Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

憂鬱な火曜日

月曜日も週の初めでテンションを上げるのに難しいが、
仕事の段取りの関係で火曜日もそれなりに悩ましい。
特に、11月はスケジュールの関係でいっそう悩ましい。
受け身で会議の席に座るのと、準備をして開くのとでは大違い。
それが幾つも続く月曜火曜とあっては、少々萎える霜月の第2週。
消耗戦・・・。


随分あっという間に1週間が過ぎ去ってしまった。
精力的に休日を充実させた後の虚脱感か? 
休日を充実させて仕事に反映しなければ意味が無いではないか。
そうは思ってみるものの、頭の中身は今一つ冴えない。


あちらこちらを見て回り、ほんの少し大好きな画家の先生のお顔を拝し、
上げ膳据え膳のランチ、家人と二人で大阪城見学、映画まで見て、
最後に駅で娘を拾って帰宅というフルコースの休日に
満足感が湧けば湧くほど、心がうきうきの反動が?
そんな子どもみたいなことでどうするんだと、情けなくなる。


仕事で人に会うのは大変、勉強会はそれなりに緊張。
しかし、金土日と休みなくぶっとばして大丈夫か、私。
心の中では今週のハードスケジュールにおびえている。
時間的なこと、物理的なことではない。
精神的な負担、あれこれ言いたくもないことを口にせねばならぬ、
そういう時期が来ているだけに、うんざりとしてしまうのだ。
仕事で話さなくてはならないこと。伝えることは難しい。
裏表なく気持ちを伝えたつもりでも、そうはいかないことも多い。

泣き言はいわない (新潮文庫)

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山本周五郎のことば (新潮新書)

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職場は安定しているとはいえ、お疲れ様の一言もなく
自分達よりも先に帰る後輩たちを、どう扱えばいいのか。
定年までまだ間があるとはいえ、人生半分以上過ぎた人間は、
「これから」の試行錯誤を繰り返す若い人から見れば
ルーティンに頼った前世紀の遺物、
壁の置物よりも始末に負えない、疎ましい存在かもしれない。


おっとっと。僻んでいるのか。マイナス思考。
いやいや、弱気になるまい。
自分自身できることをしなければならないのだから。
精いっぱいやって、力を抜くところは抜いて、
何もかも全力投球ではなくて、余力を残しておいて、
でないと、自分の代わりは…。
変わりはいても、すぐには見つけられないだろうから。


それでも、若さとその若さのなせる技にすとんと落ち込む。
こんな自分が情けない。
仕事のない日常生活の退屈と物憂さを知っていても、
仕事のある日の緊張感はいつも快いとは限らない。
自分で努力したモチベーションが、周囲との相乗効果で、
思いがけないところまでノッていけるかどうか。


早々うまくタイミングが合って、気持ちよく何でもできるかというと、
そういうわけではなく。何となく、惰性で生きている要領のいい人間に、
なりなくないといういこじな部分が、プロ意識だというなら、
年の功といわれるならば、そうかもしれないけれど。
・・・認知に歪みがあるなあ。


ああ、月曜日。会議を控え、段取りをつけ、
それでも気持ちがすっきりしない。
予定される世界を、想定内のいざこざのシミュレーションを、
どんなふうに片づけていいのやら。
頭の中が渦巻く1週間の初めに思い知らされる。
想定外の出来事。


自分の仕事を引き継ぐべき存在と期待してきた人間が、
半年先には産休に入る。子宝に恵まれた3人目の。
不惑を過ぎて有り難くも一人恵まれ、二人目にまみえることなく老いていく
そんな人間にとっては羨ましい限り。
そうか、週の初めから落ち込んでいるのはそのせいか。
心から祝福するも、職務上の跡継ぎを失った気分。
再び授かることの無かった人生を愚痴りたくなった週初め。


天から授かった掌中の玉、一人を大事に育てていけばいい。
わかってはいるものの、仕事上の引き継ぎも子育て同様、
上手くいかないものだと嘆息三昧。
気が付けば知覚過敏の歯が痛む。
肩も凝る。いけないいけないと思いつつ。
年末どころか、年度末のことを思うと本当に首が回らない。
歯が痛む、肩が凝る。

明和絵暦 (新潮文庫)

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一人ならじ (新潮文庫)

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