

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小六の1学期保護者懇談

仕事の段取りをほんの少し綱渡り気分で味わったものの、
思っていたよりも早く片付きほっとする。
それでも、この2週間、必要以上に気が張っていたのかもしれない。
自分としては休憩・休憩を取っていたと思っているのに、体が妙にふわふわする。
もっとしんどいかもしれないと、構えていた部分が予想以上に多かったのかも。
「なんだこの程度で済んだや」という安堵感とは裏腹に、
体はどんどん重くなるような気がする。


それでも今日はまだ一仕事。小学校6年生の娘の1学期の懇談。
二者懇談だから何でも先生とは話せるのだけれど、
それでも「懇談」というものは親には気が重い。(先生の側もそうか)
何を言われるのかわからないという気持ちが消えない。
何を言えばいいのかわからないという思いもある。
何をどうやって聞き出せばいいのか、お互いが情報の探り合いかもしれないが。


自分の時の保護者懇談(三者)を思い出してみると、親は何だか好き勝手、
成績とは関係のないことばかりしゃべっていたなあという印象しか残っていない。
ましてや、親が小学校の担任とどんな話をしていたのか。
記憶に残っている限り、たったの1回だけ。
そして自分が親になってみると、この6年間何を話してきたのだろう。
どんなことを聞いてきたのだろう。


モンスター・ペアレンツにはなっていないとは思うものの、
どんな保護者として担任の先生の目に映っているのか、さっぱりもわからない。
それに、自分の娘や息子の年齢と言ってもいい先生を目の前にすると、
私同様、相手も話しにくかろうなあとばかり思ってしまい、駄目だ。
先生を先生として見て接するというのは、簡単なように見えて意外と難しい。

目標に準拠した通知表所見文例集 小学校高学年

目標に準拠した通知表所見文例集 小学校高学年


どういう訳か、昨年の担任から学期ごとの成績表は提示されない。
前もって親が知ってしまうよりも、親子で一緒に通知表を見ながら話し合って下さいと、
そんなふうに昨年の担任は言っていたが、今年は何も言われない。
そして、子ども達自身が書いた自己評価とでも言うべき振り返りシートを渡された。
うーん、伸びて欲しいというか、発揮して欲しい部分の娘の自己評価が低い。
自分から発表したり、リーダーシップを取ったりするのは年々苦手になって来ている。
年齢と学年が上がるにつれての特徴とも取れるが・・・。


というよりも、妙な所ばかりDNAで伝わるのか、
最も思考と行動形式は見聞きして知覚されるもの。
そのように情報伝達してしまった結果、認識、蓄積されたパターンを
維持しているとしか言いようがない。
「蛙の子は蛙」は、外見の問題ではないのだ。


自分で自分の良い所を見つけるのは難しい。
自分にとって居心地のいい場所を見つけるのも難しい。
本の中、現実ではない場所、理想に近い所。リア充よりも非リア充で事なきを得る。
何とか現実と自分の折り合いを付けてバランスを取っている。
そんなふうに成長しているのではないかと、かーちゃんは気がかりでならない。
何も口を挟まなければ、大人買いトシか思えない形で増えていく本の類。
全く勉強に関係ないものだけがどんどん増えていく部屋の中。


このお金は一体どこから? お金の使い方は?
孫に甘い祖父母から、もしくはお年玉を吐き出し?
小学生にあるまじき金遣いの荒さ、それも本とCDにばかり。
お金もなく図書館もなく、同じ本ばかりを刷りきれるほど読んでいた、
そんな昭和の時代の私とは違う娘の行動パターンは、やはり今時の子ども。
ゲームセンターに通いこそしないものの、好きなことに前後見境無くお金を注ぎ込む。


だから、かーちゃんの心配事は尽きない。
修学旅行を一緒に楽しむ友達は確保しているのか。
今まで仲の良かった友達とクラスが離れてしまった。
朝早くから自分で起きて登校していたクラブ活動も、
指導者が転勤してしまえば、「面白くない」とやめてしまい、
ぎりぎりまで寝倒して、さっさと登校しなくなってしまった娘。
休まないものの、やる気もないままオタクな路線を突っ走っている?
これが今時の読書の在り方なのか、文学少女のハシリなのかはともかくとして。


成績よりも何よりも、こんな娘の個性をどこまで尊重・理解して、
担任の先生が見守ってくれているのか、その答も得られない。
だから、懇談なんて、何の足しにもならない。
安心感が得られるわけでも何でもないのだから。
しっかり話を聞いて貰ったという実感も持てないし。
そう感じてしまう私は、目立たず口に出さず表に出ないだけで、
隠れたプチ・モンスター・ペアレンツなんだろうか。
こういう親の姿勢が娘を自己肯定感の低い、
「もっとよく人の話を聞いて積極的に発言できればいい」、
親と似通ったコンプレックス・振り返りシートを書くことに繋がるのだろうか。


夕暮れ、何とも言えぬ複雑ですっきりしない思いを抱えて歩く校舎内。
どの椅子も机も、6年生サイズで大きくなってきたとはいえ、
まだまだ大人のもの、世間並みの大きさに比べて小さい「子ども仕様」。
なのに、子どもとの距離はどんどん開くばかり。
それが正常な成長と言われればそれまで、しかし、わからないことばかり。
お互いの間で、双方で? 一方的に? わからないことが増えていく。
わからないことをわからないと言うことが正しいのか、
わからないから不安でいたたまれなくなると言うのは、間違っているのか。
とりとめもないことを考えながら、路地裏の自動販売機で炭酸飲料をがぶ飲み。
そんなかーちゃんの1日はまだ終わらない。
わざわざ常ならず仕事を早く引き上げて来たのだから、
さっさと帰宅して、少しでも気合いの入った晩ご飯を作らなければ。

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