Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

新しい画面

新しいパソコンになって4ヶ月、なかなか新しい画面に慣れそうで慣れない。
ブログもマイナーチェンジがあって、宣伝が入る。
はてな」らしくないザワザワした画面になり、慣れそうで慣れない。
いつも訪問させて頂いている先輩方のブログ。
写真が美しく掲載されているので、お気に入りが多いのだが、
最近何らかの設定変更があったらしい。


どこまで行けば現れてくるのか、コメント欄も見づらければ、
関連記事や関連画像がやたらと増えて、画面が見にくい。
見にくいというか、焦点をどこに当てて読めばいいのかわからない。
いや、見づらくてたまらない。
そう感じてしまうのは、慣れていないから、だけ?


関連画像も悪くはないけれど、辿っている暇もなく、
見たい所だけを見ていたい、そういう急いでいる場合には、
もどかしくてたまらない。
画像も、文字も、両方楽しみたいけれど、
どうして今までとは異なる画面構成になってしまったのか、
色んなブログは広告だらけで、見るのが疲れる。
雑音の入っている音楽を聴いているようで。


慣れてきたかと思っていたけれど、慣れるようで慣れない。
小骨が刺さったまま食事をしているような、
砂が入った運動靴を履いているような、
小さな棘が抜けなくて違和感の続く指の先、
立て付けの悪い窓から入るすきま風、
掟破りの後ろめたさを隠すための画策。
そんな感じが自分にも、自分以外にも、
当たり前のように浸食してくる「改訂版」画面に、
慣れるようで慣れないまま、夏が秋になって、
次第に深まっていく。


疲れが取れない日々、疲れが深く体に刻まれた日々、
気分転換に見る写真ブログの画面の馴染みの画面が、
よその人の画面のようになっていて、少したじろぐ。
自分の好みで世界は動いていないのだと、頭ではわかっていても、
理性と感情は別で、慣れたものから慣れないものへ、
なかなか発想の転換は図られず、新しいものには慣れず、
違和感を抱きつつ、日々が過ぎていく。


秋はすきま風の季節。
暑さが勝る今、不快感を感じるほどではないものの、
秋はすきま風を感じ始める季節。
何かが自分から離れていくように、自分からもしなやかさが、
合わせたり、始めたり、受け入れたりするしなやかさが、
失われていることに、改めて気付かされる季節。


慣れているつもりでも、久しぶりに逢った時の、
あのぎこちなさ、していいのか悪いのか、
それさえも図りかねる空回りする気遣い。
老眼が進むにつれ、しょっちゅう画面の文字を操作したり、
頁を拡大してみたり、新しい老眼鏡を掛けて観たり、
慣れるようで慣れない、自分仕様の世界に当てはめて、
やっとこさコンタクトを取った気分になる、
電脳玉手箱の画面のように、
生身の人間でいることも、慣れるようで慣れないまま、
世界は見づらく見えにくく、受け入れ難く、日々は過ぎゆく。


長月も半ば。
そんな長月の半ば。

いまからここから

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重力のデザイン―本から写真へ

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