Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

埃及考古展 

歴史が好き、考古学が好き、遺跡や博物館、美術館が好き。
登呂遺跡を越える稲作の遺跡発掘を目にした小学生時代、
神話や伝説は心躍る異世界への扉だった。
思春期の多感な頃、かの名プロデューサー、吉田直哉の演出による
NHK『未来への遺産』は至福の時間だった。
吉田直哉追悼の記事はこちら→http://d.hatena.ne.jp/neimu/20081006


    
  


密林の中に埋もれるインカやアステカの巨石文明に目を奪われ、
シュリーマン、ヘディンの伝記をこよなく愛し、
いつか彼の地を訪れると決心していた私にとっては、
エジプトの象形文字を解読したシャンポリオンの物語は、
いつか本物のピラミッドを見ようという決意に変わった。
『未来への遺産』を自分の目で見て回るというのは、思春期後期の目標だった。


    
  


発掘される人類の記憶のよすが、遺跡、白骨、墳墓、名所旧跡。
古代文明、過去の遺物、発見という名の再発見、その楽しさは尽きない。
学者にこそなることは出来なかったが、知る喜びはこの年になっても無くならない。
エジプトには2度行くことが出来た。未だ南アメリカの地を踏むこと叶わぬが、
遺跡や美術館、博物館は私の心を静かに躍動させる。
エネルギー充填装置のような働きを持つパワースポットだ。



昨日は家人のつてで、京大総合博物館の催しに参加。
ます最初にインクルーシブデザインナウ2011を、そして、メイン。
開館10周年記念の展示、『埃及考古』を楽しみにして足を運んだ。
ぱっと見てすぐに「エジプト考古」と読める人は凄い。
参考までにこちらや→http://saqqara.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-cdaa.html
もちろんこちらも→http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/modules/special/content0024.html


巨大なピラミッドやミイラを初めとする古代エジプトの遺産は、
様々な形で世界各国に展示され(友好的に送られた物も略奪された物も)、
未だに世界中の人々を魅了し続けている。
しかし、安易に飛びつくなかれ。ここでの展示はそういうものとは、
ちょっと趣きが違うのだ。
何しろ副題は「ペトリーと濱田が京大エジプト資料に託した夢」



この展示室に飾られているネフェルイティティの頭部は、京大考古学室初代教授、
濱田耕作がドイツで買い求めてきた複製。両目が揃っている所が偽物の証。
本物は片目なのだ。ツタンカーメンの母親に当たる絶世の美女は、
エジプトの歴史の中でも宗教改革の渦に巻き込まれて生きたはず。
イクナトン、アメンホテップ4世の妻として、激動の時代を。
テル・エル・アマルナの太陽神信仰、アトン神とアメン神。神官と政争。
トゥート・アンク・アメン、すなわちツタンカーメンのミイラは余りにも有名。



だが、今回京大に展示された展示には、そういう派手な人目を引くようなものは少ない。
ただし、力を入れて解説されていたように、学術的には価値のある、
いわゆる学問的に「考古学とはどのようにあるべきか」という信念を持って、
研究される価値のある品々を展示していると言っていいだろう。
熱く語る泉拓良先生の話に引き込まれつつも、かつて旅した土地、
学生時代に学んだ地中海史の様々な出来事を懐かしく思い出す。


エジプトというと、ピラミッド、カーターとカーナボン卿、王家の谷、ミイラの呪い、
ツタンカーメン、ハトシェプスト女王、アブシンベル神殿など次々に連想される。
しかし、今回聞く人の名前は全く知らない人だった。
京都帝国大学考古学教室の初代教授、濱田耕作とその師、
ロンドン大学のフリンダース・ペトリー教授との交流。
約100年前にイギリスから贈られた考古資料が今、日の目を見て研究されようとしている。
それはなぜ研究する価値があるのか。


発掘状況がわかっている、記録されている、正しく保存されている、
考古学としては新しい学問の形の元で、遺されている品々だからだそう。
発掘や発見にこだわる余り、めぼしい宝物を漁るように、ある意味、
盗掘する窃盗団と大差ない、めちゃくちゃな発掘作業を行った輩も多いそう。
何しろ発掘は一攫千金の山を掘り当てるようなもの。
学問的な名誉よりも、実質的なお宝を目指していた人も多かったろう。


そんな中で説明、解説され紹介された品々、昔はわからなくても、
今だからこそわかる比較検証の仕方、新しい科学を持って分析する塗料、染料、
分類整理される土器片、絵柄、デザイン、出土分布図。
最新の医学をもってして屈葬のミイラを検証、カルテ作成。
X線で見る鳥のミイラ。レスボスのサッフォーが持っていたのは巻物ではなく、
小さな持ち運び可能なタブレットだったということ。
聖書の中に出てくる地名が、フェニキアの貿易が、
神話と歴史が交錯する人間の物語が砂に埋もれて目の前に現れる、この楽しさ。


フェニキアカルタゴの発掘調査、シリア・レバノンの遺跡発掘を
実際に指揮された先生の予定時間を超える説明に、もっともっと浸りたかった。
19世紀から20世紀初頭の近代考古学黎明期に
埃及(エジプト)での発掘調査を通じて出土したこれらは、
その学術的価値が非常に高いにもかかわらず、精査されてこなかった。
何故か、専門に研究する人が京大にいなかったのだと忸怩たる無念さが滲む解説。


中学時代の私は、「考古学がやりたい」と言ったら、
地理専門の担任教師に思いっきり馬鹿にされ「女に穴掘りは出来ない」と、
もっと現実的な事を考えろと諭された。友達の少ない夢見がちな、
儲けにもならない古代ロマンに浸る、少々頭のねじの緩んだ、
変にませた女の子だと思われていたのだろうか。
いずれにせよ、「現実的」な方面に矯正された私は、今に至る。


哀しいことも嫌なことも、絵を見て、博物館で様々なものに触れ、感じ、
そして「いにしえ」に思いを馳せることで癒される。
投影の世界では「遺跡」に執着する人は、ロマンチストであると同時に、
心に傷を持つ、過去に引きずられる、権力や権威に心ひかれる、
挫折した思いを抱く、記憶や思い出を大切にする、未来や現実に目を向けない、
そんなふうに分析される。いやあ、当たっているではないか。
自分でも笑ってしまう。



労働者層から文化人として認められ、
発掘の職人的な作業を学問的なスタイルに練り上げ、
東洋からの留学生を愛弟子としてかわいがり、
貴重な発掘資料を丁寧な細かい指示と解説を付け、送り届けたペトリー。
彼はこの日本人の若き考古学者に、何を見ていたのだろう。


そして、師の教えを忠実に守り、日本の考古学の黎明期を生きた濱田。
師よりも先に黄泉路を辿ることになった彼は、どんな思いで学問に打ち込んでいたのだろう。
そんなことをふと思う。学者の青春、学問の若い形、日本の考古学の揺籃、
そんなものを垣間見る思いがして、土塊に、土器や写真に、異国の風景に、
かつて経験したあの砂漠の熱い風に、思いを馳せたひととき。
この展示は18日まで。興味のある方、お近くの方は是非。
常設展示もステキですよ。

埃及(エジプト)考古-ペトリーと濱田が京大エジプト資料に託した夢-

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考古学―その方法と現状 (放送大学教材)

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