Festina Lente2

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小さな「つまずき」

仕事の上で当たり前と思っていたことが、実はそうでなかったり。
共通理解、共通認識と思っていたことが違う。
これは痛い。痛すぎることもある。
自分が古いのか、相手が慣れていないだけか。
これでいいと思っていたことが、通用しなかったり、
要求水準に達していなかったり。
内輪だけでふさげる穴ならまだしも、そうでない場合。
これは痛い、痛過ぎる。


世間が要求する道徳的なもの、規範、一般常識、
予測の範囲内であれば、当然の帰結、然るべきこと。
それが、知らぬ存ぜぬを正直に申して何が悪いと、
開き直って高みの見物といった風情では、話にならない。
世の中には「唖然」とすることは多いし、きっと自分も同じようなことを、
あちらこちらでやらかしているのかも知れないが、それはそれ、程度の差。


この程度のことで大げさな、小さなこと、・・・ぐらいのことで、
何故そんなにうるさいのか、こだわり過ぎでは、細かいことをつつく。
そういう表現で相手を責めるが、はて、自分を振り返ってみればどう?
世間一般常識にのっとって、「許されないこと」の彼岸に経つ、
無関心を装う一歩手前の「過ぎてしまったことだから」態度は、どうしたものか。
こちらの胃ばかりが痛み、「言っても仕方のないことだから」と平然とされ、
平行線を辿るやりとりのただなかに立っているのは、正直気が遠くなる思い。


仕事だと割り切らなくては、仕事だから。
心が折れそうでも、割り切らなければ。
そう言って聞かせる。子どもの使いじゃあるまいし、今更。
でも、色々わかっていたり知っていたりしても、
頭の中での出来事。現実のやりとりとは違う。
雪だるま方式に難事が難事を抱え込まないように、
自らに言って聞かせてはいるものの、今回は少々ハードだ。


仕事の手順と、体で覚えてきた感覚と、
若い頃に覚えたことが今の自分にフィットしているかどうか、
それどころか若い頃と同じように自分が反応しているかどうか、
逆に若い頃出来なかったことが当たり前に出来る反面、
出し惜しみしていないか、力を抜いていないか、
・・・いい意味で流せるようになっているか、余力を残すために。
色んなことを考えて、目の奥が痺れるように痛い。

「つまずき」のなかの哲学 (NHKブックス)

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「つまずき」の事典―人生の危機から生まれた名言・名句

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だんだん体の疲れを感じなくなってきたというか、
感じないようにしているというか、
倒れるように横になり朝になる平日が、当たり前。
土日の顔は家族用の顔、かーさんで居られるか、かーちゃん。
母でいられるか、自分。娘で居られるか、私。
色んな顔を使い分けることが、当たり前のように、
事件も物事も仕事も、根っこは同じ所で繋がって、
図太く変装して嫌がらせをしに来ているのでは・・・。
そんな気持ちにさせられる、先週今週。


大小の出来事に足下を掬われる思いが続くと、これも日常?
それでも思ったよりめげていないような、感じていないのか、自分?
麻痺してしまったような冷たさの塊を心の奥に抱えつつ、
事務的に処理しようとしている?
淡々と、苛々を押し潰すように距離を取りつつ、淡々と?
仕事仕事仕事、何もかも仕事のごく一部しか過ぎない。
たまたま特異性の高いものにぶつかっているだけ。
そうそう、何回もあることじゃない。
わかっているけれど、わかってはいるけれど、
じわじわと効いてくる急所へのボディブローのように、
確実に疲れている、私の心身。拠り所はいずこ。

疲労を治す81のワザ+α (これ効き!シリーズ)

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