Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

家事に追われる

掃除掃除掃除、ひたすら実家の母の部屋を掃除する。
白い綿埃がもうもうと舞う。
台所は私が洗わないとカビが生えるシンク。
ぬめる風呂桶。ああああああ。


敷物を干し、洗濯機を3度回し、ポリ袋一杯のゴミを捨て、
段ボール箱3箱分、季節もの、娘の服、お客様用、
何故か山のようなタオル類、洗う、干す、仕分けする、
掃除機を掛ける、段ボールに入れる、
取り込む、たたむ、片付ける、掃除機を掛ける、ハンガーに掛ける、
延々、同じ事をこまめに繰り返し、6畳と8畳の部屋が、
物置の様相から人間が住んでも許されるような雰囲気に。


あああああ、これで1日が終わる。何も出来ない。
こんなにもかーちゃんがばたばたと働いているというのに、
娘は急ぐという事を知らない。
時間を作り出すということも知らない。
若い人間は無限に時間があると思っているから始末に負えない。
今は枯れ木のようになっている母親に、「急げ」と叱られ怒鳴られ、
どうして同時進行で物事が出来ないのだと言われたものだが、
今の私のような心境だったのだろうか。


やりくりして作り出す、1時間2時間をどのように使うか。
全く別の次元に飛んでいくために何が出来るか、
そういうことを考えずにぼーっと出来るの幸せ。
それは今の娘の時期の特権なのだろうか。
確かに予定を考えず、時間に追われず、
あくせくせずに自然にぼーっと出来るのは嫌いではない。


が、しかし、それでは家は成り立たないのだ。
家の中が片付かないのだ。
置いても若くても日24時間しかないのは同じなのに、
体感温度のように体幹時間が違うのか、歯車が噛み合わないこと著しい。
この苛立ちを、休日の土曜日に感じなくてはならないとは。


それとも親の思いを知ってか知らずか、
いや、感じることはあっても顧みることなどしない、
そんな若さは今だけの事よと思っているのが、
親の度量の広さなのか。
あれもこれもと欲張って出来ない、要領の悪さは親譲りよと
諦める方が先なのか。


休日は家事だけで終わる。やってもやってもきりがない、
家事だけで終わる。暮れていく。潰される。
ああ、冬支度も千里の道。まずは一歩。
せめて手伝うことが出来ないのならば、
きびきびと動いて欲しい、ちゃっちゃと片付けて欲しい、
かーちゃん一人だけ孤軍奮闘の、1日。
11月最後の土曜日。

ドイツ流 掃除の賢人―世界一きれい好きな国に学ぶ (知恵の森文庫)

ドイツ流 掃除の賢人―世界一きれい好きな国に学ぶ (知恵の森文庫)

人生がときめく片づけの魔法

人生がときめく片づけの魔法