Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

娘のピアノの発表会

祝日の朝もはよから会場に出向く。寝坊などもってのほか。
娘のリハーサルは一番目。まだ会場のセッティング前。
先生方は一年に一度の本番を控え、チェックに余念がない様子。
といっても勝手知ったる会場。たとえ想定外のことが起ころうとも、
数えきれぬほどの様々な音楽会の場数を踏んだ方々、
ただただ淡々と、平然となさっていて、
浮き足立っているのはそういう経験を持たぬ親ばかり。


何しろ、大きなコンサートホールや舞台裏、控え室をウロウロするのは、
幼稚園の時の音楽発表会ぐらいしか経験のない私。
仕事関係で会場に出入りするのとは訳が違うので、戸惑う戸惑う。
普段アップライトで弾くピアノの音も、コンサートホールのグランドピアノだと別物。
全くいつこんなに上達したんだと誤解したくなるくらい、美しく響く。
場の雰囲気の魔術とは恐ろしいものだ。
舞台には魔物が住んでいる。演劇でなくても、音楽でもそうなのか。
とにかく、リハーサルは目白押し。次の人が控えているので早々に退場。
昨年一度経験している娘は落ち着いたもの? だ。
仕事で見られなかったかーちゃんの方が、一体どうなるんだかドギマギ。


一度自宅にとって返し、午後になってから再度着替えて本番に臨む。
殆どが声楽だが、中には娘と同じようにピアノを弾く人も。
高校の時は音楽選択生だったので、何曲かは原語で習い、
イタリア語やドイツ語の歌曲を学んだ記憶が蘇る。
あの頃はハレルヤコーラスを有志で歌ったっけ。
家人は12月の第九のコンサートの合唱に出てみたいと呟く。
練習する時間をひねりだし、継続させる根性があるか?


本当に人によって歌も声の響きも全く違う。
同じ曲は二つとないのだが、それでも歌の世界の広がりや美しさ、
その醸し出す雰囲気の違いに驚かされる。素人が学んで歌う喜びを、
披露する楽しさ難しさを知る場を持つということ。
成果を発表するという一期一会。
きらびやかな衣装、たった一度だけの本番、飾られた花、
上からぶら下がるマイク、身内だけの観客に見守られながら、
延々4時間に及ぶコンサートが続く。


一部の余韻さめやらぬまま、二部へ突入。
単なる親ばかは夫婦は、記録画像を収めることに余念無し。
朝の練習の時よりも音は響いたが、間違いも3度。
ペテロの鶏じゃあるまいし・・・。
ノーミスで弾き通すというわけにはいかなかったが、よく頑張った。
クラシック一辺倒に切り替えて、師事する先生を変えて1年半、
良くここまで来たものだとかーちゃんは、親ばかの涙。


みんなで記念写真を撮る中で、いつの間にこんなに子ども子どもではなく、
娘らしくなっていたのだろうと、どっきりさせられる。
膝の上に座ってお座りだっこをせがんでいた姿はなく、
照れながらませた笑顔を少し引きつらせて、うつむき加減に
撮影のタイミングに顔を上げて見せた瞬間は、
私の知らない顔の娘。不思議、知らない顔の娘がいる。


 



あっという間に楽屋で着替えて出てくる面々は、いつもの普段着。
先ほどまでの豪華なドレスやタキシード姿はどこに行ってしまったのか。
この変わり身の早さには唖然とさせられる。
金のドレスのピアニストは、肌も露わな、異国の風情の、
結婚式のお色直しのようなドレスに身を包んだ面々は、
ただのお姉さんおばさんおじさんになっていて、
娘だけがちょっとよそ行きの格好でいるだけ。
年齢が年齢だから、それで違和感が無いと言えば無い。


来年もここに来ることになるのだろうか。
それも嬉しいような、来年のことを言ったら鬼が笑うだろうか。
ああ、今抱えている難問を乗り越えて時間が未来に、
望ましい未来に続いているのならば、それはそれで、
何となく、音楽の響きに揺られながら流れていけるならば、
それはそれで、未来が穏やかに流れていくならば・・・。


習い事も勉強も、人間関係も自分自身の気持ちさえも、
思うようにはならない、花も嵐も踏み越えて波瀾万丈、
人の目にはどう写ろうとも、何事も初めての連続が、
積み重ねられ継続されるそのものが、単なる体験ではなく
しっかりと根付いた「経験」に変容していくのだと思いつつ、
嬉しくもあり、寂しくもあり、娘の変化、娘の成長。

主よ、人の望みの喜びよ/オン・パレード

主よ、人の望みの喜びよ/オン・パレード

声楽リサイタル

声楽リサイタル


とにもかくにも、気ぜわしく落ち着いて食事の出来なかった1日、
かーちゃんは相変わらず知覚過敏と称される歯痛による気鬱
しっかり食事が取れていない倦怠感でぼろぼろだ。
音楽は自分の心の中にその瞬間はいってくるものの、
痛みを消してしまう麻酔のように効き続ける訳じゃない。


娘の慰労を兼ねて久しぶりに自然食中心の豪華なのバイキングディナー。
一生懸命歯の痛みにもめげずに食べようと頑張ってみるのは、
食べられなくなった時(食べたくないと寝てしまう時)が終わりだから。
そうなると仕事が出来ない、立ち続けるのに、話すのに体力が持たないから。
体重はあれども体力がない自分自身の弱点にうんざりしながら、
この音楽会のテーマ、Piu Mosso、 
自分の中にこの欠片でもあるだろうかと考えてみる。


60代から声楽を始められた方もいるそうだ。
今の私は充分声は出る。声楽を習っている声でなくても。
ただ、今の私は例によって例の如く「年度末病」が始まりつつある。
余裕無く仕事に追われ、逃げるように土日を待ち、
転勤を夢見て、見果てぬ夢、確約のない未来にため息をつく毎日、
年末病でなくて、年度末病に侵されつつある。


音楽の魂は翼でもって、どこへと羽ばたくのか。
やりたいことでは仕事にならぬ。やらねばならぬ事を仕事と、
思い定めて大人の振りをし続けてきているものの、
「やりたいこと」を押し通すことが出来ぬまま、
あれもこれもと欲張ったまま、気が付けば娘の発表位階も終わり・・・。
明日の今頃は、今年は自分から手放した最後の企画研修を明日に控え、
醒めた気持ちでこの5年間を振り返ることになるのだろう。

ツェルニー30番練習曲 全音ピアノライブラリー

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